木村天山旅日記

 

タイ旅日記 平成20年6月 

 

第8話

15日、日曜日、いよいよ、最後の予定、カレン村入りする。

一泊して、子供服支援をする。

 

午後二時、ホテルから出発する。

すべての、荷物を持ってだ。

カレン村から、そのまま、チェンマイ空港に向かい、バンコクを経由して、帰国するのである。

 

慧燈財団の小西さんの、案内で、カレン族村に向かう。

小西さんは、その村の、女性と、結婚し、一児をもうけた。

カレン族は、婿が、嫁の家に入るという、日本とは、逆の、パターンである。

 

奥さんは、慧燈財団の支援により、日本に留学している。日本語も、よく出来る方である。奥さんは、先に、村に入っていた。

 

チェンマイから、南西に、車で、約二時間の山間部に、その村がある。

 

カレン族は、赤カレン、白カレン、そして、首長族といわれる、カレン族に、分けられる。

赤カレンは、現在も、ミャンマーの反政府として、戦う。

白カレンは、戦いを、好まず、人里はなれた、山間部に住む。

私が、向かう、カレンの村は、特に、伝統を重んじて、言えば、保守的なカレン族の村である。

他の、カレン族の人々が、伝統を学びに来る村でもある。

 

タイ国内の、少数部族は、約86万人。

カレン、モン、ラフ、アカ、ヤオ、ティン、リス、ルア、カム、ムラブリ族と、非常に多い。

しかし、それらの、少数部族も、タイ政府の介入により、政策、貨幣経済、近代農業などの、導入により、伝統的生活サイクル、民族独自の伝統文化が、侵食されている。

 

それを、進歩というのか、何と言うのか、私は知らない。

 

伝統的生活が、次第に難しくなってゆく様を、どのように見るのか。

見方によって、判断が、分かれる。

 

さて、カレン人というのは、タイ人が呼ぶ名である。

カレンの人は、自分たちを、パガニョーと呼ぶ。

 

私の行く村は、バーン・トゥンルアンである。

バーンとは、タイ語で、村を指し、トゥンルアン村ということになる。

 

人口は、約、345人である。

65世帯、93家族が、住む。

 

村の標高は、500メートルから900メートル。六の山と、十の川に囲まれている。

追々書くが、村人は、自然に、自然保護の生活をしている。

欲が無いという、見方が出来る。

必要以上に、自然を利用しないのだ。

 

山間部なので、涼しい風が吹く。

皆さん、朝夕は、寒いという。

私には、心地よく感じられる、気温だった。

 

車が、空いていて、一時間半ほどで、村に入った。

 

最初に目に入ったのは、象さんである。

カレンの男は、像使いである。

今回、結婚式に、遭遇しなければ、私は、小西さんの、お兄さん、つまり奥さんのお兄さんに頼み、象に乗る予定だった。

 

それから、田園が続く。

丁度、田植えの時期である。

 

村に入った。

高床式住居である。

どこかで、見た風景だと、思った。

伊勢神宮である。

大神のお住まいも、高床式である。

 

小西さんの、実家に、到着して、奥さんに迎えられた。そして、そのお母さんがいた。

 

オモチャパー

今日は、という挨拶である。

最後の、パーは、プーの音にも、似る。

オモチャパゥーのような、感じである。

 

何だか、楽しい挨拶だ。

オモチャであるから、すぐに覚えた。

 

カレン語は、非常に少ない言葉で、話す。一音が、多い。

どこかで、聞いた話である。

一音に意味がある。

例えば、ご飯を食べるを、オ・メーという。

お茶を飲むを、カムチャという。

おいしいを、グィ、楽しいを、ムという。

 

家に入るには、階段を登る。

玄関に、何と、注連縄が、張ってあるではないか。

日本の、注連縄と、同じである。

日本の場合は、神の領域という、結界を現す。

 

どうも、底辺のところで、日本の伝統につながっているようであると、感ずる。

 

荷物を部屋に置いて、下に降りると、「お茶をのみましょう」と言われた。

すると、奥さんが、湯を七輪で、沸かすのである。

ずくには、出ない。

 

暫く、湯の沸くのを待つ。

 

その間に、家の周囲を、回って見た。

 

まず、豚、黒豚四頭が、目に入る。

鶏と、ヒヨコが、走っている。

犬もいる。

山の湧き水を、家まで引いて使う。だから、水は、冷たい。しかし、実に、まろやかである。

家を建てるのも、田畑をするのも、皆村人が、一丸となってやる。

自給自足である。

 

米倉を見て、また、驚く。

伊勢神宮の、米倉と、同じなのである。

そして、それぞれの、道具である。

縄文、弥生の、博物館に来て、見ているようなものばかりである。

 

すべて、手作りである。

 

唸るしかなかった。

一見は百聞にしかず、という通りである。

 

日本人が言う、自然保護や、エコライフというものが、如何に、愚かなことか、解る。

自然というものを、知らずに、自然保護や、エコライフを言う。

この村に来て、それが、本当に、どういう意味なのかを、知ることになった。

 

トイレに行った。

便器があるだけ。横に、水桶があり、それで、汚物を流す。

紙も無い。

つまり、タイ式と同じく、左手で、ウンチを拭く。

今、タイでは、ホテルなど、手動の水掛けが、ついている。それで、尻に水を掛けて、流す。

ここでは、手を使う。

 

家には、紙というものが、無かった。

最低限の紙である。しかし、一度も、紙を見なかった。

食事の時、私たちだけに、奥さんが、紙を用意した。

他の人は、食べ終わると、水で、手を洗う。

 

この村の、唯一の文明は、電気である。

電気だけは、通っていた。

しかし、私は、その夜、この村に来て、最も、感動した場面がある。

後で書く。

 

暫くして、小西さんが、学校に誘ってくれた。

日曜日であるが、子供たちが、集まり、私たちに、カレンの、伝統芸を披露してくれるということだ。

その際に、子供服を子供たちに、差し上げる。

 

小学生の子供たちが、集い、民族衣装を着て、私たちに、芸を見せてくれた。

まず、男の子の、カレンの竪琴の演奏である。

続いて、女の子たちの、歌と踊り。

実に、素朴で、簡単なものである。

 

その後、会場のテラスに出て、一人一人に合う衣服を、手渡す。

皆、目が輝いている。

一人一人に、手渡すと、その、笑みが満面に広がる。

 

この村の女性たちは、すべて、自分たちの衣服は、自分たちで、織る。

女性の、衣服はいらないのである。

男と、子供たちが、必要なのだ。

 

女性たちの、衣装を見ると、既婚、未婚が、一目で、解る。

未婚の女性は、白い衣装を着ている。

更に、純潔というものを、非常に大切にする。

少数部族から、売春をする者が多いが、カレン族の女性は、決して、そんなことは、しない。

また、離婚も無い。

一生、一人の男に、操を、捧げる。

 

それは、村の生活を見れば、解る。

 

日の出から、働き、日の沈む頃、家に戻る。

その繰り返しである。

 

子供たちと、写真を撮る。

ぬいぐるみを、上げた女の子が、愛しそうに、ぬいぐるみを、抱いているのが、印象的だった。

衣服は、お金で、買わなければならない。しかし、カレンの人は、収入を得る道が、少ない。現在は、レタスなどを作り、それを売って、お金にする。それも、最低限である。

富を持つという、感覚が無い。

田圃も、三耗作が出来るが、ここだけは、一毛作である。