昼近くになり、私たちは、結婚する妻の家に、向かった。
その家は、おじいさんの家のすぐ側である。
すでに、人が集い、婿のお兄さんが、舞台で、酒を酌み交わしていた。
舞台といっても、地面に、蓆を敷いたものである。
その、四隅に、柱をつけて、その柱に、豚の首を下げている。
丁度、私たちが、言った時に、豚の解体が、行われていた。
私は、普段見ることが、出来ないものだから、じっと、それを、見ていた。
頭を取られた豚は、胴体である。それを、どんどん、細かく、切り刻んで、一つの袋に入れる。
それを、女たちが、また、小さくして、揚げ物や、生肉を刻んで、野菜と混ぜて、料理を作る。
その、混ぜ合わせたものを、食べようとした時、小西さんに、止められた。
生肉の、豚は、危ないのである。
小西さんは、それを食べて、中毒を起こしたと言う。
それで、私と、野中は、食べるのを、止めた。
新婦はいるが、新郎は、まだ、いない。
新郎を待つ。
その間に、私は、例のおじさんに、連れられて、耳の聞こえなくなった、おじさいんの家に、連れて行かれた。
そして、私に、耳を見てくれというのである。
耳が遠くなった、おじいさんである。
もう、しょうがいないと、思いつつ、私は、手当てをした。
耳と、頭の後ろに、手を当てた。
おじいさんは、それを、温かいと言う。
言葉が、解らないが、そう言っているのである。
私は、日本語で、少しつづ、良くなりますよと、言った。
気休めである。
しかし、おじいさんは、真剣に、聞いた。
少しして、また、おじさんが、今度は、また私の手を取り、自分の家に、連れてゆくのである。
少し歩いて、そのおじさんの家に行った。
その、おじさんの家であることは、すぐに解った。
二人の子供に、私に、ご馳走するために、マンゴーと、梨を木に登らせて、取っていた。
それを、私は、窓から、見ていた。
おじさんは、私のために、マンゴーの皮を剥き、小さく斬って、皿にのせて、私の前に置いた。
熟した、マンゴーは、美味しかった。
そして、昨夜、手当てをした、右足を出して、やはり、痛むという。
私は、再度、右足に手を置いた。
リンパが瘤のように、張っている。
これは、リンパ癌の、疑いがあると、思った。
しかし、言わない。
その時、小西さん夫婦が、やって来た。
私は、それを、小西さんに話した。
この痛みは、単なる疲労の痛みではない。リンパが腫れていると。
私は、痛み止めと、抗生物質を持っているので、それを、差し上げようと、思った。
眠られないほど、痛いと言うのである。
昨夜は、確かに、痛みが、治まったが、それは、一時的なことだった。
私は、この村にも、医療が必要だと、思った。
昔なら、癌でも、そのまま、亡くなる。
そして、原因不明である。
それで、良かった。しかし、今、現在の状態では、治る見込みがある。
後で、小西さんの家に、薬を取りに来るようにと、告げて、貰った。
何とも、不思議な、縁である。
おじさんは、私を、全く信じているのである。
小西夫婦と、私は、また、結婚式の場に戻った。
しかし、中々、新郎が来ない。
そんな中で、一人のイギリス人の女性と、会った。彼女も、この村に滞在していた。
彼女は、少数部族を研究し、それを、保護する仕事をしている。
野中の英語を通して、話した。
以下、その内容である。
彼女は、ケルト民族の子孫である。
お祖父さんの、そのお祖父さんの代に、ケルトの文化が、キリスト教、カトリックによって、禁止された。言葉も、禁止されたという。
私は、日本の古代の文化と、ケルト文化は、共通していると、言った。
彼女は、どんなところですかと、尋ねる。
言葉です。
文字が、無かったと、言われていますが、話し言葉があったということは、文字もあったのです。
そして、文字は、神であるから、多く使わなかったと言うと、彼女は、涙を流さぬばかりに、感動していた。
結果、彼女は、私に、あなたに師事して、日本の文化を、学びたいと言った。
お互いに、連絡先を、交換した。
メールにての、やり取りで、付き合うことになった。
これも、出会いである。
シンバルと、太鼓が鳴った。いよいよ、新郎の登場かと、思ったが、これから、新郎を皆で、迎えに行くという。
私たちは、皆の後に続いて、新郎を迎えに行くことにした。
しかし、時間は、迫っていた。
もうすぐ、三時になるのである。
あと、一時間しかない。
誕生と、結婚と、葬儀が、大切な行事であると、小西さんが言った。
一生に、二度とないのである。
結婚式は、三日続くと言う。
豚、四頭を使うのである。そして、牛、一頭である。
男たちは、皆、飲み続ける。
私たちは、皆の後ろについて、新郎を迎えに出た。
道の真ん中で、新郎を迎える。
シンバルと、太鼓が、派手に大きな音を立てた。
新郎が、車で来た。そして、降りて、皆の前に姿を、現した。
実に、大袈裟である。
だが、大袈裟であって、いい。彼は、これで、一生、妻の家に入るのである。
シンバルと、太鼓が、大きな音を立てた。
私たちは、道端に、敷かれた舞台を、見ていた。
そこで、祈りが、行われた。
長老たちが、ぶつぶつと、伝来の祈りを、唱える。
そして、酒の回し飲みである。
私たちは、それを、見ているだけである。その中には、入れない。
ただ、私の前にも、盃が、差し出された。
彼らの好意である。
それを、一気に飲む。
御目出度い席に、参加して、私は、ただただ、感激である。
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