木村天山旅日記

 

アボリジニへの旅
平成20年7月 

 

第8話

トンガ出身の運転手さんは、トラさんと言った。

すぐに、覚えた。トラさんである。寅さん、であると、私は、勝手に覚えた。

 

トラさんとは、連絡先を、交換して、次に来る時には、あらかじめ連絡して、ダリンブイに滞在すべく、手配してもらうことになった。

 

私たちは、街の図書館まで、送ってもらい、別れた。

図書館には、インターネットの設備があるからだ。

無料サービスである。

ところが、日本語での書き込みが、出来ない。

折角だが、ただ、見るだけである。

 

私たちは、図書館から、歩いてモーテルに向かった。

買い物をしていたので、それを、持ってである。

とぼとぼと、歩いた。

 

そして、広い芝生の前に来た時、二人の女性を見た。

ヨーと、声を掛ける。

ヨォルングの人である。

 

それが、また、話し掛けてくる。

何と、ジャルーの娘さんと、孫娘である。

 

私たちに、ジャルーは、午後から、家にいるよ、というのである。

何も、彼女たちは、知らないはずである。

これは、何としても、ジャルーの家に行けということである。

 

すでに、昼を過ぎているのである。

もう、ジャルーは、家にいるであろうと、推測した。

 

私たちは、モーテルに戻り、簡単に食事をして、出掛けることにした。

 

そこは、イースト・ウディ・ビーチという海岸であるから、私は、そこで、追悼慰霊の儀を行うと決めた。

野中が、何か、お土産を持って行きたいと言うので、それなら、お供え物として、持って行き、それを、最後にプレゼントするといい、ということになった。

 

早速、裏のスーパーに向かった。

牛肉や、飲み物、紅茶などを、買った。すべて、野中が、選んだ。

それを持って、モーテルに戻り、タクシーを呼ぶ。

来たタクシー運転手は、あのイラン人である。

 

今度は、どこ、である。

ジャルーの家だと言うと、すぐに、発進した。

有名人であるから、知っているのだ。

 

15分程で、到着した。

砂浜である。

何件かの家が、建つ。更に、テントも、二つある。

そこには、ジャルーの家族が住んでいた。

 

私たちは、最初の家に入った。

あっちと、その先を指差す。

何も説明していないが、ジャルーに逢いに来たと、思っている。

 

後の家が、ジャルーの家だった。

そこに、入った。

ジャルーの娘の一人が、絵を描いている最中だった。

挨拶して、自己紹介した。

 

その絵は、聖地をイメージしたもので、真ん中に、蛇、そして、周囲に睡蓮の花である。

蛇と、睡蓮の花の組み合わせは、ヨォルングの伝承である。

実に、意味深いものである。

 

あの、聖地の下には、先祖霊が、蛇の姿で眠っているというものだった。

そして、睡蓮の花の咲く時期は、とくに大切な時期なのである。

先祖の夢が、目の前のすべてのものだという、考え方をする、彼らの、最大のドグマを、象徴した絵である。

 

彼女の口から、意外な言葉を、聞いた。

本当は、ジャルーは、いるはずだったが、突然、ジャルーの妹が亡くなり、儀式のために、出掛けたというのである。

 

ここまでの経緯を、考えると、当然、ジャルーに逢うものとばかり、思っていた。それが、違った。

 

しかし、落胆した表情は、見せなかった。

私は、本来の目的を、野中に、通訳させた。

 

日本から、先の大戦で、被害を受け、犠牲になった、アボリジニの人々の霊を、慰めるために、ここに来たと説明した。

 

彼女は、何の違和感もなく、それを、受け入れた。

彼女の、夫や、子供たちも、集ってきた。

 

説明して、すぐに、私たちは、海岸に出た。

砂浜が続く。その先が、海である。

 

少しばかり高い場所を選び、供え物を置いて、慰霊の準備をした。

いつもは、供え物は、置かない。

 

神道の祭壇には、多くの供え物が、並ぶ。すべて、決まっている。

神様に、捧げる、地の恵みである。そして、お神酒である。

しかし、私は、一切、置かない。

あちらが欲するものは、ただ、真心だけであるからだ。

 

ちなみに、土地の霊位などには、供え物を上げる。産土の神々である。

 

今回は、お土産として、持ってきた物を、供えた。

それは、また、差し上げる、相手にも受け取りやすいと、思った。

 

一本の枝を折り、御幣として、捧げた。

そして、神呼びをする。

即座に、祝詞が口を付いて出た。

ここでは、祝詞が、唱えられた。

 

更に、清め祓いの時に、兎に角、飛び跳ねたい気持ちになった。

それを、抑えて、四方を清めた、そして、追悼慰霊の心を持って、神遊びの、音霊をしばらく発した。

素晴らしく、心が、解放される。

 

そう、私は、このために来たのである。このためだけに、来たのである。

 

すべてを終わり、後片付けをして、供え物を、再び袋に入れて、ジャルーの家に戻った。

私たちの行為を、見ていた子供が、すぐに、真似て、拍手を打つ。

小さな子は、全裸である。

 

供え物を、娘さんの前に置き、報告した。

彼女は、じっと、私を見つめた。

理解している。

 

儀式を、最も大切にしている、アボリジニである。

説明はいらない。

 

彼女は、何度も、私たちに礼を述べた。

供え物も、喜んだ。

 

しかし、皆、一応に、ジャルーが家にいると、私たちに教えたのである。

何故か。

そして、そのジャルーは、妹さんが亡くなり、儀式のために、出掛けた。

 

皆と、写真を撮った。

子供たちが、楽しそうに、私たちの周りに集う。

写真を撮ると、私の膝に、乗った子もいた。

 

そして、もう一軒の、娘さんの家に行った。

野中が、娘さんに、話しかけている。

子供たちも、出て来て、私たちに、挨拶する。

 

ジャルーの孫娘たちは、皆、可愛い。年頃の子は、美人である。

おかあさんが、私に、スピリットは、どうなったのかと、訊く。

野中が、通訳してくれた。

 

私は、天にあると、答えると、深く頷き、納得した。

 

実は、この行為も、皆、何の抵抗もなく、受け入れているのである。

その時、車が到着した。

ジャルーの奥さんが、帰って来た。

野中は、奥さんに初めて逢うので、感激していた。

白人男性も、降りて来た。

そして、私たちに、日本語で、挨拶した。

妻と娘が、日本語教師をしているという、日本通の白人だった。

 

私たちが、奥さんに、事の顛末を説明すると、その男性は、シントーと、言った。

イエス、オールド神道である、と、私は答えた。

 

奥さんは、大変喜んでくれた。

丁度、イダキの材料となる、ユーカリの木を切り倒してきたと言う。

先ほどの家にも、造りたての、イダキが、何本も置かれていた。

奥さんは、野中に、あなたが欲しいなら、分けて上げると言う。それが、野中の、悩みになるのであるが、後で書く。

 

男と、女の儀式は、区別されていると、書いた。

夫の、妹が亡くなっても、彼女は、ここにいる。その儀式は、別グループのものである。

 

また、車が来た。

今度は、ジャルーの後継者である、息子さんだ。

野中も、初めて逢う。

皆が、集い、大変な賑わいになった。

 

彼は、ジャルーから、すべてを、伝承されている。

つまり、次の長老である。

 

私は、素晴らしい出会いをした。

 

ここで、余計なことを書く。

奥さんと一緒に、同行していたのは、キリスト教の、ミッション系ボランティアである。アボリジニたちを、助ける組織を作っている。

そこまでは、よい。

私が、奥さんの、膝を心配して、手を当てて、祈りますと言うと、横から、ここの人々は、キリスト教徒ですと言う。

カトリックかと、訊くと、違うという。

プロテスタントの一派である。

実は、カトリックと、プロテスタントの、ボランティア縄張りの、暗黙の、確執がある。

 

それぞれが、アボリジニを、信者に、取り込むために、様々な、ボランティア活動を行うのである。

 

彼は、私を牽制したのである。

他の宗教に、対する態度は、一神教は、特に激しい。

 

彼らは、それが、偽善であるとは、気付いていない。

非常に、有意義なことをしていると、信じている。

アボリジニの伝承と、伝統を破戒したのも、彼らである。そして、アボリジニの精神を、破壊する行為を続けて、今は、それらを、助けていると、信じているのである。

 

その、矛盾にすら、気付いていないのである。

重病である。

 

彼らは、自分たちが、理解出来ないものは、悪であり、悪魔からのものであると、考える。

勿論、悪魔的なのは、彼らである。

 

自分たちの価値観以外のものを、受容出来ないのである。

 

彼は、私たちに、非常に好意的だったが、それと、これとは、別物である。

 

私は、野中から、ジャルーは、カトリックのアボリジニの、まとめ役をしていると、聞いていた。

キリスト教と、上手に付き合っていかなければ、アボリジニの生活が、成り立たないのである。そこまで、追い詰めたのも、キリスト教徒である。

 

アボリジニたちは、表向きは、キリスト教徒となり、伝承と伝統は、守りつつある。苦肉の策である。

それは、見ていて、痛々しい。

 

タクシーを呼んでもらい、モーテルに戻ることにした。

その間に、息子さんや、奥さんと、写真を撮った。

息子さんは、少しアホのように、見せる演技をしている。多くの摩擦を、避けたいのであろう。それも、心が痛んだ。

ジャルーの後継者であるということでの、ストレスは、大きいはずだ。

ジャルー亡き後、彼は、すべての重責を負うのである。

 

様々な、思惑を持った者、大勢いる。

アホを演じていなければ、ならないほど、辛いことはない。

私たちにも、今、サッカーの練習をして来たという。

 

私の肩を抱き、写真に収まった。

 

タクシーに乗り、私は、野中に言った。

慰霊の時、どうしても、飛び跳ねたくなった、と。

それは、彼らは儀式の時に、飛び跳ねるからだよ、と言う。

あっ、そう。