木村天山旅日記
 ゴールデントライアングルへ
 
平成20年
 10月
 

 第5話

ミャンマーの、イミグレーションを通り、パスポートを略式通行証と交換する。

そして、橋に出た。

 

子供たちの姿を探すが、見当たらない。

タイの時間では、まだ、11時になっていないと、しばし、橋の上で、佇む。

 

その間に、色々と声を掛けられる。

荷物を持つと言ってくる、青年もいた。それで、幾ばくかの、金銭を得るのである。

二つのバッグを、持ってもらうこともない。

 

橋の上から、タイ側の下を見ると、昨日の子供たちが、三人、川で泳いでいる。

流れの速い川で、泳ぐという暴挙であるが、楽しそうだ。

私たちは、もう、橋から抜けて、橋の下に出ようと思った。

 

タイ側での、イミグレーションも、スムーズである。

出て来た、門を逆に戻り、橋の下に出た。

 

子供たちが、私たちに気づいて、川から、上がる。

持って来たよと、声を掛ける。

三人が、集まった。

そこで、バッグを開いて、衣服を見せる。

一人一人、サイズを確認する。

 

その内に、人数が増えてきた。

更に、橋の上からも、声が掛かる。

ストリートチルドレンから、成長した、少年たちである。

矢張り、国境の橋を拠点にして、生きているのである。

 

今回は、女の子を、一人も見なかった。

前回は、幼女一人がいた。

 

少女は、すぐに誰かに連れて行かれるのである。

少女は、女になる。

そして、金になるのである。

 

児童買春の、恰好の餌食である。

孤児であるから、誰も咎めない。

 

さてさて、どんどんと、衣服が無くなる。

残ったものは、女の子用のものである。

ついに、大きなバッグも欲しいと言われて、それも、上げた。

 

私たちの、すぐ傍で、タイの軍兵が、機関銃を背負って、じっと見ている。

 

最後に、昨日、ズボンが欲しいと言った、二人の男の子のものが無い。

私は、スタッフに、二人のズボンを、買って上げると、言わせた。

着いて来なさい。

二人の男の子が、私に従う。と、少しして、振り返ると、二人が四人に、増えていた。

 

あの、15歳の孤児の子と、母子家庭の子と、後の二人も、仲間なのであろう。四人が、打ち解けている。

 

彼らは、自分たちの物は、共有するという、道徳を持っている。

自分の物は、人の物であり、人の物は、自分の物である。それで、何とか、生きられるのである。

 

最初の市場に着いて、一番小さな、母子家庭の子に、ズボンを買った。最初から、半ズボンが欲しいと言っていた。

190バーツである。

 

そこの、おばさんが、その子に、何か話しかけている。

スタッフによれば、どうして、この良い人と、会ったのという質問である。更に、どうして、この人は、あなたに、物を買ってくれるの、である。

国境地帯は、色々な人が集う。

大半は、悪い人である。

良い人という言い方に、特徴があったので、スタッフも、意味が解ったという。

 

そして、おばさんは、その子に、学校に行かなければ駄目だよと、言ったらしい。

つまり、彼らは、学校に行っていないのだ。

また、学校に行けるお金が無い。

 

孤児の子は、自分の気に入った物が、無いと言う。そして、もう一つの市場に行くという。

そこで、時計を見た。

もう、時間が無い。これから、ゴールデントライアルグルに行く予定である。

早くしないと、チェンセーン行きの車が無いということになる。

 

車道の真ん中で、五人が、佇んだ。

私は、もう、時間が無いと言う。

彼らは、車で、5分のところにある、市場に行きたいと言う。

それでは、しょうがないと、私は、15歳の男の子に、240バーツを出した。

 

それは、車代と、ズボンを買うお金である。

すると、彼は、もう二人の分が、足りないと言う。

私は、他の二人のことを、考えていなかった。

さて、それではと、もう、200バーツ出した。

 

すると、15歳の子が、これでは足りないと言ったらしい。スタッフが聞いた。すると、一番小さな子が、それで、十分買えるだろうと、15歳の子を、牽制したという。

 

実は、一番小さな子の、ズボンの値段が、符丁より安くなっていた。地元の人であれば、もっと、安く買えるのかもしれないのである。

 

まして、見れば解る通り、街の中で、一番貧しい子供たちである。

私は、彼らの言葉が解らないゆえに、それじゃと、ソンテウ乗り場に、向かった。

すると、子供たちが、スタッフに、名前と、電話番号を聞いている。

スタッフの野中は、メモ用紙に、私の名と、自分の名、そして、タイでの、電話番号を書いて渡した。

 

私は、青色ソンテウ乗り場に、急ぎ足で向かった。

とうに、12時が過ぎて一時近くになる。

 

乗り場に着くと、一人の女性が、出発は、一時半ですと言う。

その女性が、運転手だとは、思わなかった。後で、それに気づく。

少し時間がある。

 

汗だくだったことを思い出し、水以外の飲み物を買った。

確か、ヤクルトに似たようなものだったと思う。

 

食欲は無かった。

あまりに、疲れると、食欲が無くなる。

 

タバコを、二本吸った。

タイでは、禁煙が全域に渡って行われて、灰皿も無い。

外でのみ吸うことが出来るというものだ。

時に、道路に、吸殻が落ちていることはあるが、それは、実に少ない。

また、罰金を科せられることもある。

 

私は、一本一本を、ゴミ袋に入れた。

衣服支援を終えたので、荷物が少なく、それがまた、安堵感を与えた。

 

後は、ゴールデントライアングルの慰霊である。

 

私たちの他に、地元の二人のおばさんが、乗り込んできた。

そして、出発である。

途中でも、また、おばさんが乗り込んできた。

 

メーサイからは、30程度で、到着する予定だったが、途中下車や、また、乗り込む人がいて、一時間ほどかかって、到着した。

 

その中に、母と娘と、娘の子である、女の子が乗り込んできた。

そこで、私は、丁度、サイズが合う女の子用の衣服があることを、思い出し、それを取り出して、必要でかと、スタッフに言わせた。

 

それは、冬物である。

おばあさんが、これから寒くなりますから、丁度良かったと言う。

そこで、縫ぐるみと、もう一つ、上着を差し上げた。

とても、喜んでくれた。

私は、日本人ですと言うと、着物を、指差して、キモノと言う。

イープンと、タイ語で、日本人と言う。

 

途中で降りてゆく時に、何度も、コプクンカーとお礼を頂いた。そして、合掌して、私たちを見送った。

こういう、差し上げ方もある。