木村天山旅日記
 ゴールデントライアングルへ
 
平成20年
 10月
 

 第8話

乗り合いバスが止まった。

降りる人はいない。

警察である。

すると、乗車している人たちが、カードを提示している。国民カードである。携帯所持が義務付けられているのだ。

 

私たちは、パスポートを用意した。

一人一人を確認してゆく。

私の番になった、ちらっとパスポートを見て、ジャパンと言って、笑った。それで、終わり。

 

麻薬の取調べのようである。

バスの運転手が、車の後に積んでくれた荷物も、点検されたが、口を開いて一瞥すると、それで、終わり。

10分程で、出発した。

 

しかし、また、30分程走ると、止められた。

別の、検問所である。

同じことが、繰り返される。

私のパスポートは、ただ、提示するだけで、一瞥され、何事もなかった。

 

国を出て、日本人であることで、実に、愉快な気持ちになる。

ラオスも、ベトナムも、ビザ無しである。

タイも、一ヶ月ならば、ビザは、いらない。

マレーシアもそうである。インドネシアも、長期滞在以外は、ビザが必要無い。

 

その逆は、大変である。

日本に入るのは、年々厳しくなっている。

 

海外に出て、日本人であることを、実に意識する。

勿論、中には、そんな意識は、ゼロの人もいる。

別に、日本人だとは、意識しないという人である。

日本人としての、特権を得られない国に行く人に多い。また、欧米に対する、劣等意識の強い人である。

 

悪いのは、アジア差別の日本人である。

白人には、へいこらするが、アジア人に対しては、横柄に構えるという。

 

昔、札幌で、アジア人の留学生のボランティア活動を手伝っていた時に、アジア人留学生に対する、差別の甚だしいことを、知った。

白人には、決してしないようなことを、平気で、アジア人にはする。

手のひらを返したような、対応である。

 

タイの留学生で、自殺した人もいる。

本当に痛ましいことだった。

 

欧米人に、劣等感を持つと同じ程度に、アジア人に、優越意識を持つという、アホであるが、アホは、アホであることに気づかない。

ただし、韓国の留学生は、あからさまに、反日感情を剥き出しにしていた。25年ほど前は、それが、実に激しかった。

 

中国人は、人それぞれである。よい人もいるし、悪い人もいる。

中国は、日本を侵略国家だと、決め付けるが、自分たちの、侵略については、反省も何も無い。更に、面白いのは、イギリス人に対しては、驚くほど、謙虚である。

上海をはじめ、香港は、つい先ごろまで、イギリス統治だったが、イギリスに対しては、決して、侵略国家だと、言わないのである。

中国の、弱点である。

イギリス人には、実に弱い。

 

中国に物を言うなら、イギリスを通して言うとよい。

 

さて、揺られ揺られて、ようやくチェンライに到着した。

懐かしいバス乗り場である。

前回も、ここから、チェンマイ行きのバスに乗った。

 

車酔いの吐き気を感じつつ、チェンマイ行きのチケットを買う。

私が、買いに行った。

時計を持ち上げて、次のバス時間を尋ねて、二人分を買う。

チケット売り場の、おねえさんは、綺麗な英語を話した。

 

チケットを買って、時間が三時間程あるので、まず、食事をすることにした。

 

バス乗り場の付近は、街中である。

一度行った、和食の店に向かった。

この体調では、和食がいいと。

 

天ぷらそばにした。突然、天ぷらそばが食べたくなった。

スタッフも、天ざるである。

蕎麦は、乾麺を茹でるので、日本の蕎麦である。

遜色が無い。

 

壁の写真を見て、鉄火巻きが、食べたくなり、一人分注文した。それが、美味しかった。店員に言うと、日本から取り寄せているとのこと。

 

さて、食事を終えても、まだ、二時間ある。

そこで、以前に行った、アカ族の女性がいた、マッサージ店に出掛けた。

凄く上手だったのだ。

 

その店に行くと、彼女の姿が無い。

スタッフが、色々と訊いた。すると、彼女は、結婚したという。時々、店に来ることがあるという。

それは、良かった。

息子が、ミャンマーの全寮制の高校に行っていて、その資金を稼いでいたのである。

 

私は、フットマッサージを受けることにした。

スタッフは、するつもりではなかったが、二人分の準備をはじめたので、一緒に受ける事にした。

 

その間、色々な話に花が咲いた。

タイ語と、英語である。

一年でも、人の入れ替わりが激しいらしい。

 

この街の、マッサージ店は、解り易い。

エロマッサージは、レディマッサージと看板がある。

初めは、解らなかったが、夜になると、それが解った。

更に、国際便が飛ぶためか、ゲイボーイのショーパブが、二軒ある。

白いパンツ姿で、舞台で踊るボーイたちである。

 

何のことは無い。

お客に、連れて行かれたいのである。それが、金になる。

あるということは、需要があるのだろう。

 

街の中心部は、ほんの一部で、その中に、何でもある。

 

マッサージを終えて、残り時間に、新しく出来た、アイスクリーム店に入る。

確か、サムイ島に行った時の、アメリカのチェーン店である。

 

誠に、甘い甘いアイスクリームである。タイ人向けの味なのだろう。

私は、カップに一つだけにした。

 

15分前に、バス乗り場に行く。

もう、車に乗り込めるので、荷物を預けた。

バスガイドが、何と、カトゥアイ、男性女装者である。

見事に化けているが、矢張り、解るものである。

 

カトゥアイが、社会に出て来ていることは、良いことである。

 

タイパンツに、Tシャツの私は、大失敗であった。

VIPバスは、乗り心地がいいが、エアコンが、ガンガン効いているのである。

上着をバックに入れたまま、預けた。

実は、アメリカ系の飛行機の、毛布を二枚、貰ってきていた。

エアコンの強い場所で、羽織るつもりだった。

 

眠るどころではない。

寒くて、目が冴えた。

 

タイでは、エアコンをガンガン効かせるというのが、最も、歓迎している証拠なのである。

ついには、くしゃみと、鼻水である。

スタッフは、ついに、後の空いている席に移った。

私の座る場所の上が、エアコンの口である。

そして、それぞれの席に向けての、穴もある。それは、塞ぐことが出来るが、全体のものは、駄目。

 

一時間半の、ローカルバスの、揺れと、三時間の、VIP、280バーツのバスとで、体が、ぐたぐたにされたようである。

 

漸く、チェンマイに到着して、安堵。

ああ、チェンマイである。

すぐに、トゥクトゥクに乗り、ターペーゲイトに向かった。

泊まるホテルは、決めてある。

極めて、ゲストハウスに近い、ホテルである。

一泊、350バーツに値下げしていたから、嬉しかった。

前回は、400バーツである。その受付も、お姉さんから、お兄さんに代わっていた。

 

部屋に着いて、早速、日本に電話をする。

父が、危篤であるから、毎日、電話を入れていた。

弟から、明日、明後日で、決まると、言われた。

もう、時間の問題であるとのこと。

 

弟は、もし、亡くなったら、私を待たずに、通夜、葬式をすると、言う。

それでいい。

私は、父と、最期の別れをして来ている。

 

スタッフは、ホテルではなく、友人の家に二泊泊まるので、私一人である。

翌朝、父が亡くなった。

日本時間の、朝七時に電話をすると、丁度、病院から連絡があり、出掛けるところだった。

最期の手当てを、病院長が、申し出たので、病院に任せたのである。

再度、九時に電話をすると、八時十分に亡くなったとのこと。

 

父の遺体を、家に運んでいる最中だった。

 

異国にて

危篤の父を

思うとき

寄する命を

つくづくと思う

 

しかし、父は、もっと早く、体から霊位が、抜けていたのである。それを、同じ時間帯に、私と、弟、妹が、見ている。後々で、三人が照合して、解ったことである。