乗り合いバスが止まった。
降りる人はいない。
警察である。
すると、乗車している人たちが、カードを提示している。国民カードである。携帯所持が義務付けられているのだ。
私たちは、パスポートを用意した。
一人一人を確認してゆく。
私の番になった、ちらっとパスポートを見て、ジャパンと言って、笑った。それで、終わり。
麻薬の取調べのようである。
バスの運転手が、車の後に積んでくれた荷物も、点検されたが、口を開いて一瞥すると、それで、終わり。
10分程で、出発した。
しかし、また、30分程走ると、止められた。
別の、検問所である。
同じことが、繰り返される。
私のパスポートは、ただ、提示するだけで、一瞥され、何事もなかった。
国を出て、日本人であることで、実に、愉快な気持ちになる。
ラオスも、ベトナムも、ビザ無しである。
タイも、一ヶ月ならば、ビザは、いらない。
マレーシアもそうである。インドネシアも、長期滞在以外は、ビザが必要無い。
その逆は、大変である。
日本に入るのは、年々厳しくなっている。
海外に出て、日本人であることを、実に意識する。
勿論、中には、そんな意識は、ゼロの人もいる。
別に、日本人だとは、意識しないという人である。
日本人としての、特権を得られない国に行く人に多い。また、欧米に対する、劣等意識の強い人である。
悪いのは、アジア差別の日本人である。
白人には、へいこらするが、アジア人に対しては、横柄に構えるという。
昔、札幌で、アジア人の留学生のボランティア活動を手伝っていた時に、アジア人留学生に対する、差別の甚だしいことを、知った。
白人には、決してしないようなことを、平気で、アジア人にはする。
手のひらを返したような、対応である。
タイの留学生で、自殺した人もいる。
本当に痛ましいことだった。
欧米人に、劣等感を持つと同じ程度に、アジア人に、優越意識を持つという、アホであるが、アホは、アホであることに気づかない。
ただし、韓国の留学生は、あからさまに、反日感情を剥き出しにしていた。25年ほど前は、それが、実に激しかった。
中国人は、人それぞれである。よい人もいるし、悪い人もいる。
中国は、日本を侵略国家だと、決め付けるが、自分たちの、侵略については、反省も何も無い。更に、面白いのは、イギリス人に対しては、驚くほど、謙虚である。
上海をはじめ、香港は、つい先ごろまで、イギリス統治だったが、イギリスに対しては、決して、侵略国家だと、言わないのである。
中国の、弱点である。
イギリス人には、実に弱い。
中国に物を言うなら、イギリスを通して言うとよい。
さて、揺られ揺られて、ようやくチェンライに到着した。
懐かしいバス乗り場である。
前回も、ここから、チェンマイ行きのバスに乗った。
車酔いの吐き気を感じつつ、チェンマイ行きのチケットを買う。
私が、買いに行った。
時計を持ち上げて、次のバス時間を尋ねて、二人分を買う。
チケット売り場の、おねえさんは、綺麗な英語を話した。
チケットを買って、時間が三時間程あるので、まず、食事をすることにした。
バス乗り場の付近は、街中である。
一度行った、和食の店に向かった。
この体調では、和食がいいと。
天ぷらそばにした。突然、天ぷらそばが食べたくなった。
スタッフも、天ざるである。
蕎麦は、乾麺を茹でるので、日本の蕎麦である。
遜色が無い。
壁の写真を見て、鉄火巻きが、食べたくなり、一人分注文した。それが、美味しかった。店員に言うと、日本から取り寄せているとのこと。
さて、食事を終えても、まだ、二時間ある。
そこで、以前に行った、アカ族の女性がいた、マッサージ店に出掛けた。
凄く上手だったのだ。
その店に行くと、彼女の姿が無い。
スタッフが、色々と訊いた。すると、彼女は、結婚したという。時々、店に来ることがあるという。
それは、良かった。
息子が、ミャンマーの全寮制の高校に行っていて、その資金を稼いでいたのである。
私は、フットマッサージを受けることにした。
スタッフは、するつもりではなかったが、二人分の準備をはじめたので、一緒に受ける事にした。
その間、色々な話に花が咲いた。
タイ語と、英語である。
一年でも、人の入れ替わりが激しいらしい。
この街の、マッサージ店は、解り易い。
エロマッサージは、レディマッサージと看板がある。
初めは、解らなかったが、夜になると、それが解った。
更に、国際便が飛ぶためか、ゲイボーイのショーパブが、二軒ある。
白いパンツ姿で、舞台で踊るボーイたちである。
何のことは無い。
お客に、連れて行かれたいのである。それが、金になる。
あるということは、需要があるのだろう。
街の中心部は、ほんの一部で、その中に、何でもある。
マッサージを終えて、残り時間に、新しく出来た、アイスクリーム店に入る。
確か、サムイ島に行った時の、アメリカのチェーン店である。
誠に、甘い甘いアイスクリームである。タイ人向けの味なのだろう。
私は、カップに一つだけにした。
15分前に、バス乗り場に行く。
もう、車に乗り込めるので、荷物を預けた。
バスガイドが、何と、カトゥアイ、男性女装者である。
見事に化けているが、矢張り、解るものである。
カトゥアイが、社会に出て来ていることは、良いことである。
タイパンツに、Tシャツの私は、大失敗であった。
VIPバスは、乗り心地がいいが、エアコンが、ガンガン効いているのである。
上着をバックに入れたまま、預けた。
実は、アメリカ系の飛行機の、毛布を二枚、貰ってきていた。
エアコンの強い場所で、羽織るつもりだった。
眠るどころではない。
寒くて、目が冴えた。
タイでは、エアコンをガンガン効かせるというのが、最も、歓迎している証拠なのである。
ついには、くしゃみと、鼻水である。
スタッフは、ついに、後の空いている席に移った。
私の座る場所の上が、エアコンの口である。
そして、それぞれの席に向けての、穴もある。それは、塞ぐことが出来るが、全体のものは、駄目。
一時間半の、ローカルバスの、揺れと、三時間の、VIP、280バーツのバスとで、体が、ぐたぐたにされたようである。
漸く、チェンマイに到着して、安堵。
ああ、チェンマイである。
すぐに、トゥクトゥクに乗り、ターペーゲイトに向かった。
泊まるホテルは、決めてある。
極めて、ゲストハウスに近い、ホテルである。
一泊、350バーツに値下げしていたから、嬉しかった。
前回は、400バーツである。その受付も、お姉さんから、お兄さんに代わっていた。
部屋に着いて、早速、日本に電話をする。
父が、危篤であるから、毎日、電話を入れていた。
弟から、明日、明後日で、決まると、言われた。
もう、時間の問題であるとのこと。
弟は、もし、亡くなったら、私を待たずに、通夜、葬式をすると、言う。
それでいい。
私は、父と、最期の別れをして来ている。
スタッフは、ホテルではなく、友人の家に二泊泊まるので、私一人である。
翌朝、父が亡くなった。
日本時間の、朝七時に電話をすると、丁度、病院から連絡があり、出掛けるところだった。
最期の手当てを、病院長が、申し出たので、病院に任せたのである。
再度、九時に電話をすると、八時十分に亡くなったとのこと。
父の遺体を、家に運んでいる最中だった。
異国にて
危篤の父を
思うとき
寄する命を
つくづくと思う
しかし、父は、もっと早く、体から霊位が、抜けていたのである。それを、同じ時間帯に、私と、弟、妹が、見ている。後々で、三人が照合して、解ったことである。
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