天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第1話

今回の旅を、書き始めるに当たって、非常に良い問題提起を、受けた。

 

それは、バンコクに出た、5日の日曜日、チェンマイから、慧燈財団の小西さんが、わざわざやって来られて、色々と、お話を聞いた中にあった。

 

チェンマイで、日本のボランティア団体、NPO関係、そして、地元の、ボランティア団体の人々が、集い、ディスカッションをしたという。

その時、タイ側の人から、こんなことを、日本側の人々が、質問されたという。

 

日本人の、ボランティア団体の、主旨は、何ですか。

欧米のボランティアの人々の、目的は、キリスト教の布教であると、解りますが、日本の人の、目的が、解らない。

日本国内でも、助けを、必要としている人がいるでしょう。それなのに、何故、タイに来て、ボランティア活動をしているのですか。

そこには、どんな目的があるのですか。

タイを、何か別の目的で、支配したいのかと、考えてしまいます。と、言ったという。

 

日本国内でも、何にもやらない者が、それに似たような、海外ボランティアをする前に、日本国内の、助けを必要としている人のために、云々という人がいる。

 

これについて、論じていると、終わらないエッセイになるので、ある程度の、結論的、見解を書く。

 

ボランティアをするのに、どこの場所などに、拘る必要はない。

国内で、する人もあれば、海外でする人もいる。

それは、どちらでも、いい。

 

その人の、体質や、性格などによるものだと、思われる。

 

国内で、しないで、海外でするとは、云々という言う者、それでは、何をしているのかといえば、何もしてないのである。

こういうのは、言葉遊びの何物でもない。

 

一つ、私の例を、上げると、衣服支援をしているが、それは、すべて、一度着たものである。

一度、人の手を通した衣服を貰うということに、抵抗ある、日本人は、多い。

中には、貧しくても、人様の着たものなど、着られないという人もいるだろう。そして、プライドがある。

幼児、子供の場合も、その親が、受け取るとは、限らないのである。

 

更にである。

私の、衣服支援は、実に、支援は、困難であり、至難であると言う。

どんなに、貧しいといわれる人にも、生きる尊厳のブライドというものがある。

 

投げ捨てるようにして、支援をすれば、受け取るどころか、怨みに、変わるだろう。

 

私は、日本から、衣服を持ってきました。

もし、必要であれば、差し上げたいと思います。

と、必ず言う。

 

更に、ある年齢の人々には、中学生、高校生程度の人には、いずれ、日本は、あなたたちに、助けてもらうことがあります。そのために、友達になりたいと、思います。

よろしければ、必要なものを、差し上げます。

 

ラオスで、支援した、スタッフは、一度、二三枚の、衣服を、持参して、村人のところに行き、このようなものを、持ってきましたが、必要ですかと、尋ねて、支援している。

 

差し上げることは、至難の業なのである。

 

更にである。

私は、対面での、支援をしている。

一人一人との、語り合いである。

観念の、語り合いではない。

 

世界の平和について、いくら、語り合っても、平和は、訪れない。しかし、そうして、世界の平和について、語り続ける、アホが、多い。

 

さて、もう一つ、実に、ゆゆしき、問題がある。

法人として、活動しているように、見せかけて、実は、単なる、金集めである。

それらは、現地の人の見抜かれている、はずである。

しかし、日本では、見抜けない。

 

タイで、優雅に、暮らすために、ボランティアに似たことを、行い、日本での支援金を、集めるという、面々である。

 

つまり、それは、商売なのである。

そのように、ある、団体もある。

 

組織が大きくなれば、なるほど、使途不明金が、多くなる。

 

結論は、私は、私個人による、支援をするということである。

NPOなどの、法人にしない。

責任も、私一人に、帰結する。

 

ちなみに、私は、日本国内でも、支援活動をすることにした。

沖縄は、ホームレス天国である。

温かいからだ。

それでは、沖縄には、テラの会の、根幹である、戦争犠牲者の追悼慰霊を、するために、出掛けるので、そこで、衣服支援をするというものである。

 

私の、活動の根幹は、あくまでも、戦争犠牲者の追悼慰霊である。

日本人だけではない。

日本が、攻撃したり、また、日本軍のために、働いた人々の、追悼慰霊である。

 

この、追悼慰霊がなければ、私の支援活動も無い。

意味を成さない。

追悼慰霊と、いう、目に見えない行為を、支援という一つの、目に見える形にしたのである。

 

そして、衣服とは、現在只今、日本では、フリーマーケットや、リサイクルバザーでも、衣服の大半は、売れずに、処理するために、金がかかると、聞いている。

この、豊かな日本では、良質の衣類が、捨てられている。

 

私も、衣類の捨てる日に、少しばかり、近所を歩いてみた。

すると、そこに、捨てられた物は、すべて、着られるものである。

驚いた。

衣服も、使い捨てなのかと、思えた。

 

それを、拾い、洗濯をして、干してみると、新しいものと、変わらないのである。

 

また、今回、ベトナムの人と、お近づきになれた、多くの縫ぐるみは、すべて、私が、拾ったものである。

 

ゴミ袋に、一つ分である。

何の、問題もないものだった。

その、一つ一つを、点検して、私が、袋に詰めたのである。

 

貧乏人の、私が、志して、支援をするのは、捨てられる物なのである。

それを、貰って頂くのである。

 

支援は、至難の業であり、支援は、実に困難な行為なのである。

 

もし、日本人に、拾った物を、上げたら、何と言われるか。

 

日本には、物に、心が宿るという、考え方がある。

私は、一度捨てられた物に、心を込めて、差し上げる、という、行為を、アジアの国で、行っているのである。

 

そこには、何故、日本で、云々という、議論の次元ではないという、こと。

 

私の、活動は、実に、多岐に渡るテーマを、見いだす。

 

追悼慰霊から、支援に、至り、更に、それぞれの国の、福祉政策の在り方を、見るもの。

日本が、立派な福祉国家であることが、解る。

勿論、上を見れば、キリが無い。

 

さて、もう一つは、トランスジェンダーの問題である。

この頃、NHKが、それらの問題を、多く取り上げるようになったという。

その、真意はよく解らないが、今の日本は、テレビの全体主義が、闊歩しているから、一応は、良い事だと、言っておく。

 

タイの、歓楽地パタヤでは、トランスジェンダーによる、トランスジェンダーのための、福祉施設がある。

公的機関ではなく、アメリカと、タイの有志による、寄付によって、行われている。

今回は、そこで、長い時間、多くの情報を得たのである。

 

更に、ゲイによる、ゲイのための、施設もある。

次は、そこに、行く計画である。

 

明治維新は、多くの国の有様を、見聞したことにより、開国と、大政奉還という、大事業を行った。

外の国を、見なければ、我が国の有様を、判断するには、足りないのである。

 

後進国には、日本では失われた良き文化を見る。

それを、保護しつつ、新しい時代や、世紀に生きる、生き方を、模索する、人々がいる。

 

私は、それを、30円から、50円程度で、食事が出来る、屋台で食べつつ、考えている。

 

そんな場所に、そんな安いゲストハウスがあったの。

その辺りに、立つ、売春婦や、体を売る、レディーボーイに、尋ねると、親切に、教えてくれる。

 

巷の情報は、彼女たち、彼らに、適わない。

 

バンコク、スクンビットの一角の、中小路で、一人の女性から、日本語で、声を掛けられた。

傍に、座る、物乞いのおばさんがいる。

この、おばさんは、可愛そうな人、20バーツ上げてください。

 

どうして、日本語ができるの。

学校で、習ったの。

あなたは、何をしているの。

会社が、潰れて、今は、悪いことをしているの。

 

悪いこととは、売春である。

私は、食べるためにすることで、悪いことは、一つも無いと言った。

そうした出会いが、私の活動の根幹である。

 

ベトナムへの、長い旅がはじまる。