天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第5話

安くて、快適な、少し階段がしんどいホテルに、落ち着いた。

 

何度も、階段の上がり降りをしていると、次第に、慣れてきたが、普段あまり、歩くことの無い生活を、痛感した。

しかし、私は、運動やスポーツは、しない。絶対に、しない。

あれ程、体に悪いものは、無いからである。

 

普通の生活をしていれば、人間の体は、自然に、健康体になるようになっている。

要するに、何事も、適度にしていれば、いいのだ。

食べ過ぎ、呑み過ぎ、やり過ぎが、一番悪いのである。

 

その反対の、節制というものも、度を越すと、体に悪い。

 

そんなことは、普通に考えていれば、解ることである。

更に、生きていることが、一番健康に悪い。

死ねば、すべて解決する。

 

二年続けて、胃痙攣のような痛みに、襲われた。

三年目に、検査をして、胃潰瘍であると診断され、更に、胃カメラを飲んで、検査をすると、ピロリ菌によるものとのことで、ピロリ菌除去の薬と、一年程、薬を飲み続けて、完治した。

しかし、私は、ガンであることを、望んだ。

ガン保険を掛けていて、ガンと、診断されると、大金が、貰えるのである。

 

楽しみにして、行きつけの病院に行くと、先生が、胃潰瘍と、十二指腸潰瘍と言うので、がっくり、した。

 

今なら、初期の胃ガンならば、一週間ほどの入院で済む。

それに、保険会社に、怨みがあり、何とか、大金を取ってやろうと思っていたのである。

 

この話は、旅日記に関係ないので、以下省略する。

 

さて、その部屋から、何度も出掛けた。

食事をするため、水を買うため、インターネットをするため、そして、衣服の支援をするためである。

 

縫ぐるみの話は、書いたので、衣服支援の話である。

大半を、道端で、差し上げることになった。

ホーチミンの街中である。

 

東京の街中で、衣服支援をするようなものである。

その、大半は、子供を連れて物売りをしている、女性たちであった。

 

私は、一々、子供服を持っています、必要ですかと、尋ねて、必要だといわれると、バッグを、開いて、その子に合うサイズの服を探した。

それを、周囲の人も見ている。

そして、私たちを、微笑みつつ、見ている。

 

ベトナムの人は、笑わないと、言った。本当に、彼らを、笑わせるのは、至難の業である。

しかし、子供服を差し上げていると、皆、私たちに、微笑むのである。

 

さて、少し難しい話になるが、ベトナム経済について、書く。

 

1986年に、ベトナム共産党は、ドイモイという、刷新政策を採用した。

中国の、改革・開放路線から、八年後のことである。

 

その同じ年、ソ連では、情報公開と、ペレストロイカ、刷新政策を掲げた。

 

ベトナム共産党は、従来の社会主義の政策では、時代に適応せずに、機能不全を起こしていると、自覚していたのである。

特に、改革派のリーダーたちが、目覚めた。

 

ベトナムの大きな問題は、ベトナム戦争の後遺症である。

敗者となった、南ベトナムの、サイゴン、現在のホーチミンを中心とする、南部が、勝者である、北の首都であるハノイと、その周辺の、北部より、経済的に発展する条件と、要素が、揃っていたことである。

 

しかし、敗者が、生成発展し、勝者である、北が、それを追いかけるという図は、政治的に、不可能であった。

そこで、考え出されたのが、南部、中部、北部という、それぞれの地域で、独自の発展を考えるという、戦略を立てることになるのだ。

 

ところが、ベトナムは、戦争でも、経済でも、多々試練を受ける。

ソ連の崩壊によって、東側の経済支援が、止まった。

故に、財政破綻である。

 

1986年から、1990年の、インフレ率は、774パーセントである。

 

国家が管理する経済システムを、計画経済という。

国民の生活が、国によって、丸抱えされる、システムである。

しかし、この制度では、簡単に言うと、皆、同じである。つまり、誰もが、皆、同じ服を着て、同じものを食べて、没個性を生きるしかない。

しかし、果たして、そんな生活が、続くだろうか。

まして、世界の状況が、次第に、明らかになる時代である。

 

しかし、計画経済から、市場経済に移行するというのは、ただ事ではない。

 

そのために、必要なインフラの整備などを、考えても、気の遠くなるような、大事である。

 

ベトナムの最大の問題は、今も、解決されていない。

それは、経済の核である、鉄が作れない、石油の精製が出来ず、原油を輸出して、更にそれを、輸入するという。

そして、通貨主権が確率していないことである。

現在の、ドンも、オーストラリアで、造られている。

 

最大の問題は、共産党の一党独裁である。

 

ここで、共産主義の、理想的哲学を云々しても、始まらない。

本当の共産主義によれば、中国や、ソ連とは、違う理想的な、共産主義が、実現するという、アホや、馬鹿の話を、聞いていられる場合ではないのである。

 

ベトナムを、指揮しているのは、20名ほどの、リーダーであるという。極端な、中央政権である。

それも、旧ソ連で、教育された、爺さんたちであるから、万事休すということになる。

すでに、ソ連は、崩壊して、もう、旧ソ連で、学んだものが、生かせる時代ではない。

 

余談であるが、共産主義国家とは、汚職天国国家である。

 

現在の、ベトナムも、ご多分に漏れず、汚職花盛りである。

日本の、ODAによる支援政策で、日本側の代理店が、ベトナムの役人の口利に、大金が、賄賂として動いたという話は、私が、ベトナムに出掛ける前だった。

 

勿論、汚職は、民主国家にも多いが、共産国家は、半端ではないということである。

中国を上げるまでもないが、金持ちは、共産党の幹部に関係する、親子兄弟、親戚である。

 

王制廃止しても、それに変わる存在が、共産主義幹部ということで、話にならないのである。

 

さて、それでは、国民の暮らし、その経済活動は、どのようになっているのか。

 

これをまた、書くのは、大変なことであるが、それを、知らなければ、ベトナムでの、支援活動の道が、見えないのである。

 

極貧から、貧しさへと、言われるが、ベトナムの農村などは、また、極貧に近づいているのである。

 

実は、私がベトナムに興味を、持ったのは、ベトナム戦争ではない。

約、20年前のことである。

日本の、ドックフードの会社が、ベトナムの海岸地方の、小魚を買い漁って、その漁民たちが、それにより、食べ物にも困り、塗炭の生活を強いられていると、聞いた時である。

 

金にあかせて、日本が、とんでもなく、傲慢に振舞っていた時代のことである。

 

申し訳ないなー、と思っていた。

だが、その時期は、私も、金儲けに、奔走していた時期である。

一人で、五人前の仕事をして、普通のサラリーマンの十人前の、年収があった時期である。

 

今は、人に貰って食う生活である。

ホント、人生って、楽しいものである。

今、現在、私の部屋には、人から頂いた米が、50キロある。