天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第7話

ベトナム共産党の、計画経済の話を書いた。

そして、それを、市場経済に移行するという、試みが、なされた。

 

ドイモイ、という、刷新経済である。

今までは、国が、丸抱えでやってきた、国民は、非常に戸惑ったはずである。

何せ、お金など、使用することがなかった人々である。

 

その混乱は、余りある。

1986年12月からの、市場経済の様を、俯瞰してみる。

 

確かに、ドイモイ政策が、軌道に乗り出すと、ベトナムは、少しつづ、インフレから脱し、市場経済システムが、うまく推移して、ある程度の体制が、整えられた。

 

1989年に、東西冷戦状態が、終結して、社会主義は、機能しなくなる。

市場経済を導入して、それを成功させるべく、歩むこと以外に道がないことを、知ることになる。

 

ベトナムは、カンボジアとの、和平の成功もあり、国際社会は、ベトナムに対する、経済制裁を解除して、国際社会への、復帰を促した。

それは、実に、良きことだった。

国際社会から、孤立しては、どうしようもない。

未だに、国際社会から、平気で孤立し、国民を、塗炭の苦しみに、追い込めている、アホな国もある。

 

勿論、共産主義を、掲げて、全体主義にある、国である。

 

最も、ベトナムの、経済を変容させたのは、アメリカとの、関係だった。

 

その前に、1991年に、中越戦争以来断絶していた、中国との国交を正常化している。

 

ベトナム戦争終結して、20年を経た、1995年7月、長い交渉の末に、アメリカとの、国交正常化が、成立した。

その直後、アメリカの承認を受けて、アセアンに加盟することが、許された。

 

これにより、国際社会に、完全復帰したのである。

最大のポイントである。

 

1996年以降は、インフレも、4,9パーセントと、安定する。

年間GDP成長率は、約7パーセント。

一度それが、下がったのは、97年の、タイからはじまった、アジア通貨危機の時である。

 

そして、21世紀に入ると、成長率7,5パーセントと、堅調な経済成長である。

 

一人当たりの、平均所得が、二倍以上になるという状況である。

ドイモイ政策の直後は、一人当たりの、GDPが200ドルだったのが、2006年の、20年後は、約600ドルになるという状態である。

20年で、三倍になるというのは、僥倖である。

 

ただしである。

世界の基準で見ると、年間200ドルというのは、一日50セントであり、一日一ドルという基準を満たしていない、極貧である。

それが、三倍になって、一ドル50セントになったというもので、貧しさは、極貧から、抜け出たということである。

 

ちなみに、日本の場合は、2006年の、一人当たりは、三万五千ドルである。

五十分の一の、GDPである。

 

国連開発計画が、毎年発行している、人間開発指数というもので見れば、日本は、大体、十位以内にあり、ベトナムは、2005年で、177カ国の105番目である。

 

しかし、国民の生活は、確実に、豊かになったといえる。

国民の生活を、ミクロ経済という。

全体経済を、マクロ経済という。

マクロでは、問題があっても、ミクロでは、改善されたと、考えていい。

 

ただし、である。

 

ここからが、ベトナムの大きな、問題である。

 

この、二十年間の経済を、俯瞰すると、発展、成長といっても、実際は、経済の根本を、築いていないというのが、実感である。

 

ベトナム自体が、新たなる産業を起こし、国際的に通用するような、物を生み出していないのである。

発展成長は、単に、外国政府からの、ODA、そして、国際金融機関の融資、外国企業の、直接投資などによるものであり、外国からの、支援や、投資によって、輸出額が、伸びているだけである。

 

その間、ベトナムがやったことは、石油、米、コーヒー、海産物、野菜、果物などの、一次産物の輸出だけである。

 

つまり、ベトナム経済の発展成長とは、幻想なのである。

 

経済成長著しいベトナムの、云々というのは、嘘なのである。

 

ベトナムには、実は、一次産物しか無いのである。

 

原油産出が、年間1200トン以上あっても、自国では、精製出来ず、シンガポールに輸出し、そこで、精製されたものを、輸入しているという、仰天。

 

そして、大規模な製鉄所が無いために、ほとんどの、鉄鋼製品を輸入しているのである。

 

産業化出来ないということは、蓋を開ければ、実は、何も無いということと、同じである。

 

これについては、戦争後遺症を、見なければならない。

実は、ベトナム戦争を、私は、語りたくないのである。

それには、大きな負い目がある。

 

私自身の問題ではない。

日本の、ベトナム戦争に対する、態度と、平和運動をした者どもの、怠慢やるせない、怒りの思いがあるからである。

 

例えば、あの頃、ベトナム戦争反対を掲げた世代は、今、何をしているのだろうか。

青春の思い出として、思い出しているとしたら、アホ、馬鹿、間抜け、もう一つ、ついでに、自害して果てろ、である。

 

平和行進など、誰でも出来る。

サルでも、犬でも、猫でも、出来る。

ベトナム戦争を終結させたのは、誰であろう。

ベトナム人である。

 

途中で、誰も止められなかった。

そして、それは、日本の太平洋戦争にも、行き着く問題なのである、私には。

 

最新兵器の、アメリカとの、戦いに、ベトナム人は、着の身着のままで、戦った。

特に、南で戦う民族戦線のベトナム人は、アメリカ軍から略奪したり、闇市の横流しされた武器を使うという、ゲリラ戦を、戦った。

 

それを、調べて、私は、反吐が出た。

 

アリと象の戦いと、言われたという。

 

それでも、ベトナムは、アメリカを大敗させた。

その、ベトナム人の、戦闘的能力は、どこから、くるものなのかと、私は、ベトナムに、ベトナム人に、非常に興味を持ち、更に、畏敬の思いに溢れた。

 

ベトナム人と、友人になれば、世界に怖いモノ無しであると、思った。

 

嫌でも、ベトナム戦争を見渡し、そして、日本が、ベトナムと、特に友好関係を結ぶことを、考える。

 

タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア、マレーシアなど、東南アジア、東アジアとの、連携が、日本の存続に関わる、大事なのである。

 

そこまで、この、ベトナムの旅日記で、書こうと思っている。

ただし、これが最後のベトナムでははない。

最初のベトナムである。

 

足繁く、ベトナムに通い続ける覚悟があって、こうして、検証して、書くのである。