天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第11話

パタヤでのホテルは、日本から予約していた。

インターネット利用の場合は、割引になるということで、一泊だけを、予約したが、思わぬほどに、格安だった。

一泊、700バーツが、400バーツで、泊まれるのである。

約、1300円である。更に、朝食付である。

それならと、ホテルは、そこに決めて、三泊することにした。

 

ノース・パタヤと、サウス・パタヤの真ん中辺り、中心の少し奥に入った場所である。

そのまま、西に歩くと、ビーチに出る。

ただし、ビーチには、一度だけ、支援物資を担いで行ったのみ。

物売りが、煩いので、一切行かない。

 

朝は、ホテルの朝食で、十分で、昼、夜の食事を、近くの、食堂でする。

現地の人の、食堂である。

 

昼は、麺類を食べた。

好きな麺を指差して、ポークと言えば、豚肉が入り、チキンと言えば、鶏肉が入る。本当は、シーフードにしたいが、庶民の店には、無い。

40バーツ程度である。130円程度。

 

今回は、屋台の果物を、よく買って食べた。

スイカ、パイナップルが、美味しい。

そして、焼きとうきびと、紫芋の焼き芋である。

果物は、10バーツで、焼き芋などは、20バーツ。

 

衣服のバッグを持って、汗だくになり、喉が渇いて、路地の屋台に行き、スイカと、パイナップルを、食べた。

両隣に、麺類と、お惣菜の屋台があった。

一人の女の子が、お手伝いで、小さなビニール袋に、タレを入れて、ゴムで縛っていた。

 

そこで、私が、女の子に合う、可愛い服を取り出して、スタッフに、タイ語で、必要ですかと、言わせた。

すると、傍の母親が、声を上げて、喜んだ。

女の子も、それを、持って笑みを浮かべる。

いい光景である。

 

スタッフが、この辺りに、子供たちは、いますか。

日本から、子供の服を持ってきて、必要な人に、上げていますと、タイ語で言うと、何と、いるという。

どこに。

ここに。

 

ここ。

そう、ここ。私の子供は、男の子が、四人いますと言う。

つまり、男の子の物が、欲しいと、いうこと。

そこで、私は、四本のズボンを出した。

大きさは、どうか。

丁度いい。コープクンカー、ありがとう、と、何度も言う。

 

こんな所で、支援するとは・・・

 

屋台で、物売りする人は、女性が多い。それで、家計を支える。場合によっては、女手一つで、子供を育てている。

 

母親は、感謝の気持ちを、言葉では足りないようで、手を差し出してきた。

握手をした。すると、女の子も、手を差し出す。

その前に、手を合わせて、お礼を言うのである。

 

私は、日本人です、と言うと、両側のおばさんたちも、解る解る、ジャパニーズスタイルと、着物を指す。

 

暫く、立ち話をした。

果物が、甘いとか、名前の知らない果物の、説明を受けたりと。

その大半は、解らない。タイ語である。

 

ズボンを差し上げた母親は、私に、スイカをもう一つと、勧めてくれたが、もう大丈夫と、断った。

次も、又来ますと言って、歩き始めた。

 

気温は、それほど高くないが、物を持って歩くと、汗だくになる。

 

そこは、サウス・パタヤの方面になり、少し町外れになる。

しかし、その小路を歩くと、バーが多い。

こんな場所に、バーがあるよと、スタッフに言うと、そうだそうだ、この辺りだよ、ゲイタウンはと、言う。

よくよく、看板を見ると、良いボーイの店とか、男の何とかという、看板が多い。

 

つまり、地元のゲイの集う場所なのである。

ボーイズタウンである。

街中の、ゲイバーではない。つまり、男の子たちを、売る店ではなく、地元のゲイの出会いの場所なのである。

街中には、ゲイ・ショーパブもあり、男の子たちが、パンツ一つで、舞台で踊り、指名を受けるのを待っているバーもある。

 

私も、一度、そこに飲みに出たいと思っていた場所である。

しかし、結局、夜になると、疲れて、一度も、出かけなかった。

 

だが、昼間は、男の姿より、女の方が多い。

準備のための、掃除などをしているのだろうか。

中には、食事をしている女もいる。

 

オープンにしているので、椅子の腰掛けようと思えば、腰掛けられそうである。

 

しかし、その周辺は、夜になると、テーフルと椅子を出して、本格的ゲイスポットになるようである。

 

パタヤは、ゲイと、レディボーイのことを知らないと、面白くない町である。

 

さて、余談だが、パタヤでは、世界のレディボーイ大会が、行われる。

今、マスコミに出ている、はるな愛という、レディボーイは、そこに出て、四位になったが、実は、日本人で、特別賞を取ったレディボーイがいる。

 

私と同じ、北海道出身で、今は、故郷に帰って、ブログで、色々と書いている。

それは、スタッフが、調べていた。

まだ、レディボーイの存在が、知られていない時期の、快挙を成し遂げた、レディボーイであるとのこと。

 

その、スタッフが、いよいよ、レディボーイの施設への、侵入を果たすために、苦心惨憺して、レディボーイを演じることになったが、どういう訳か、その気になって、パタヤでは、私と同行する以外は、レディボーイとして、通したのである。

 

やれば、やれるものである。

勿論、顔立ちなどに、ある程度の要素が必要であるが、元から、色白なので、うまく化けることが出来たのである。

 

しかし、最初は、放任していたが、一度、その化粧に、私は、つい、アンタ、それなら、レディボーイではなく、吉本になってしまうよと、言った。

レディボーイの前に、お笑いだと、言った。

それは、彼の心を、傷つけたらしく、部屋に戻ってすぐに、顔を洗い、化粧を落とした。

 

悪かったと、思い、私が、化粧の伝授をした。

実は、私は、北海道にいた頃、テレビに十年ほど出ていて、おおよそ、化粧の仕方を知っていた。

 

出演する前に、スタイリストから、化粧されるのである。

私は、男用の化粧が嫌で、いつも、女性ベースにしてもらっていた。

男用の化粧は、顔が少し黒っぽくなるのである。

 

それで、女性ベースの化粧法を、少し知っていた。

また、カウンターテナーの藤岡宣男が、出演前に、化粧をしていたのを、見ているので、自然に覚えたのである。

 

知っているのに、何で早く教えてくれないと、怒りつつ、彼は、私の言うとおりに、化粧をした。

すると、何と、自然な化粧で、美しい女の子の顔になったのである。

成功である。

 

私の教訓。

いつも、自然に化粧をするように。そして、肌のために、潤いを忘れないこと。

絶えず、顔を気にすること。

そうして、話していると、センセイ、もしかして、本当は、化粧したいんじゃないの、である。

 

これで、私が美しくなったら、世の中の人は、どうなるの。

子供、産めないだけで、何でも出来る人になるよ、と、大声で、答えた。

 

力むことはないのだが、疲れが、出始めていたのである。

 

スタッフは、自信を取り戻し、翌日、レディボーイの福祉施設に、一人で、出掛けた。

そして、半日、戻って来なかった。