天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第15話

小西さんと、食事を終わり、小西さんが、私たちに、どこか行きたいところは、無いですかと、尋ねた。

 

私は、首相府の、反政府団体、民主主義市民連合が、集結している場所に、行きたいと言った。

それではと、タクシーに乗り向かった。

外務省からは、危険地区に指定されている。

 

バリケードの張られている、手前で、タクシーを降りて、歩いた。

入り口が、高くなり、簡易の梯子がかけられてある。

そこを、上って、また、降りる。

降りると、身体検査をされた。

危険物の有無を調べるのだろう。

 

それを、終えて、すぐに、出店が続いている。

私たちは、一つの出店で、パタパタと、拍手替わりの、手のオモチャを買う。

一つ、25バーツである。

小西さんは、お子さんの、お土産に買った。

 

私は、その、パタパタを、鳴らして歩いた。

更に、バリケードの中では、演説が、繰り返されていて、時々、歓声が上がり、その、パタパタを、鳴らすので、私も一緒に、鳴らした。

 

そのうちに、両手を上げて、歩いた。

勿論、和服姿の者は、私の一人のみ。

だが、目立つほどではない。

しかし、目を合わせる人は、皆、私に、笑顔を向ける。

 

集会の周辺は、すべて、屋台で、埋まっていた。

この、集まりに、便乗しての、商売もあった。

服屋さんから、一般の屋台の食べ物屋である。

端的に言うと、お祭りである。

 

そして、スピーカーから、演説の声が流れる。

私も、何か演説したい気持ちに、駆られた。

すると、小西さんも、そうだと言う。

何か、意見を述べたくなる気分である。

 

丁度、舞台では、全国から集った、様々な、市民グループの代表が、一人一人、挨拶していたようである。

 

無料炊き出しのコーナーには、人が列を作っていた。

和やかな、反政府運動という、イメージである。

 

だが、私が、帰国した日の、午後、ソムチャイ首相の施政方針演説を阻むために、国会を包囲した、反政府派は、一時、首相や、議員を、閉じ込めることになり、警察が、催涙弾を発砲した。

また、与党の政党本部前の、爆発により、二名が死亡した。

朝からの、負傷者は、400人を、超えたという。

 

簡単に説明すると、ソムチャイ首相は、対話路線を取るつもりだったが、反政府側は、あくまでも、タクシン元首相系の政権の永久追放なのである。

 

反政府派との、仲介役として、副首相に就任した、元首相経験者の、チャワリット副首相も、混乱の責任を取って辞任した。

 

ただ、タイの国会議員は、市民運動に対する、催涙弾などの使用に、反対する者多く、それにより、野党・民主党、上院議員などが、抗議のために、国会に出席せず、演説に対する討論も無かった。

 

ただし、タクシン元首相の追放の時は、五万人の市民が、集ったが、現在は、一万五千人程度で、縮小している。

また、与党側も、進展しない状態に、手詰まり感があり、硬直状態が続く。

 

連立政権なので、野党・民主党と、他の政党が、連立すると、政権交代が、出来るので、それで、一件落着するのではと、私は、見ている。

 

要するに、タクシン元首相が、いかに、国を利用して、金儲けをしたかということである。

そのために、法整備も、整えるという、国を売ると言える、やり方である。

 

タクシンを支持したのは、最も貧しい、東北部・イサーンと、北部である。

金をばら撒き、票を得たと、聞いたが、それは、貸付たのだという。

100バーツで、利息が、1バーツだというから、驚いた。

数である。

金持ちは、どうしても、金持ちになってゆくのである。

 

勿論、医療費無料などの、政策もあるが、単に、税金を投入して、自分には、関係ない。だから、南部に行った時に、タクシンが、遊説に来たら、殺すという者、多々いたのである。

南部に対する、政策は、何もなしなのである。

更に、南部が、最も税金を払っているという、カラクリである。

 

南部のマレーシアに近い、一部では、テロが多発して、独立を求めている。

タイの、イスラム圏である。

 

さて、私たちは、首相府を取り囲んでいる道を、ぐるりと、周り、元の場所に出た。

 

何の、危険なことはなかった。

逆に、タイ、バンコクの市民と、良い交流が出来たと思う。

私の姿は、一度見ると、忘れられないのである。

着物で、素足の日本人である。

 

周辺の道路は、渋滞が続いていた。

ようやく、タクシーを捕まえて乗ったが、中々、先に進まない。

 

あまりに、長くかかったせいか、タクシー運転手が、料金を、まけてくれた。

 

タクシーを降りた側の、喫茶店に入り、小西さんと、スタッフの野中と、三人で、話した。

特別の話ではないが、私は、わざわざ、チェンマイから、私たちに逢うために出て来てくれた、小西さんには、本当に感謝した。

 

朝来て、最終便で、チェンマイに戻るのである。

 

小西さんは、私が、児童買春について、調べたいと言ったことを、心配してくださり、何事かあれば、必ず連絡くださいと言って下さった。

 

更に、バンコクの風俗に関しても、案内して下さると言う。

ハッポン通りなどの、有名風俗街である。

ボーイゴーゴーバーには、男も女も、ボーイを買いに来るという。

その値段は、男より、女が買う方が、倍高いというから、驚きである。

 

ハッポンについては、昔から知っていた。

アジアの女たちを、買い漁った男の手記なども、読んでいた。

売春天国タイという言葉が、出来た時、タイ政府が、その撤回を世界的に、呼びかけたことがある。

 

しかし、貧しい国からは、売春は、無くならない。

振り返れば、敗戦の日本も、戦後長い間、売春で、皆、食いつないできた。

韓国も、売春で、外貨を稼いだ時期がある。

そして、フィリピンも。

 

私は、売春も、文化であると、見ている。

誤解を、恐れずに言えば、食って寝る場所を、確保するために、売春も、堂々たる、仕事であり、労働である。

 

ただし、幼児、児童買春は、別物。

それは、罪である。

幼児、児童は、自分で、選択する力は、無いし、保護される権利がある。

 

児童買春は、人身売買である。

貧しい所から、子供を買い、そして、売る。

買った者は、子供を物として、扱う。

それこそ、基本的人権の無視である。

 

こんなことを、許せるはずがない。

 

だが、問題は、それを、買う者がいるという、現実である。

幼児性愛、児童性愛である。

これらは、治療が必要である。

 

さて、六時を過ぎたので、私たちは、小西さんと、お別れすることにした。

 

タクシーを待つ小西さんに、私は、大丈夫ですかと、言った。

言った後で、大丈夫ですかと、言われるのは、私の方だと笑った。

本当に、笑って別れた。

感謝である。

 

丁度、これを書いていた時、ニュースが入った。

タイの、アヌンポン陸軍司令官が、16日、地元テレビに出演し、国会を包囲した、反政府団体、民主主義市民連合の支持者たちに、警察が、強制排除し、死傷者が出たことに、私が、首相なら、辞任すると、痛烈に首相を非難した。

 

また、地元メディアも、一斉にソムチャイ首相の責任を追及した。

王室、司法も、反政府団体寄りの姿勢を示す。

クーデターについては、介入を否定したが、さらなる衝突の場合は、行政権の停止もありうる、としている。

つまり、軍が介入する可能性である。

また、クーデターを、反政府団体も、望んでいるようである。

 

そして、もう一つの、問題がある。

カンボジアとの、世界遺産であるクメール寺院プレアビヒア周辺の、国境問題である。

両国の軍高官が、共同パトロールの実施で、合意したが、タイ政局の混乱が、紛争激化の、きっかけとなった。

 

タイ政府が、カンボジアによる、寺院の世界遺産に登録申請に、同意したことから、民主主義市民連合が、売国行為と、激しく批判した。

 

更に、市民連合の支持者が、7月15日に、寺院に侵入したことから、両軍の展開という事態を、引き起こしたのである。

 

いずれにせよ、政権存亡の危機的状態である。

寺院自体は、国際司法裁判所で、カンボジア領と認定されている。国際的には、タイの内政混乱が、紛争激化の原因と、見られる。

 

王室、司法も、反政府寄りであるということは、先が見えるのである。

 

タイのプーミポン王は、タイの民主化を望んでいるが、矢張り、王様の指導が必要なのであろうか。

それぞれの、民主化というものがあっても、いい。

タイは、王様主導の民主化であって、いいと思うが・・・