小西さんと、食事を終わり、小西さんが、私たちに、どこか行きたいところは、無いですかと、尋ねた。
私は、首相府の、反政府団体、民主主義市民連合が、集結している場所に、行きたいと言った。
それではと、タクシーに乗り向かった。
外務省からは、危険地区に指定されている。
バリケードの張られている、手前で、タクシーを降りて、歩いた。
入り口が、高くなり、簡易の梯子がかけられてある。
そこを、上って、また、降りる。
降りると、身体検査をされた。
危険物の有無を調べるのだろう。
それを、終えて、すぐに、出店が続いている。
私たちは、一つの出店で、パタパタと、拍手替わりの、手のオモチャを買う。
一つ、25バーツである。
小西さんは、お子さんの、お土産に買った。
私は、その、パタパタを、鳴らして歩いた。
更に、バリケードの中では、演説が、繰り返されていて、時々、歓声が上がり、その、パタパタを、鳴らすので、私も一緒に、鳴らした。
そのうちに、両手を上げて、歩いた。
勿論、和服姿の者は、私の一人のみ。
だが、目立つほどではない。
しかし、目を合わせる人は、皆、私に、笑顔を向ける。
集会の周辺は、すべて、屋台で、埋まっていた。
この、集まりに、便乗しての、商売もあった。
服屋さんから、一般の屋台の食べ物屋である。
端的に言うと、お祭りである。
そして、スピーカーから、演説の声が流れる。
私も、何か演説したい気持ちに、駆られた。
すると、小西さんも、そうだと言う。
何か、意見を述べたくなる気分である。
丁度、舞台では、全国から集った、様々な、市民グループの代表が、一人一人、挨拶していたようである。
無料炊き出しのコーナーには、人が列を作っていた。
和やかな、反政府運動という、イメージである。
だが、私が、帰国した日の、午後、ソムチャイ首相の施政方針演説を阻むために、国会を包囲した、反政府派は、一時、首相や、議員を、閉じ込めることになり、警察が、催涙弾を発砲した。
また、与党の政党本部前の、爆発により、二名が死亡した。
朝からの、負傷者は、400人を、超えたという。
簡単に説明すると、ソムチャイ首相は、対話路線を取るつもりだったが、反政府側は、あくまでも、タクシン元首相系の政権の永久追放なのである。
反政府派との、仲介役として、副首相に就任した、元首相経験者の、チャワリット副首相も、混乱の責任を取って辞任した。
ただ、タイの国会議員は、市民運動に対する、催涙弾などの使用に、反対する者多く、それにより、野党・民主党、上院議員などが、抗議のために、国会に出席せず、演説に対する討論も無かった。
ただし、タクシン元首相の追放の時は、五万人の市民が、集ったが、現在は、一万五千人程度で、縮小している。
また、与党側も、進展しない状態に、手詰まり感があり、硬直状態が続く。
連立政権なので、野党・民主党と、他の政党が、連立すると、政権交代が、出来るので、それで、一件落着するのではと、私は、見ている。
要するに、タクシン元首相が、いかに、国を利用して、金儲けをしたかということである。
そのために、法整備も、整えるという、国を売ると言える、やり方である。
タクシンを支持したのは、最も貧しい、東北部・イサーンと、北部である。
金をばら撒き、票を得たと、聞いたが、それは、貸付たのだという。
100バーツで、利息が、1バーツだというから、驚いた。
数である。
金持ちは、どうしても、金持ちになってゆくのである。
勿論、医療費無料などの、政策もあるが、単に、税金を投入して、自分には、関係ない。だから、南部に行った時に、タクシンが、遊説に来たら、殺すという者、多々いたのである。
南部に対する、政策は、何もなしなのである。
更に、南部が、最も税金を払っているという、カラクリである。
南部のマレーシアに近い、一部では、テロが多発して、独立を求めている。
タイの、イスラム圏である。
さて、私たちは、首相府を取り囲んでいる道を、ぐるりと、周り、元の場所に出た。
何の、危険なことはなかった。
逆に、タイ、バンコクの市民と、良い交流が出来たと思う。
私の姿は、一度見ると、忘れられないのである。
着物で、素足の日本人である。
周辺の道路は、渋滞が続いていた。
ようやく、タクシーを捕まえて乗ったが、中々、先に進まない。
あまりに、長くかかったせいか、タクシー運転手が、料金を、まけてくれた。
タクシーを降りた側の、喫茶店に入り、小西さんと、スタッフの野中と、三人で、話した。
特別の話ではないが、私は、わざわざ、チェンマイから、私たちに逢うために出て来てくれた、小西さんには、本当に感謝した。
朝来て、最終便で、チェンマイに戻るのである。
小西さんは、私が、児童買春について、調べたいと言ったことを、心配してくださり、何事かあれば、必ず連絡くださいと言って下さった。
更に、バンコクの風俗に関しても、案内して下さると言う。
ハッポン通りなどの、有名風俗街である。
ボーイゴーゴーバーには、男も女も、ボーイを買いに来るという。
その値段は、男より、女が買う方が、倍高いというから、驚きである。
ハッポンについては、昔から知っていた。
アジアの女たちを、買い漁った男の手記なども、読んでいた。
売春天国タイという言葉が、出来た時、タイ政府が、その撤回を世界的に、呼びかけたことがある。
しかし、貧しい国からは、売春は、無くならない。
振り返れば、敗戦の日本も、戦後長い間、売春で、皆、食いつないできた。
韓国も、売春で、外貨を稼いだ時期がある。
そして、フィリピンも。
私は、売春も、文化であると、見ている。
誤解を、恐れずに言えば、食って寝る場所を、確保するために、売春も、堂々たる、仕事であり、労働である。
ただし、幼児、児童買春は、別物。
それは、罪である。
幼児、児童は、自分で、選択する力は、無いし、保護される権利がある。
児童買春は、人身売買である。
貧しい所から、子供を買い、そして、売る。
買った者は、子供を物として、扱う。
それこそ、基本的人権の無視である。
こんなことを、許せるはずがない。
だが、問題は、それを、買う者がいるという、現実である。
幼児性愛、児童性愛である。
これらは、治療が必要である。
さて、六時を過ぎたので、私たちは、小西さんと、お別れすることにした。
タクシーを待つ小西さんに、私は、大丈夫ですかと、言った。
言った後で、大丈夫ですかと、言われるのは、私の方だと笑った。
本当に、笑って別れた。
感謝である。
丁度、これを書いていた時、ニュースが入った。
タイの、アヌンポン陸軍司令官が、16日、地元テレビに出演し、国会を包囲した、反政府団体、民主主義市民連合の支持者たちに、警察が、強制排除し、死傷者が出たことに、私が、首相なら、辞任すると、痛烈に首相を非難した。
また、地元メディアも、一斉にソムチャイ首相の責任を追及した。
王室、司法も、反政府団体寄りの姿勢を示す。
クーデターについては、介入を否定したが、さらなる衝突の場合は、行政権の停止もありうる、としている。
つまり、軍が介入する可能性である。
また、クーデターを、反政府団体も、望んでいるようである。
そして、もう一つの、問題がある。
カンボジアとの、世界遺産であるクメール寺院プレアビヒア周辺の、国境問題である。
両国の軍高官が、共同パトロールの実施で、合意したが、タイ政局の混乱が、紛争激化の、きっかけとなった。
タイ政府が、カンボジアによる、寺院の世界遺産に登録申請に、同意したことから、民主主義市民連合が、売国行為と、激しく批判した。
更に、市民連合の支持者が、7月15日に、寺院に侵入したことから、両軍の展開という事態を、引き起こしたのである。
いずれにせよ、政権存亡の危機的状態である。
寺院自体は、国際司法裁判所で、カンボジア領と認定されている。国際的には、タイの内政混乱が、紛争激化の原因と、見られる。
王室、司法も、反政府寄りであるということは、先が見えるのである。
タイのプーミポン王は、タイの民主化を望んでいるが、矢張り、王様の指導が必要なのであろうか。
それぞれの、民主化というものがあっても、いい。
タイは、王様主導の民主化であって、いいと思うが・・・
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