天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第20話

世界的に見ても、グローバル化が進み、世界が単一市場になると、貧富の差が激しくなる。

 

私の訪れた、ホーチミンは、急速な勢いにて、外資の導入が行われたことにより、他のベトナムとは、違う。

高級ホテルや、デパートは、欧米、日本と、何も変わらない。

 

しかし、中部の、農村地帯は、まだ極めて貧しい。

更に、その高原地帯の少数部族は、より深刻な貧しさである。

飢餓寸前の生活を送る人もいるという。

 

平等という言葉ほど、ベトナムに合う言葉は、無い。

それがあったから、ベトナムは、やってきたのである。

 

つまり、社会主義の精神が、ベトナム流に解された。

30年以上に渡る戦争である。

その間、庶民は、貧しさは、分かち合うもの、そして、そこから、相互に助け合う、扶助の精神が生まれたのである。

 

今は、具体的に書くことは出来ないが、ベトナムの人は、一部の人が豊かに成るよりも、全体が平等の方が理想だと、考えている。それは、今もある。

それが、ベトナムを救うのである。

 

同じ社会主義でも、他の社会主義とは、別物である。

国民レベルにおいて行われる、社会主義である。

支配する者の、社会主義ではない。それは、おおよそ、全体主義に陥る。更に、幹部のための、主義になる。

 

しかし、問題がある。

矢張り、戦争の後遺症である。

同じ民族が戦った内戦でも、あったということである。

家族でも、南と、北として、戦うこともあったという。

 

平等思想は、特に北に属する人に共有されるが、南の人とは、別物である。

地域による、政治的、社会的格差というものを、考えなければならない。

 

簡単に言う。

経済的に貧しい、北の社会主義が、豊かな、南の資本主義を破った戦争であり、北の人が、目にしたのは、サイゴンの、豊かさに溢れ、繁栄した街である。

そこに、北の幹部が大挙して、移住し、公的機関の職務に就いた。

そして、強制的に、社会主義の名の元、南の人を追い出して、自分たちのものにした。それは、勝者である行動である。

 

更に、悲劇は、社会主義の、最も悪い面である、旧南政府や、軍関係者を、再教育と、称して、強制収容所に入れて、何年間も、強制労働と、思想改造に、従事させたことである。

 

この行為は、南の人から見ると、占領軍同様に、見えた。

共産党という、占領である。

更に、北と、共に戦った、南ベトナム解放戦線は、戦争中は、その存在を主張したが、前後は、冷遇された。

 

これは、実に、共産党の悪趣味を見る思いであるが、解放戦線という組織は、実は、共産党の秘密党員で構成された、党の別部隊であったと、宣言したのである。

それは、共産党以外の、愛国主義を基盤にして、解放戦線に参加した南の人の、主体性を、否定したものである。

 

勝利に導いたのは、共産党であるという、喧伝である。

 

解放戦線に、参加した人々には、勲章以外、何の特典も、保障もなかった。

それは、勝利を独占する行為であり、その共産党の姿勢に、失望したのである。

 

更に、共産党は、南の政府関係者、主なる者たちの、子弟には、大学の入学資格を、認めなかった。

この、処置が、中国系の人、南政府関係者の家族たちを、ボートピープルとさせた。

 

南の人は、北の共産党が、南を征服したのであると、考えるようになるのである。

その、しこり、は、戦後30年を経ても、解消されていない。

 

しかし、南の政治的敗者である事実がある反面、経済的には、南の方が、急速に発展しているという事実。

その社会も、階層化が進み、利害関係も多様化しているのである。

 

全体から見ても、南は、北より、益々豊になり、その格差は、四倍から、六倍といわれる。

 

さて、そこで、ドイモイ政策という、市場経済を導入した、ベトナムは、政治的に、市場経済を主導できる状態ではないと、思われる。

 

問題は、頭の切り替えである。

共産主義による、共和制では、もはや、先に進まないのは、目に見えている。

民主化である。民主共和国である。

 

貧しさを分かち合う社会主義から、豊かさを競い合う資本主義への移行は、社会主義では、動きが取れない。

 

今、ベトナムは、社会主義時代の、生活保障が、廃止され、資本主義社会で、発達した、社会保障は、国家財政不足のために、全く導入されない。

 

つまり、粗野な資本主義であり、新しい風、新しい考え方を、取り入れなければ、成り立たないのである。

 

更に、である。

共産党員になる者が、激減しているのである。

特に、若い世代では、極端に少ない。

党員になると、特典、特権が、一杯与えられるというのに、である。

 

特に、都会の若者には、人気が無い。

当然である。

党の方針に、忠実に従うことを、求められる。

個人的な、自由な発言、思考が、制限される。

更にである、マルクス・レーニン主義、共産党の歴史などを、義務として、強制されて、学ばせられるのである。

 

研究者ならば、わかるが、すでに、終わった、主義を、学んで、どうするのか。

それは、宗教の教義や、誇大妄想の指導者が、行う方法である。

 

思考停止にするというのは、最大の悪である。

 

世界の情報が、手に入る時代、若者は、見抜いている。

キャリアとして、共産党に入ることは、将来的に、マイナスになるだろうと。

それは、終わったものである、という意識からだ。

 

また、南では、共産党に入ることは、一種の裏切り行為ともなる。

北は、南を、占領した敵だとの、意識であるからだ。

 

ここでは、これ以上、書くことは、出来ないが、共産党員の特典など書くと、驚くべき、実態が見えるのである。

 

共産国は、賄賂天国だと、言った。

ベトナムも、然り。

 

バンコクから、再度、ホーチミンに着いて、市内に出るため、入国することにした。

その時に、税関に出す用紙を提出する。

半券を貰う。

それを、出国の際に、提出する。

 

今回、スタッフの野中が、出国の際に、それを、見失った。

探していると、係員が、早く来いと、急かす。

賄賂を受け取る、チャンスと、見た。

 

半券が無い。

10ドルである。

どうでもいいような、半券である。それを、回収する作業に、必ず無くす人もいるとの、想定で、賄賂を得られるのである。

 

ベトナム、いや、共産国は、この手の、作業が多い。

日本では、お役所仕事とでも、言うか。

 

実は、その時、私は、スタッフを、怒鳴り散らして、その対応を見たいという、欲求に駆られたが、穏便にという、目標を立てたので、その場を去った。

待合室で、半券が出て来た時も、再度、行って、10ドルを、取り戻そうかとも、思ったが、いやいや、次のチャンスがあると、止めた。

これから、長い付き合いを、しなければならないのである。