木村山旅
 沖縄・渡嘉敷島へ
 
平成20年
 12月
 

 第3話

おじんさお姉さんの、マスターは、渋谷で、30年近く、ゲイバーをしていたという。

 

親の看病が、終わり、渋谷の店を閉めて、暖かい、沖縄に移住して、ゲイバーを開店した。

この辺りには、30件ほどの、ゲイバーがあるという。

驚きである。

 

マッサージバーもあり、売り専、つまり、ボーイを売る店もあるが、広告は、していないという。那覇は、また、沖縄は、島であるから、狭い。故に、すぐに、知れ渡るという。観光客向けに、それらは、あるという。

 

マスターは、私に、色々と、沖縄の情勢を語って聞かせた。

 

仕事は、ない事はないのよ。

ただ、希望が無いの。

店員、下働き、単純労働など、希望が、持てる仕事がないのよ

将来に、何か、出来るというものが、何も見えないの

ただ、それで、生活するのみなのよ

 

ところで、観光なの

いえ、ちょっと、やることが、あって

そう

マスターは、それ以上、聞かない。

深入りしない。それが、礼儀である。

 

ここに来て、お客の来ない日があるということを、知ったわ

どうしょうかと、思った

でも、すぐに慣れたわ

そのうちに、年金が貰えるようになるし、ね

その年金で、なんとか、生きていけると思う

 

彼は、親の死を看取り、責任を果たしてから、沖縄に来たのである。

一人暮らし。

ただ、周囲の、つまり、ゲイバーのつながりがあり、孤独ではない。

 

私に、しきりに、他の店に行くように言う。

私の店では、相手が、探せないよと、言う。

 

更に、ボーイを売る店の、連絡先まで、教えてくれた。

 

そのうちに、一人のお客が、来た。

名古屋で、仕事をしている、以前のお客のようだ。

二人の会話を、聞いていた。

ストレスによる不調で、検査入院するらしい。

 

泡盛の水割りを飲んでいた私は、もう、それで十分で、そろそろ、ホテルに戻ろうと、思った。

 

若いお客は、私にも、聴いて貰いたいかのように、名古屋での、仕事のストレスを大声で、話した。

私は、名古屋は、大変ですねーと、言った。すると、彼は、息もつかずに、べらべらと、喋るのである。

 

暫く、彼の話を聞いて、私は、店を後にした。

 

自分が、どこにいるのか、解らない。

タクシーを捕まえて、乗り込み、行き先を告げる。

 

あっという間に、ホテルに着いた。あまり、遠くない場所だった。

私は、凄く疲れた。

 

マスターの話の内容を、反芻していた。

 

余程、意識していないと、頭が、馬鹿になるという、言葉が、思い出された。

沖縄の新聞や、情報を得るだけだと、日本の様子が、解らないというものだった。

 

日本であるが、日本とは、遠いのである。

非常に印象的だった。

 

部屋に戻った時は、十時を過ぎていた。

明日の、フェリーは。十時発である。

私は、シャワーを浴びて、すぐに寝ることにした。

 

明日は、この旅の目的である、慰霊をするのである。

ところが、中々、寝付けない。

だが、酒を飲む気になれない。

 

何となく、時間を過ごした。ついに、深夜十二時を過ぎた。

 

実は、慰霊に出掛ける、十日前ほどから、体調が、おかしかったと書いた。

それは、初日の一晩で、収まった。

こういうことは、慰霊の前に、よくあることである。

霊的感応とでも、言う。しかし、それは、大したことではない。当然である。別次元の方々に対処するのである。

 

更に、慰霊の後にも、あることもある。

 

私の場合は、単純に慰霊であるから、特別な能力云々ではない。

鎮魂の作法というものが、古神道の奥義にはある。

私は、それを、否定しない。しかし、奥義を知らないから、出来ない、慰霊が出来ないというならば、それは、誤りである。更に、傲慢である。

 

あることに、気づいた人は、それぞれの、方法で、慰霊に望む。

誰が、よくて、誰が悪いということは、全く、欄外である。

 

私の他にも、多くの人が、自発的に、慰霊の行為を行っていることを、知っている。

 

ただし、ある程度の覚悟は、必要である。

強い霊媒体質の人、あるいは、強い感受性の人も、注意が必要である。

一時的に、憑依現象が、起こることがある。

 

私の友人の知り合いに、精神科医で、沖縄慰霊をしている人がいる。

それは、沖縄の患者さんを診察した時に、気づいたという。

 

その、患者さんに、女学生で、亡くなった、60名程の、霊位が、感応していたという。つまり、憑依である。

精神的不調の原因が、それだった。

それから、その、精神科医は、沖縄慰霊を、はじめたという。

 

色々な、気づきの、きっかけがある。

 

さて、私は、寝た。

ベッドに横になっているうちに、眠った。

 

朝、起きると、八時を過ぎていた。

珍しいことである。

私は、五時から、遅くても、六時前には、目が覚めるのである。

 

以前にも、書いたが、ホテルの部屋では、よく眠られる。

何もないからだ。

本も、パソコンもない。それに、旅には、本を持って歩かない。何も、しないのである。

だから、ホテルでは、寝るしかない。

テレビは、全く見ない。

テレビを見ると、感性が、鈍る。私の場合は、である。

音楽も聴かない。

 

思いついて、歌を詠む程度である。

しかし、歌を詠みはじめと、時に、終わらないことがある。

 

西行の、自然発露の歌を、好むが、そういう時は、定家のように、観念的な歌になってくる。

 

藤原定家は、部屋で、呻吟して、歌を詠んだ。

西行は、歩きつつ、鼻歌のように、歌を詠んだ。

 

どちらも、大歌人である。

 

技巧、作為の無い歌を、詠みたいと、いつも、思うが、頭が悪いせいか、つい、いい振りこいて、巧い歌を詠みたいと思うという、愚かさである。

 

こういうのを、囚われという。

捨ててしまう歌である。適当に詠んでいれば、いいのだと、いつも、自分言い聞かせている。