私が、最初に沖縄に出掛けたのは、15年ほどまえである。
その時、私は、沖縄本土より、与那国島へ行きたいという気持で、本土を経て、石垣島を通り、出掛けた。
本土には、泊まっていない。
当時、舞踊を教えていて、与那国島の踊りというか、与那国島を歌ったものに、振りをつけて、教えていた。それで、非常に興味を持ち、出掛けた。
与那国島には、三泊した。
最初の夜である。
民宿の一人部屋に寝た私は、深夜、目覚めた。
兎に角、非常に強い、恐怖心で、目覚めたのである。
こんなに、怖いという感情を持ったことはなかった。
しまいに、私は、本日一緒に飛行機に乗っていた、青年の部屋に行き、事情を話して、一緒の部屋にしてもらおうかとも、思ったほどである。
その恐怖が、30分ほど続き、もう駄目だと、思った時、スーッと、その恐怖心が無くなった。
不思議だった。そしてもそのまま、眠ってしまった。
私の部屋の前に、大きな人間が立っていると、感じたのである。
とても、強い波動であった。
それが、理解できたのは、その、民宿から出て、別の民宿に移り、島の歴史を記した、山に登った時である。
その島の、酋長は、女だった。それも、大きな女だったという。
その、山の洞窟に出掛けて、それを知り、納得した。
そして、私は、更に、山に登った。
山といっても、野原のような、感覚である。
山の、頂上というか、広い原っぱに出た時、大きな石、平たい大きな石を見つけた。
更に、平たい石が、縦に並び、一つの石だけが、横にある。
その石を見た時、そこで、なにがしかの行為が、行われていたと、感じた。
神聖な場所であるという感覚である。
私は、そこで、全裸になった。
強い日差しの中である。
兎に角、裸になりたいのである。
誰も、いない。
そこからは、青い海と、青い空が見渡せる。
石の上は、熱く、私は、葉を敷いて、そこに寝た。
空を見上げて、寝ていた。
石垣島からの、飛行機が見えた。
30分程して、私は、衣服を着て、その場を離れた。
不思議な感覚である。
そして、何度も海に入り、泳いだ。
泳いだというより、海に体を浸した。
美しい魚たちと、共に、海にいるのが、楽しかった。
石垣島で、飛行機に乗り換えて、那覇に向かった。
そのまま、千歳まで、帰る予定であった。
当時の那覇空港は、大きな小屋という、イメージだった。
沖縄蕎麦を食べて、千歳行きを、待っていた記憶がある。
その時、私は、沖縄慰霊をするなどとは、考えることもなかった。
戦争犠牲者の追悼慰霊をはじめて、二年が過ぎた。
東南アジアの各地を回る。
その時、いずれ、沖縄に出掛けようと、思うようになる。それは、必然だった。
今回、今まで調べていた、戦争犠牲者のことなどから、沖縄に関しても、調べ、更に、戻ってきてからも、沖縄に関するものを、読んでいる。
集団自決に関する、報告書や、レポートも、読んだ。
そして、確実に、私が感じるものは、何かと思った。
私は、集団自決と共に、更に悲しんだことは、沖縄の市民が、日本兵に、射殺、虐殺されていることだった。
兵士と、市民の死者数が、同じだと、書いた。
その、犠牲者の一部は、日本兵に殺されているという、事実である。
スパイ容疑ということである。
つまり、一般市民が、アメリカ軍に、投降、あるいは、助けてもらうという、行為を取る時、彼らは、スパイとして、殺されたということである。
それは、渡嘉敷島でも、同じだった。
ある濠では、男たちが、全員日本兵に連れ去られて、殺されているという事実である。
日本の、敗戦を予感した、日本兵、及び、その将校たちは、精神に異常をきたしたと、思われる。
ケラマ諸島から、市民がアメリカ軍に保護されて、連れて来られた。それを、見て、投降する、者もいたが、途中で、捕まり、スパイとして、殺されている。
今回、私は、男たちが、連行されたという、建物を教えてもらった。
どことは、書かないが、あまりに、無残である。
この一つ一つを、検証すると、戦争犠牲者の追悼慰霊という行為の、更なる重要性を感じる。
沖縄には、ユタという、霊能者がいる。
女ヤタ、男ユタもいる。
沖縄は、精神疾患の者が多数いる。それは、日本一と言える程である。
多くは、霊的障害である。
つまり、沖縄戦による、霊的存在に対する所作が、お座なりにされているといえる。
本来は、ユタの皆さんに、総慰霊を求めたい。
だが、ここでも、沖縄の悲劇がある。
敗戦から、アメリカ統治、そして、日本返還という中で、沖縄の世論を作り上げてきたのは、左翼系、左派である。
彼らは、霊的能力というものを、知らない、認めない、非科学として、排斥した。
激しい反日と、そのような、霊的所作を認めないという、暴挙により、追悼慰霊の所作が、行われていないと、判定する。
更に、複雑なのは、沖縄の差別である。
本土は、八重山諸島と、奄美を差別する。
琉球王国は、八重山を搾取し続けてなった、王朝である。それが、そのまま、潜在的に、残っている。
私は、沖縄の人が、やまとの天皇を認めないという心境を理解する。また、それを、支持する。
薩摩藩が、沖縄を支配したと、思っていた時期も、沖縄は、中国にも、恭順を示していた。中国の一部の人は、沖縄は、中国の物だと言う人もいる。
さて、この複雑な沖縄という、国にあって、どのように対処するのか。
私は、ただ、慰霊の行為のみである。
沖縄の複雑な、歴史的背景には、入って行くことが出来ない。
私は、一人の、ヤマトンチューとして、慰霊の行為を、続ける。
最後に、何故、昭和天皇を、御呼びしたかである。
昭和天皇の、慙愧は、余りある。
昭和天皇は、沖縄を、売ったからである。
証拠がある。
本土、この場合は、日本本土を、守るために、沖縄を、犠牲にした。
昭和天皇は、どうしても、沖縄に来て、お言葉を、述べたかったのである。
それが、私には、
朕の不徳のなる、深く天下に愧ず
である。
世界の君主が、自らの非を認めることは、決して無い。
何故、昭和天皇が、自らの非を、認めることが、出来たのか。それは、皇祖皇宗という、日本国の、祖先の霊位があるからである。
皇祖皇祖の前には、天皇も、一人の民の代表である。
国民は、皇祖皇宗と、向き合い、天皇は、そこに、横になって、座する。
それが、正式な、作法である。
天皇が、神の座にあるというのは、特別、特殊な儀式による。
新嘗祭である。おおにあえまつり、である。
そして、天皇の位に就く時である。
更に、鎮魂の作法というものが、あった。今は、それが、途絶えて久しい。
その時、天皇は、皇祖皇宗と、共に、日本の祖先の霊位と共にある。
現人御神である。あらひとみかみ、である。
ちなみに、国民は、現人神である。あらひとがみ、である。
伝統である。
私は、沖縄が、天皇を認めないとするならば、それを、支持すると言った。
それで、沖縄が、平穏ならば、是非もなし。
私は、日本の皇祖皇宗を、世界の祖先になどという、つもりは、毛頭無い。
そして、あっては、いけないのである。
更に、日本の皇祖皇宗は、排他的でも、非寛容でもない。
だから、太陽に示される。
天照る大神であらせられる。
私は、目に見える、神であると言う。
太陽である。
もう一つ、おまけに、言えば、太陽が一瞬死滅すれば、地球は、即座に死滅する。
自然を拝する、日本列島の民族は、実に真っ当であったと、私は、喜んでいる。
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