追いかける
児らの必死の
形相に
ただ哀しくて
あはれに泣く
今着てる
ものがすべてと
児らが言う
支援衣服の
足りなくてあり
街の至るところに、路上生活の人がいる。
ただ、一定していない。
あの、二人の男の子が寝ていた所と、翌日行くと、もう、姿がない。
移動しているのだろうか。
海沿いの道路の、車道を分ける、大きな歩道に、点々として、生活している人たちがいる。
その一つの、家族に、衣服を持って行った。
三世代の路上生活者であった。
おばあさん、と、その子と、孫である。
大人用のものもあり、手渡した。
すぐに、打ち解けて、一緒に写真まで、撮った。
今度は、いつ来るのかと、問われて、しばし、佇む。
半年後と、ようやく、答えて、そんな予定は、無いのだが、喜ばせる。
それだけで、喜んでくれる人はいいが、一度、歩道に寝ている人たちの所に、出掛けた時、食べ物を求められた。
何度か、そういう人たちに出会った。
哀しいが、それをすると、キリがなくなるのである。
一度、朝、路上生活の人々が、並んでいるのを、見た。
何をするのとか、待っていると、食べ物の、提供が、はじまった。
ご飯と、汁物である。
それを、それぞれが、持ってきた、袋や、コンビニの、ゴミ箱にある、カップに、ご飯、汁物と、注いで、もらう。
女親と、女の子は、それを受け取ると、無我夢中で、食べた。
母親は、顔に、ご飯粒がついていることも、気づかない。
壮絶な姿だった。
顔付きを見ると、混血が多い。
フィリピンで、良い生活をと、思えば、政治家か、公務員にならなければならない。
公務員になるには、ツテが必要である。
アホでも、ツテがあれば、公務員になれる。
しかし、何も無い人は、学歴を持つことが、唯一の道である。
一個、30ペソ、60円の、ハンバーグの車屋台を出している青年は、人がいない時に、一生懸命勉強している。
お金を貯めて、学校に行き、卒業するためだ。
しかし、フィリピンにいては、職にありつけない場合は、海外に出る。
英語と、学歴で、海外で、職を探す。
私達は、マニラの、観光地である、エルミタ・マラテ地区から、高架鉄道の先端の、空港寄りの、バクラランという町に出掛けた。
行くときは、ジプニーに乗った。
大変な道だった。
汚く、臭い空気を吸いつつ、30分以上もかかった。
バクラランでは、あまりの、人並みに驚いたが、そこに住む人々の、生活にも、驚いた。
ゴミ箱のような、街である。
市場が広がっているが、そこに、住む家々は、地震がきたら、一変に倒壊してしまうであろう、建物である。
一件の、出店で、ジュースを飲んだ。
住宅街である。
二人の姉妹が、近づいて来た。
そして、下の女の子が、手を出して、一ペソという。
ずっうと、一ペソと言い続けたが、私は、上げなかった。
ただ、溜息ばかりである。
姉妹は、血が違う。
上の子は、白人系の血であり、下の子は、アジア系である。
路上をうろつく、女の子たちが、児童買春の、手にかかる。
連れ去られて、人身売買されるのである。
兎に角、言えることは、政治である。
政治機能の、確実さである。
児童買春撲滅には、法整備が欠かせない。
フィリピンに、麻薬を運び入れる者は、死刑ですと、税関の、記入書に、書かれてある。
同じように、児童買春は、死刑ですと、書くべきである。
女の子たちは、ある程度の、年齢になると、路上から、姿を消す。
売春婦になるのだ。
コータが、変なおじさんから、強引に売春斡旋を受けた時、17歳の、処女は、どうだと言われて、幾らかと、尋くと、500ドルと言われた。五万円である。
コータは、それを買う者がいるのかと、尋くと、日本人なら、買うと答えたという。
コータは、断るのに、何と、私は、おかまなのと言ったという。
それ以来、そのおじさんと会うと、おかまと、罵倒されるという。
フィリピンでも、おかま、という言葉が通用する。
自ら、おかまと、名乗る男もいる。
そして、また、おかまは、多い。
コータが、美容室に行くと、自ら、おかまという、ボーイが相手したという。
明確な、女装をする訳ではない、レディボーイである。
ゲイ専門の、売春夫もいる。
また、ゲイのために、サービスするマッサージさんもいる。
男の、マッサージさんを頼むと、ゲイと、認識される。
であるから、そういうサービスをして、チップを求める者がいる。
フィリピンで、マッサージをするには、エステ系か、マッサージのみの、専門の店である。
盲人だけの、マッサージ店に出掛けた。
一時間、350ペソ、700円である。
実に、上手で、日本の指圧式に近いものだった。
ここに決めて、もう一度と、思ったが、何せ、冷房の効き過ぎで、寒いのである。
それが、難点で、一度だけで、終わった。
エステ系では、オイルマッサージを受けた。
真面目な女で、黙々と、丁寧に、やってくれた。
一月、一万程度の給料で、一人の子供を育てる、母子家庭である。
500ペソ、1000円である。
食事も、ホテルの部屋でするようになった。
スパーから買い物して、それを、食べる。
旅の間の食事は、楽しみであるが、フィリピン料理の、本当の姿が解らないうちに、帰国した。
確かに、街中の地元の人が行く、食堂のものを、何度も食べたが、豚、鶏肉、魚料理である。
一番、私が好きになったのは、春雨である。
しかし、漠然とした、味付けであり、ぴったりこなかった。
日本のラーメン屋は、多い。
ところが、値段が高い。
勿論、日本のラーメンよりは、安いが、フィリピン価格だと、高いのである。
280ペソ、約600円である。
それに、飲み物を入れて、サービス料10パーセントがつくと、日本のラーメンと、変わらない値段になる。
一人、千円以上になると、高いのである、私には。
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