木村天山旅日記

 フィリピンへ
 
平成21年
 1月
 

 第11話

追いかける

児らの必死の

形相に

ただ哀しくて

あはれに泣く

 

今着てる

ものがすべてと

児らが言う

支援衣服の

足りなくてあり

 

街の至るところに、路上生活の人がいる。

ただ、一定していない。

あの、二人の男の子が寝ていた所と、翌日行くと、もう、姿がない。

移動しているのだろうか。

 

海沿いの道路の、車道を分ける、大きな歩道に、点々として、生活している人たちがいる。

その一つの、家族に、衣服を持って行った。

三世代の路上生活者であった。

 

おばあさん、と、その子と、孫である。

大人用のものもあり、手渡した。

すぐに、打ち解けて、一緒に写真まで、撮った。

 

今度は、いつ来るのかと、問われて、しばし、佇む。

半年後と、ようやく、答えて、そんな予定は、無いのだが、喜ばせる。

 

それだけで、喜んでくれる人はいいが、一度、歩道に寝ている人たちの所に、出掛けた時、食べ物を求められた。

何度か、そういう人たちに出会った。

 

哀しいが、それをすると、キリがなくなるのである。

 

一度、朝、路上生活の人々が、並んでいるのを、見た。

何をするのとか、待っていると、食べ物の、提供が、はじまった。

ご飯と、汁物である。

それを、それぞれが、持ってきた、袋や、コンビニの、ゴミ箱にある、カップに、ご飯、汁物と、注いで、もらう。

 

女親と、女の子は、それを受け取ると、無我夢中で、食べた。

母親は、顔に、ご飯粒がついていることも、気づかない。

壮絶な姿だった。

 

顔付きを見ると、混血が多い。

 

フィリピンで、良い生活をと、思えば、政治家か、公務員にならなければならない。

公務員になるには、ツテが必要である。

アホでも、ツテがあれば、公務員になれる。

 

しかし、何も無い人は、学歴を持つことが、唯一の道である。

 

一個、30ペソ、60円の、ハンバーグの車屋台を出している青年は、人がいない時に、一生懸命勉強している。

お金を貯めて、学校に行き、卒業するためだ。

 

しかし、フィリピンにいては、職にありつけない場合は、海外に出る。

英語と、学歴で、海外で、職を探す。

 

私達は、マニラの、観光地である、エルミタ・マラテ地区から、高架鉄道の先端の、空港寄りの、バクラランという町に出掛けた。

 

行くときは、ジプニーに乗った。

大変な道だった。

汚く、臭い空気を吸いつつ、30分以上もかかった。

 

バクラランでは、あまりの、人並みに驚いたが、そこに住む人々の、生活にも、驚いた。

ゴミ箱のような、街である。

市場が広がっているが、そこに、住む家々は、地震がきたら、一変に倒壊してしまうであろう、建物である。

 

一件の、出店で、ジュースを飲んだ。

住宅街である。

二人の姉妹が、近づいて来た。

そして、下の女の子が、手を出して、一ペソという。

ずっうと、一ペソと言い続けたが、私は、上げなかった。

 

ただ、溜息ばかりである。

姉妹は、血が違う。

上の子は、白人系の血であり、下の子は、アジア系である。

 

路上をうろつく、女の子たちが、児童買春の、手にかかる。

連れ去られて、人身売買されるのである。

 

兎に角、言えることは、政治である。

政治機能の、確実さである。

児童買春撲滅には、法整備が欠かせない。

 

フィリピンに、麻薬を運び入れる者は、死刑ですと、税関の、記入書に、書かれてある。

同じように、児童買春は、死刑ですと、書くべきである。

 

女の子たちは、ある程度の、年齢になると、路上から、姿を消す。

売春婦になるのだ。

 

コータが、変なおじさんから、強引に売春斡旋を受けた時、17歳の、処女は、どうだと言われて、幾らかと、尋くと、500ドルと言われた。五万円である。

コータは、それを買う者がいるのかと、尋くと、日本人なら、買うと答えたという。

 

コータは、断るのに、何と、私は、おかまなのと言ったという。

それ以来、そのおじさんと会うと、おかまと、罵倒されるという。

 

フィリピンでも、おかま、という言葉が通用する。

自ら、おかまと、名乗る男もいる。

そして、また、おかまは、多い。

 

コータが、美容室に行くと、自ら、おかまという、ボーイが相手したという。

明確な、女装をする訳ではない、レディボーイである。

 

ゲイ専門の、売春夫もいる。

また、ゲイのために、サービスするマッサージさんもいる。

 

男の、マッサージさんを頼むと、ゲイと、認識される。

であるから、そういうサービスをして、チップを求める者がいる。

 

フィリピンで、マッサージをするには、エステ系か、マッサージのみの、専門の店である。

 

盲人だけの、マッサージ店に出掛けた。

一時間、350ペソ、700円である。

実に、上手で、日本の指圧式に近いものだった。

ここに決めて、もう一度と、思ったが、何せ、冷房の効き過ぎで、寒いのである。

それが、難点で、一度だけで、終わった。

 

エステ系では、オイルマッサージを受けた。

真面目な女で、黙々と、丁寧に、やってくれた。

一月、一万程度の給料で、一人の子供を育てる、母子家庭である。

500ペソ、1000円である。

 

食事も、ホテルの部屋でするようになった。

スパーから買い物して、それを、食べる。

旅の間の食事は、楽しみであるが、フィリピン料理の、本当の姿が解らないうちに、帰国した。

確かに、街中の地元の人が行く、食堂のものを、何度も食べたが、豚、鶏肉、魚料理である。

一番、私が好きになったのは、春雨である。

しかし、漠然とした、味付けであり、ぴったりこなかった。

 

日本のラーメン屋は、多い。

ところが、値段が高い。

勿論、日本のラーメンよりは、安いが、フィリピン価格だと、高いのである。

280ペソ、約600円である。

それに、飲み物を入れて、サービス料10パーセントがつくと、日本のラーメンと、変わらない値段になる。

 

一人、千円以上になると、高いのである、私には。