フィリピンの現状を書いても、その背景を知らなければ、より深い理解は得られない。
首都圏のマニラが、このようなのだから、それでは、他の島、地域はどうなのだろうかと、想像すると、想像すら、出来ないのであると、気づく。
政治と経済は、強く結びついている。
単純に俯瞰すれば、富が、一部の人にしか、渡らないシステムが、出来上がっているということであろう。そして、更に、悪いのは、それを解消出来ずに、今の今まで、続いてきたということだ。
旧体制から、引き継がれた一部の、富を占有する人々が、政治も握るということ。
政治家が、国民のための、政治家ではなく、自分の、利益のための、政治家であるといえる。
民主主義とはいうが、フィリピンには、それに似た政治選挙があるだけで、結果は、政治家自らのための、政治家が、大半を占めると、考える。
共産ゲリラや、イスラム反政府活動など、反政府運動は、当然であると、思えるのである。
イスラムは、キリスト教以前から、存在していた、ものであり、分離独立を目指しても、おかしくないと、思うに至った。
改めて、政治の役割というものが、実に大切なものであることを、知るのである。
それでは、少し、日本がフィリピンに、戦後行った、ことを見る。
1956年から、76年の20年間に渡り、日本は、1980億円という、他の賠償受入国の、インドネシア、ビルマ、南ベトナムなどと、比べても、最高額を供与した。
1979年に、はじまった、円借款に無償援助を加えた、日本のODAにおいても、インドネシア、中国、インドに継ぐ、第四位という位置である。
国民一人あたりの、援助額では、主要対象国のなかで、最高額を受け取っている。
1980年代からは、フィリピンにとっても、最大の援助国は、日本である。
援助額の、57,6パーセントを、占めているのである。
昨年から、少しばかり、報道されるようになったのが、ODAの、あり方である。
つまり、フィリピンをはじめとして、外国での、賄賂が不正な、支出として、認定されたのである。
フィリピンの場合は、1986年の、政変の中で、追放された、マルコス大統領が、アメリカに持ち出された、秘密文書によって、賠償や、ODAがもたらした、負の側面を、見せ付けることになった。
それは、インドネシア、ベトナムなどにも、言える。
結果的に見ると、国民のために、支援金が、使用されず、単に政治家と、その一部の者たちのために、使用されているという、事実が、見える。
民主的選挙を、行い、国民の選んだ政治家が、結局、汚職まみれだというとも、多々ある。
それは、歴史が証明する。
問題は、まだまだあるが、次の機会に、譲る。
私達が、三度目に変わった、一泊、1500ペソの、ホテルには、結局、七泊することになった。
広い部屋で、値段の割には、古いが、豪華である。
三階の、深夜は、ガードマンが寝泊りする、前の部屋。そして、十字架がかかる、神聖な場所の前である。
古いだけが、問題だと思っていたが、二日目の朝方、足元から、痒みが起こった。
そして、三日目から、それが、顕著になった。
痒みの箇所を見ると、虫刺されである。
蚊に刺されたような痕がある。
はて、蚊などは、見ない。
四日目に、解った。
ノミ、シラミである。
それは、ベッドだった。
一泊する程度ならば、解らないが、長期間泊まると、解る。
ベッドのマットレスが古く、ノミ、ダニ、シラミの、巣なのである。
その上に、シーツを敷いても、彼らが這い上がってくると、知った。
後の、三泊を続けるか、否か。
中々、納得した、ゲストハウスを見つけることが、出来なくて、結局、そこに、留まったが、後一日という日に、私は、すぐ近くに、同じ値段のホテルを、見つけた。そして、ホテルは、新しいのである。
次の時には、そのホテルに泊まることにすると、思ったが、実は、マニラのエルミタ地区にいるのが、限界に達してきたのだ。
目に入るものに、拒絶反応を示す、私の脳である。
見なければ、いいものを、見てしまうからである。
明日帰国するという、夜の食事に出た時は、パニックを起こすのではないかと、思える、心境になった。
レイテ島などの、慰霊に出掛けるならば、マニラに立ち寄らないことだと、思った。
二つの方法がある。
セブ島までの、直行便で行き、そこから、船に乗り、レイテ島に渡る。
マニラに着いても、国内線で、レイテ島に、行く、である。
ただし、ルソン島にも、多くの慰霊の地がある。
フィリピンとも、長い付き合いが始まる予感であった。
衣服を差し上げた人々から、何度も、次は、いつ来るのと、尋ねられた。
私の活動の主たるものは、追悼慰霊である。
衣服支援は、それに準ずるもの。
団体は、作らない。あくまで、個人活動である。
何トンもの、衣服を運べるものではない。ただ、持てるだけ、持つのみ。
手渡しが、基本である。
この行為が、もし、日本と、それぞれの国の人々の、小さな、関係を築くことが、出来ればと、願うのみ。
後は、野となれ、山となれ、なのである。
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