木村天山旅日


 

  バリ島再考の旅
  
平成21年
  2月
 

 第6話

マルガ英雄墓地を出て、クタに向かって車が走る。

 

どこの場所かは、解らないが、地元の食堂を見つけた。

その間に、幾つかの、村を抜けた。

 

一休みである。

私は、ナシゴレンを注文した。焼き飯である。

他の人も、それぞれを、注文した。

 

ちなみに、私は、ナシゴレンか、ミーゴレンという、焼きソバを主にして、食べる。味付けにより、とんでもないものもあるからだ。

後は、解りやすい、焼き鳥とか、豚肉料理である。

 

ナシチャンブルは、その店により、味が全く違うものになる。

それなりに食べられるが、美味しいと思うものは、少ない。

 

暫し、時間がかかり、ナシゴレンが出て来た。

腹が空いていたので、まずまずだった。

 

食べ終わり、休んでいた時に、コータに呼ばれた。

隣で工事をしている、少年に、衣服を渡したらどうかと言う。

 

大人物もあったので、一応、衣服を調べた。

サイズが合うかどうか解らないが、とりあえず、私は、衣服を持って、隣の工事現場に、出た。

 

一人の少年がいた。

衣服を示して、必要かと、身振りで言う。

最初は、恥ずかしがった。

私は、ズボンを差し出した。すると、彼は、作業を止めて、私の方に、来た。

サイズを、合わせて、大丈夫ということで、差し上げると、喜んだ。

その、喜びが、伝わる。

 

すると、一人の少年が出て来た。

私は、身振りで、ちょっと、待っててと、言い、彼のサイズを探しに、車に戻った。

 

シャツと、ズボンがあった。

それを、持って、彼のところに行く。

サイズを合わせて、よしと、彼に渡した。

 

その、喜びの顔が、忘れられない。

彼は、シャツも、ズボンも、その一つしかなかったようである。

まだ、高校生くらいの、二人の少年だった。

 

シアパ ナマ アンダ

名前はと、尋ねた。

私達は、それぞれ名前を名乗り、握手した。

 

家の建設現場で、裸足で、働いていた。

 

私達の、車を彼らは、見送ってくれた。

とても、良い支援が出来たと、喜んだ。

 

コータが、二人は、あれしかないんだよ、きっと、と言った。

私も、そう思った。

 

幸せであるという、感覚は、実に、個人的な感情である。

何が、幸せなのかは、人それぞれ、違う。

一枚の、シャツ、ズボンでも、幸せを感じる人もいる。それは、能力でもある。幸せ感覚は、才能でもある。

 

貧しい生活に慣れた、バリ島の人は、強いが、しかし、豊かさを求めても、いいのである。

一枚が、二枚になることを、求めても、間違いではない。

一枚で、幸せだと、言う人には、差し上げなくてもいい。

しかし、もう一枚があれば、洗濯する時に、裸でいなくても、いいと、思う人もいる。

 

十枚は、必要ないが、二三枚は、必要だと、思う人もいる。

何が、どれが、良いのかということは、言えない。

だから、私は必要ですか、と問い掛ける。

 

必要だという人に、差し上げる。

すると、沢山貰って、それを、売るという人もいるかもしれないが、それはそれでいい。ただし、それ程の、枚数を一人の人に、差し上げられないことも、事実である。

 

彼らは、どうして、あの人が、衣服をくれたのかと、考えただろうか。

考えなくても、いい。

たまたま、逢ったのである。だから、差し上げられた。それだけである。

 

私は、好きで、やっている。貰う人は、丁度良かったと、貰う。それで、いい。それ以上の、意味や、理屈が必要だろうか。

 

観光旅行の、延長にある。

 

さて、車は、クタに近づいて、次第に、渋滞に巻き込まれることになる。

そろそろ、渋滞に近づく、時間帯である。

バイクが、多い。それが、ぞろぞろと、続く。

 

レギャンの、見覚えのある、市場を通る時、市場が、無くなっていた。

どこかに、移動したのか。

いつも、そこで、果物や、安い、お土産物を買っていた。

 

そこを過ぎると、クタに入る。

一方通行なので、大きく迂回して、車が走る。

 

私たちの、泊まるホテルは、中小路の、小さなホテルである。

一泊、30万ルピア。つまり、三千円以下のホテルである。

クタビーチ沿いに出て、その小路に入る。

 

辺りは、中級以下のホテルと、安宿が多い。

 

無事に到着して、チェックインする。

そこで、皆さんと、五月の再会を、約束して、別れた。

私は、追悼慰霊が、出来たという、充実感があった。

 

ウブドゥから、喧騒のクタである。

だが、それもまた、バリである。

帰国する日まで、そのホテルに三泊することにした。