ジンバランの浜辺で、食事をして、ゲストハウスに戻った。
もう日は暮れて、真っ暗である。
向こうから、観光客を乗せた車が来るたびに、立ち止まり、道の端に寄った。
下を見て歩かないと、危ないし、車が来ると、危ないので、立ち止まる。
実は、食べ終わり、コータに言われて、他の店の料金を確認してみた。
最初の店は、道の前にあり、そこから、店が、浜辺に向かって、何件もある。
それぞれの、店の価格を見てから、入るべきだったと、気づくが、後の祭りである。
少しは、値切ったが、もっと、値切ることも出来たと、コータが言う。
実は、こんな話を、聞いていた。
要するに、タクシーや、観光案内の車に連れられて来る場合は、それらに、売り上げの半分が、手数料として、支払われるというものである。
それで、ホテルの、従業員にも、斡旋されたのである。
売り上げの半分とは、大した、金額である。
そこで、単独で、行く場合は、半額は、値切れると、聞いた。
つまり、コミッションが無いのだから、安くしろと言えるというのだ。
それは、何に対しても、言えた。
観光客には、最初から、値段の倍を、吹っかけるという。
一万と言われたら、千から、交渉して、五千円程度で、買うことだとの、アドバイスを得た。
しかし、これが、またストレスなのである。
特に、日本人は、それに慣れていないし、金額を考えると、大したことはないと、面倒臭くなり、諦める。
だから、日本人が、狙われるのである。
さて、通りに出て、ホテルに、向かう。
そこで、地元の商店に入り、水を買うことにした。
大型の、ペットボトルである。
3000ルピアであるが、店のおばさんが、4000という。
コータが、3000で買ったというと、すぐに、3000ルピアに、落とした。
水にも、種類があるから、それで、価格も違うが、観光客には、高く売るのが、常識になっている。
ゲストハウス近くなり、一台のタクシーが、私達の横に止まった。
タクシーに乗らないかということだ。
そこで、今ではなく、夜の、10:30に、空港に行くので、幾らかと、尋ねた。
運転手は、6万ルピアだという。
そこで、コータが、4万と交渉した。
それじゃあと、運転手が、5万と言う。
私は、それで、オッケーと言った。
ゲストハウスの前まで来てくれることになった。
これで、帰りの車が確保出来て、一安心である。
夜の場合は、タクシー料金が、倍になると、聞いていたので、まずますのところだった。
部屋には、扇風機のみで、エアコンが無いから、暑い。
黙っていても、じっとりと、汗ばむ。
私は、帰りの着替えは、空港の中ですることにした。
これから、帰国すると思うと、何故か、疲れを感じた。
だが、それだけではないことが、解った。
それは、ジンバランという土地である。
ここも、戦争時代に、戦った場所である。
清め祓いが、されていないと、感じた。
年月を経て、有耶無耶にされているのだ。
どういう訳か、コータが、デジュルドゥを吹き始めていた。それも、長い時間である。
タクシーが、迎えに来るまで、吹いていた。
私は、部屋の前の、椅子に座り、タバコをふかして過ごしていた。
二時間ほどを、過ごしていると、タクシー運転手が、部屋まで迎えに来た。
荷物を持って、彼は、車に運ぶ。
聞けば、旅行会社の、職員で、観光案内の、車サービスをしていた。
その時間帯は、仕事を終えて、個人的な時間である。
その時間を、自分の稼ぎに当てていたのだ。
空港に行く間、彼は、バリ島の、車チャーターの、基本料金を、私達に、教えてくれた。
それは、とっても、役に立った。
これから、それを目安に、料金交渉が出来る。
空港に着き、荷物を下ろして、私達が、空港に入るのを、見届けて、彼は、発車した。
そういう、礼儀を教えられているのだろう。
さて、空港に入り、私は、早速、着替えをした。
単の着物に着替えて、搭乗する姿になった。
出発には、まだまだ時間がある。
深夜便の、最後の便が、私達の乗る飛行機である。
飛行機の、搭乗手続きをして、出国審査に向かう。
すべて、スムーズである。
まだ、出発には、三時間ほどある。
深夜便に乗る人で、空港は、溢れていた。
しかし、0時を過ぎると、次第に人が、まばらになった。
免税店も、シャッターを下ろす。
バリコピを飲んで、一時間ほど、時間潰しをしたが、その店も、閉店するようで、私達は、店を出て、搭乗口に近い、ベンチに、荷物を置き、休んだ。
皆、ベンチで、寝ている。
私は、時計を見つつ、喫煙出来る場所に、何度も、出て、タバコを、ふかした。
次第に、空港の中は、静かになる。
漸く、搭乗口が、開いた。
深夜、二時である。
少し、出発が遅れている。
台北乗り継ぎであるから、長い、時間である。
乗り込んだ人々は、すぐに、寝込んでしまったようだ。
私も、寝た。
気づいた時、機内食の時間で、私は、それを食べようと思ったが、結局、それを頂く前に、また、眠ってしまった。
きっと、ほとんどの人が、機内食を食べなかったはずである。
台北には、七時過ぎに到着である。
それから、一時間半後に、成田に出発である。
台北の空港では、ドルを使い、コーヒーを飲み、水を買った。
どこでもそうだが、空港内の物は、高い。
台北も、一度降りたい街だが、そのチャンスは、無い。
台北でも、追悼慰霊をする必要があると、思っている。
三月は、ビルマに行き、五月は、バリ島コンサートツアーである。
それ以降の、予定は、決まっていない。
しかし、私は、それ以降も、追悼慰霊と、支援に向かう予定である。
今年で、三年目に入った、この活動は、私が、動けるまで、続ける覚悟である。
その後のこと、それは、後は野となれ、山となれ、なのである。
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