木村天山旅日記

  ヤンゴンへ
  
平成21年3月 

 

第5話

車は、元来た道を戻った。ヤンゴン市内に、入り、まず、僧侶を送った。

私たちが、別のホテルに変更することを、僧侶だけに、伝えていた。

 

どうも、今のホテルの社長に、腑に落ちないものを感じて、本日から、別のホテルに、移ることにしたのだ。

 

そのホテルは、私が、歩いて探したホテルである。

一泊、15ドルである。

より街の中心地に近い、スーレー・パヤーという、仏塔の近くである。

 

僧侶を降ろして、ホテルに戻った。

社長が出迎えた。

 

フロントの椅子に腰掛けることを、促された。

私は、まず、丁寧に、お礼を言った。

 

社長は、コータに、これからも、活動をするなら、私が全面的に、お世話をすると、言ったと、後で聞いた。

 

それからである、問題は。

私に、車代を、50ドル払えと言う。

英語が聞き取れず、コータから、聞いた。

 

突然の、50ドルである。

 

私は、何故かと、コータに、問わせた。

四時間かかっていると言う。

 

しかし、途中で、合流するはずだった僧侶がいなかったことと、別の車に乗り移るということだったが、それが、どうしてなかったのかと、問わせた。

 

それには、答えなかったようだ。

 

兎に角、普通ならば、全部で、80ドルかかるところだと言う。しかし、追加分は、50ドルでいいと言うのだ。

 

黙っていた私は、日本語で、それが、ヤンゴンの方法かと、言った。

平静に言ったつもりであるが、社長は、コータに、紳士的に、落ち着いてと言ったようである。

 

続けて、私は、それが、ヤンゴンの方法かと、二度言った。

 

すると、社長が何か言う。

コータが、20ドルに落ちたよと、言う。

 

50ドルが、20ドルになった。

 

私は、場合によっては、50ドル払ってもいいと、思っていた。トラブルを起こしたくないと、思った。

 

しかし、すぐに、20ドルになるところを、見れば、吹っかけているとしか、思えない。更に、この行定も、始めから、決めていたのではなかろうかと、勘ぐった。

 

兎に角、この場を、離れたいと思い、すぐに、20ドルを出して、社長に渡した。そして、私は、立ち上がった。すると、朝、私が出した、タンブンの封筒を取り出して、コータに、私が信用出来なければ、自分で、寺に持って行くといいと、言ったらしい。コータは、いや、信用しますと言った。すると、解ったと、その封筒を、受け取った。

 

部屋に戻り、すぐに、ホテルを出ると、コータに言い、荷物をまとめた。

支援物資が無いので、早い。

 

フロントに、鍵を置いて、ホテルを出た。

社長は、電話で、話している。

私たちのことかもしれなかった。

 

すぐに、通りに出て、タクシーを拾い、決めていたホテルではない、別のホテルの名を言った。

あの、僧侶とも、会いたくなかったからだ。

 

僧侶は、夜の六時にホテルに来ると、言ったからである。

 

距離を置きたかったのと、今までのことを、じっくりと、考えて、真偽を確かめたかった。

 

別のホテルは、偶然である。

決めていたホテルの近くの、ホテルで、たまたま、目にしたホテルである。

 

部屋は、空いていた。

14ドルで、エアコン、温シャワー、朝食つきである。

私たちが、入ると、すぐに、水を持ってきてくれた。

汗だくだったのだ。

 

フロントの女性は、エアコンがあるが、ここは、停電が多く、それを、承知して欲しいと言う。そして、地図を出して、ホテル周辺の案内をしてくれた。

非常に親切だった。

 

ところが、部屋は、また、エレベーターなしの、四階である。

 

その階段が、また、長い。

しんどい。

部屋は、窓がなく、廊下側に窓があるという、不思議な造りである。

 

兎に角、一息ついて、シャワーを浴びた。

十二時を過ぎていた。

 

コータに、ホテルの食堂で、昼ごはんを食べると言い、一階に降りた。

朝昼晩と、時間が決めてあり、食事が出来るのである。

 

私は、シーフードカレーを注文し、コータは、焼き飯を注文した。

暫く、無言でいた。

色々と、考えた。

考えがまとまらないので、沈黙していた。

 

私のカレーが、運ばれてきたので、食べ始めた。

その間も、無言である。

 

カレーは、量が多かった。

それに、店員が、注ぎ足してくれるという、サービスである。

途中で、やっと落ち着いてきた。

 

そこで、食堂の中に、人がいるのが、解った。

男が、挨拶した。

ここの、社長ですと、言う。日本語である。

 

日本からですね

ええ

ヤンゴンは、初めてですか

はい

 

それから、その社長と、色々なことを話した。

疑心暗鬼になっていたので、私は、慎重に、彼の話を聞いていた。

 

彼は、自分の経歴を、簡単に話してくれた。

イギリスでホテルマンの修行をして、その後、日本でも修行したという。品川にある、ホテルだった。

 

話し好きの方で、色々なことを、教えてくれた。

そして、驚いたのは、デモの時に、軍に撃たれて亡くなった、長井健司さんも、このホテルに泊まっていたという話だった。

 

一年経つまで、このことは、話さないで欲しいと、日本大使館に言われたと言う。

 

その時の、詳しい状況を聞いた。

 

実に、驚いた。

 

長井さんが、撃たれた場所は、ホテルのすぐ傍である。

翌日、私は、その通りで、デモで亡くなった方々の追悼慰霊を、行った。

 

どちらのホテルに泊まりましたか

Hホテルです

何か、問題がありましたか

それには、コータが答えた。

 

彼は、それを聞いて、参考にし、ホテルを、お客様の、居心地の良い場所にしたいと言う。

ここに泊まられる方は、家族の一人だと思い、対応しますと、言った。