木村天山旅日

  ヤンゴンへ
  
平成21年3月 

 

第6話

昨年五月、巨大サイクロンが、ミャンマー南部、特にヤンゴン付近を襲った。

 

死者、行方不明者、14万人という、未曾有の被害をもたらした。

生き残りの住民も、多くは、家を失い、何もかも、すべて失った人も多い。

 

しかし、ミャンマー政権、軍事政権は、何も事を起こさないばかりか、海外からの支援も、入国を許さないという。

南部のデルタ地帯では、今も、井戸もなく、水道も勿論なく、雨水や、池の水を飲む。

 

それだけではない。

食べ物が無い。

絶望的な状態にある。

 

ヤンゴン近郊の、サイクロン被害の大きかった場所に行くと、辺り一面は、秋枯れの風景が広がり、ここで、何を食べているのかと、非常に気になった。

 

政権は、復旧のメドは立ったと、発表したが、それは、単なる世界に向けたパーフォーマンスの言葉。何もしていない。

ただ、市内の被害を受けた所が、自主的に、復興しただけのこと。

 

私が、二つ目に泊まったホテルも、被害は、酷かったという。

屋根が飛ばされて、表面の、ガラスが、すべて割れた。

建物が、ゆらゆらと、揺れるほどの風だったという。

 

宿泊客が、比較的少なく、皆、一階に集まり、事の推移を見守っていたという。

落ち着いたかと思うと、更に激しい風が、襲ってきたという。

 

ただ、ただ、過ぎるのを、待つしかなかった。

 

であるから、川沿いの、漁師たちの家は、皆、破壊され、流されたという。

私が、支援に行きたかった場所である。

 

市内でも、被害は、大きかった。

 

ホテルの社長から聞いた話を、まとめて、書くことにする。

 

私たちも、グループを作り、支援の手伝いを始めたという。

 

資金や、食料などを、被災地に持参したという。

だが、それを、続けるうちに、気づくことがあった。

このまま、支援を続けていると、相手側が、駄目になる。

 

漁師には、船と、網を与えることが必要であり、農民には、牛と、耕す機会を与えるべきだと。そうでないと、彼らは、仕事が出来ず、ただ、貰う生活になってしまう。

 

支援のあり方を、考えるようになったという。

 

着のみ、着のままである。

何も無い。

藁と、椰子の葉を使い、簡易の家を作る人は、まだ、いい。それらすら、手に入らない人もいる。

 

ほとんど、すべてを失った村は、呆然として、何も手につかない状態になった。

 

そこで、悪い奴らが、登場した。

憐れみ商売である。

 

特に、欧米人の、寄付や支援など、考えていない観光客の、ツアーに、そのような、すべてを失った村を見せて、憐れみを乞い、寄付を募るという商売である。

その場で、寄付を集める。そして、それを、そのまま、自分の懐に入れる者。

 

甚だしい者は、わざわざ、村人に、別の場所に建てた、質素な小屋にいてもらい、それを、見せて、金を得る者も、出たというから、驚く。

 

私が会った、インド系の社長は、即座に、私たちの活動を、商売に結び付けようとした。

次からは、すべて、俺が手配して、ツアーを作ると。

 

そのために、高僧の存在まで、使い、私たちの、信用を得たかったのか。

それにしても、高僧が言った、政府の許可書を、見たかったと、思う。

ヤクザの組長のような、高僧である。

 

寺なども、市内の寺は、タンブンが多く集まり、何の心配もないが、その近郊や、デルタ地帯の寺は、タンブンする人もなく、荒れたままになっている寺もある。

 

更に、疑問に思ったことは、警察が来るというが、市内なら解るが、近郊や、デルタ地帯に、警察が、すぐに駆けつけるだろうかということだ。

 

人が集まると、警察が駆けつける。特に、外国人が人を集めると、それは、大変なことになる。

 

確かに、私は、私服の警官というか、政府筋の男を見た。

手錠を持っていた。

市内では、至るところに、そういう、隠れ警察というか、憲兵のような者がいるかもしれないと、思う。

 

しかし、市内から、外れた、秋枯れの風景が広がる、あの場所にも、警察は、来るのだろうか。

今度は、俺が、支援ツアーを手配するという、インド人の男である。

何か、抜け道があるのだ。

政府の許可というのも、こけおどしのような、気がするのである。

 

ただ、日本語を話す社長は、矢張り、注目を集めるような行動は、控えた方がいいと言う。

 

例えば、私が、長井さんが、亡くなった通りで、多くの犠牲者のために、慰霊を行いたいと言うと、花などは、置かずに、ただ、黙祷するのであれば、いいでしょうと、言った。目立つ行為は、警察に、尋問され、その場を解散させられると、言う。

 

長井さんの、家族も、通りで、花を手向けて、手を合わせると、人々が集い、即刻、中止させられたという。

 

ミャマンーでは、大半の海外からのボランティア活動が、中止に追い込まれた。

建物を建てた団体も、政府に没収されて、自然消滅したという。

 

ユニセフや、私設のボランティア団体も存在するが、正規ルートを経てのものである。

それさえも、不確かである。

 

日本には、社団法人日本ミャンマー協会がある。

そこでは、サイクロン被害の、義捐金を募り、それを、確実に届けるために、ミャンマーの事情に詳しい、ミャンマー日本友好協会を通して、支援を、行っている。

 

何事も、手渡しが、原則である。

 

間違って、政府筋の人間を通すと、必ず、搾取される。

望外な、中間手数料などを、取られる場合もある。

 

兎に角、一筋縄ではいかない、ミャンマーの支援活動である。

 

ちなみに、ミャンマーと、カンボジアは、国連で、世界最大の最貧国として、位置づけられている。