木村天山旅日

  ヤンゴンへ
  
平成21年3月 

 

第11話

行ってみなければ、解らない。

出掛けてみて、初めて解るのである。

 

ホテルからタクシーに乗って、空港へ向かう。

道は、早朝のせいか、スムーズである。

マニラと、同じように、出来れば、来たくない町である。

 

虚無の町、妖怪の町。

これほど、多くのインド人にも、出会ったことがなかった。

実は、細かなことは、書いていない。

後日に譲る。

 

いずれ、また、ヤンゴンに出掛けると思う。

 

だが、支援をするならば、タイから、半日程度回れる、田舎町の方が、無難である。

ヤンゴンになると、仰々しい。

 

搭乗手続きは、スムーズそして、搭乗口への検査も、ライターを取られただけ。

 

さっさと、飛行機に乗ってしまいたい。

 

私は、足のチリを払いたい、気持であった。

 

一つだけ、書いておく。

ヤンゴンに旅する男達は、大抵、売春が目的である。

勿論、若者の、パックパーカーの旅人もいるには、いる。

 

至る所で、売春が出来る。

マッサージ、ゴーゴーバー、飲み屋全般。ナイトバーなどだ。

ホテルの中にある、マッサージは、そのまま、部屋に連れ込める。

美容室も、売春斡旋の場である。

 

一晩の料金は、2万5000チャット、つまり、2500円程度である。

30ドルあれば、一晩女を買えるのである。三千円である。

 

売春を否定するのではない。

それで、生活を立てているのであれば、いうこともない。

貧しい国の女は、股で、外貨を稼ぐのである。

 

ヤンゴンにも、600人ほどの、日本人が暮らしていると、聞いたが、日本人には、会わなかった。

 

搭乗口にバスが来た。

満席のようである。

バス一台分の人。

飛行機に乗り込み、ホッとした。

もう気持は、タイである。

 

そして、タイに到着。一時間と少し。

 

ああー

解放された気分である。

何とタイの、美しいことか。

更に、食べ物までも、清潔に見える。今まで感じたことがなかった、感慨である。

 

初めての土地に行くのは、潜在的に緊張するということが、解った。

マニラに、一週間も、滞在していたと思うと、驚きである。

ヤンゴンは、三泊四日で、本当に良かった。

 

荷物は無い。

気持は、明るい。

楽しい気分。

 

しかし、コータが、考え込んでいる。

一階の、食堂で、食事をしつつも、考え込む。

つまり、彼は、バンコクに行き、私は、パタヤに行く予定である。

コータは、バンコクに行くのに、迷っていた。

 

私は、一緒に、パタヤに行こうと言った。

コータは、バンコクで、また、色々と調べたいことがあったのだが、今回のヤンゴンで、疲れ、何やら、億劫になっていたのだ。それを、私が見破った。

 

僕も、パタヤに行く。

それで、決まり。

 

それでは、今回は、バスで行くことにしようと、私は考えていたので、二人分の、バスチケットを、買った。

ひとり、105バーツである。

タクシーなら、1500バーツである。

 

一人の男が、パタヤまで、1000バーツで行くと、勧誘してきた。

いや、私は、バスに乗りたいと、日本語で言った。

すると、男は、タクシーなら、ホテルの前まで、行くと言う。

当たり前だ。私は、バスに乗りたいのーーーーと、日本語で言うと、男は、引き下がった。

 

真っ当な料金は、空港、パタヤ間は、タクシーで、800バーツである。高速料金が、60バーツである。

次第に、ディスカウントし始めた。

何度も来る旅人は、賢くなる。

 

バスは、満席だった。

 

話は、中抜きする。

 

私が、パタヤという町に惹かれるのは、奇跡的に、良い町だと、思うからである。

勿論、事件もあるが、世界の歓楽街にしては、安全で、安心出来る町である。

 

更に、あらゆる、トランスジェンダーが、集う町としても、興味がある。

 

レディボーイ、ゲイ天国でもある。

そして、あらゆる人種の集う町である。

 

今回、利用したホテルは、最初は、いつものホテルで、三泊目から、一番騒がしい場所の、ホテルにした。

一泊、500バーツ、1500円程度である。

 

食事も、地元の人が行く店。

ほとんど、お金を使わず、楽しめるのである。

 

半年ごとに、変化する町でもあり、今回は、新しく出来た、ゲイスポット、ボーイズタウンに、出掛けることが、出来たというより、行く気になった。

 

勿論、ビール一杯で、十分であった。

 

タイ全土から、ゲイや、レディボーイが集うので、タイの田舎の話も聞ける。

今回、本当は、ゲイのボランティア団体を、私が訪ねるはずだったが、ヤンゴンで、気力を使い果たしてしまい、中止である。

 

次の機会にする。

 

また、衣服を持参して、上げたい子供達がいた。

路上生活の、親子もいた。

矢張り、まだまだ、私の活動は、必要である。

 

ミャンマー政府は、そんな者はいないと、言うが、早朝、ヤンゴン市内を回ると、路上生活する親子が、寝ている。しかし、朝、六時を過ぎると、警察が回り、彼らを、追い払うのである。

ストリートチルドレンもいる。

しかし、彼らも、その姿を昼間は、隠す。

 

ミャンマー軍事政権は、穴だらけであるが、それを、隠しているつもりでいる。

隠しても、見られる。透けて見えるのである。

 

一応、終わりにするが、書いていないことも、多々あるということ。

ヤンゴンの一日は、一週間程の、内容になるのである。

私は、頻繁に街中に出掛けた。勿論、街を、見るためである。特に、路地裏である。

本当に、めちゃくちゃであった。

 

次に行くときは、根性を決めて行く。

単独行動で、衣服を渡す覚悟である。