木村天山旅日記

  何故バリ島か
  
平成21年5月 

 

第5話 

サヌールでも、日本料理の店がある。

見た限りでは、三件あった。

 

泊まった日の、夜、初めて日本料理の店に入ってみた。

そこで、ビールの小瓶を、コータと二人で飲んだ。コップに、一杯程度である。

それで、十分だった。

その夜だけ、唯一、アルコールを飲んだ。

 

ざる蕎麦を、注文した。

後の二人が、何を注文したのか、忘れた。

 

税金と、サービス料で、食事代と、その17パーセント払ったと、思う。

意外に、高い食事だった。

 

それで、ホテルに戻り、翌日の、準備をして、早々に寝た。

 

そして、翌朝は、書いたとおりである。

 

サヌールの予定を終えて、クタに戻る途中、海がめの島で有名な、スラガン島に、立ち寄る。

車の手配は、コータが、前日にした。

 

バンで、180000ルピアである。

1800円。

最初は、30万ルピアと言われて、何度か、交渉して、成立したのが、最後の車だったと言う。

18万ルピアは、安い。

クタに、行くだけでも、20万ルピアとの、相場である。

 

さて、運転手さんは、何を思ったのか、海がめを見せるという。

確かに、海がめの島に行くが、海がめを見るためではなく、支援のために行くのである。

 

ところが、話が通じなかったようで、途中で、海がめの、ナントカコントカに向かっているというので、私は、ノー、アイドント、サイトスィーイング、アイドライク、チャイルド、プレゼント、ゴー、という、変な英語で、話した。

 

それでも、運転手は、理解しない。

 

アイアム、ノー、ブレイ。チャイルド、ギブ、服、服という英語が、出てこない。

ついに、コータが、説明した。

 

それで、運転手は、来た道を、戻ることになる。

一体、どこの、海がめセンターに、連れて行こうとしたのか、解らない。

 

海がめの島でも、海がめは、見られるのであると、後で、解った。

とんでもない、料金だったが・・・

 

さて、ようやく、スラガン島に、到着した。

私たちは、声を上げた。

 

美しい。実に、美しいのである。

三陸海岸に似た風景である。

それより、優しい、緑と、海の青である。

 

10円ほどの、入場料を払い、島に入る。

すぐに、泳ぐ子供達が、いた。

 

運転手が、車を止めようとするので、もう少し先に、ゴーと、言った。

 

日本語と、英語である。

 

向こうに、沢山の子供達が、泳いでいるのが見える、方向に向かった。

正解だった。

 

そこで、バッグを開けると、子供達が、集ってきた。

また、大人たち、おばさんたちもである。

 

一人一人に、サイズの合う服や、ズボンを渡す。

男の子達は、シャイで、行儀よく、自分の番がくるのを、待つ。

ところが、途中から、おばさんたちが、参入してくると、混乱である。

 

私にも、子供がいる。と、日本語に聞える。

 

ホント、おばさんたちは、どこの国でも、強い。

女の子が、待っているので、女の子の物を出すと、おばさんたちが、手を伸ばす。

 

バッグから、勝手に取り出すのを制止しつつ、一枚一枚と、取り出すが、結局、おばさんパワーに、飲み込まれる。

 

最後の、辻友子が、取り出した、水着まで、おばさんが、取り上げた。

恐るべし。

決して、おばさんが、着れる、水着ではない。

 

子供達は、手に手に、服を体に当てて、喜んでいる。

それが、救い。

 

そして、ひと段落すると、私たちに、飛び込みを見せてくれた。

写真を撮る。

 

ちなみに、学校に行くには、お金がかかる。

入学時には、100万ルピア、約、一万円。そして、毎月、建物費というものがあるらしい。そして、制服代など。

毎月、約五千円程度の、お金がいる。

 

公立学校は、無料と、聞いていたが、矢張り、お金がいるのだ。

これから、建物費が、無料になり、出来る限りの、子供が、学校に通えるように、政府が、指示しているというが、そのお金が無い子供は、結局、学校には行けない。

 

その日は、金曜であり、学校があるはずであるが、学童期の子供もいた。

 

一通りの、支援が終わると、一人のおばさんが、亀を見てと言う。

えっー、亀いるの・・・

 

と、私たちの、目の前が、亀センターである。

この島の、亀センターというか、村の亀センターである。

 

折角だから・・・

それでは、一寸だけ、見てと、その建物に、入る。

目の前に、海がめが、泳いでいる。

 

一人の、おばさんが、私に、海草を渡したので、それを、亀に上げるのだと、亀に、差し出すと、亀が食べる。

 

それを、三度ほどした。

辻友子も、そうして、海草を、何度か食べさせた。

コータは、トイレに行っていた。

 

亀の頭を、撫でて、さあ、クタに戻ると、思った時に、一人のおばさんが、20ドルと言う。

えっー、20ドル。

つまり、20万ルピアである。

暴利である。

 

コータに言わせた。

また、その時、ドルは、車の中のトランクのバッグの中である。

 

ドルは無い。いくら欲しいのだと、コータが言った。

その剣幕と、支援物資を、我先にと、取ったせいか、おばんさは、ルピアなら、いくらでもいいと、言った。

 

私は、5万ルピア、約500円を、渡した。

1,5リットルの水が、3000ルピアであるから、5万ルピアは、それなりの大金である。

 

それを見ていた、運転手が、憤慨していた。

とんでもないと、言うようだった。

 

全く、収入が見込めない状態であることは、理解した。

別の場所に、観光客は行く。

 

ほとんど、旅行会社が、連れて行かないと、客は、来ないだろうと、思えた。

それが、解ったから、5万ルピアを上げたのだ。

 

タクシー運転手は、走りだしてから、あんなことをして、恥ずかしいと、言った。

 

この運転手さんは、実に、誠実で、良い人だった。

自分にも、子供がいる。服が欲しいと、言ったが、島の子供達に、上げている時に、我慢して見ていたのである。

 

スーパーの服は高い。しかし、屋台売りの服は、すぐに駄目になると言った。

二三回洗濯すると、もう、着られなくなると言うのだ。