木村天山旅日記

  悲しみを飲み込んだハ
  
平成21年6月 

 

第7話

ホテルに戻り、裸で過ごす。

それが、一番、疲れを取る。

 

ところが、二階の部屋から、向こう側の建物の、窓が見える。

最初は、誰もいないと、思っていたが、驚いた。

ベランダに女性が、出ていたのである。

 

と、いうことは、こちらの窓も見えるということである。

あーーー、向こうは、嫌なものを、見たと、思ったであろう。

 

そこで、私は、下着を、探した。

だが、下着は、着ていたものだけで、一枚も無い。

つまり、自分の着替えを、持って来なかったのである。

 

はっと、思い、支援物資の、バッグを開ける。

確か、下着があったような気がする。

一つの、バッグに、男物の、下着、パンツが、五着入っていた。

助かった。

支援物資を、頂いて、なんとか、この旅の間は、大丈夫だった。

 

実のところ、私の格好は、支援物資の、衣服より、破綻したものを、着て歩いている。

そのせいで、犯罪に巻き込まれないとも、言われる。

 

着物以外の時は、タイパンツで、その格好は、タイ人が、寝る時のものだそうだ。

つまり、パジャマ姿で、道を歩いているということ。

変な、おじさん、である。

 

ベッドに横になったり、起きたり、ガイドブックに目を通したりと、うたうたと、過ごした。

 

昼ごはんは、最初に行った、ホテル近くの店に出て、フォーを食べた。

フォーの発音も、実に難しいが、私は、日本語の、フォーで、通した。

 

店員たちは、非常に親切である。

ところが、互いに英語が通じない。

そうなると、笑うしかないので、笑っている。

 

昼間は、女の子が多く、夜は、男の子が多い。

15歳から、働いている。

 

一人の、男の子と、ようやく、英語が通じて、話した。

ハノイ近郊の村から、出て来たという。

学校は、もう無いという。つまり、最低教育で、働きに出たのだろう。

 

日本で言えば、中学、高校生である。

 

ハノイは、ホーチミンと比べると、とても、町並みが綺麗である。

それは、まずゴミが無いこと。

いつも、誰かが、掃除をしている。

本当に、ゴミが少ない街である。

 

これは、長年に渡る、伝統であろう。

儒教の影響を受け、更に、社会主義の教育を受けて、国民性が、出来上がった。勿論、そんな簡単なものではないだろうが、自然と身についたものである。

 

一人の意識が、全員になると、このようになるのだと、改めて、感じた。

一人一人の意識の、持ち方が、全体を作る。

 

また、戦争が始まっても、ハノイの人々は、誰もが、銃を持ち、戦うのだろう。

 

そういう、気概がある。

 

二時を過ぎた頃、コータが、戻って来た。

 

バッチャン村については、コータが、報告すると思うので、私は、特徴的なことだけを、書く。

 

矢張り、子供に、ミニカーを差し出すと、いらないと、拒否されたという。しかし、その子のおばあさんが、出て来て、子供に、貰うことを許すと、その子は、コータを追いかけて来たという。

そして、それを、受け取った。

欲しくても、親の許しがなければ、貰わないというのは、ハノイだけではなかったのである。

 

陶芸の村は、素晴らしく、コータは、人々と仲良くなり、少しばかり手伝ってきたというから、面白い。

 

そして、衣服も、すべて、差し上げてきた。

最初は、遠慮していたが、そのうちに、矢張り必要なのであろう、どんどんと、貰う人が増えたという。

 

この陶芸品は、街中で売っているが、相当叩かれて、買われるらしい。

食べていければいいと、いった雰囲気で、のんびりとしているようである。

 

コータは、バッチャン村で、昼の食事をしたという。

それでは、夕食まで、ゆっくりと、休むことにした。

 

ハノイでの予定は、終わった。

後は、ホテル近くの、英霊を奉る廟に行き、祈りたいと思った。

それは、夜の食事の前に、行うことにした。

 

明日の朝は、早くホテルを、出る。

空港までの、車の手配をすることにした。

朝、九時の飛行機であるから、六時に出ることになる。

 

最後の食事は、最初に出掛けた、ホテル近くの、食堂ですることにした。

高級でもなく、屋台でもない。

中級とでもいうレストランである。

 

水の値段が、3000ドンから、8000ドンの幅があることを書いたが、その他に、色々と、面白いことがあったので、それは、別にまとめて、書くことにする。

 

日本人からは、お金が、取れるという、見本のような、事態に遭遇したことを、紹介する。

 

矢張り、ベトナムでも、日本人は、金持ちだという、意識が強い。

それは、ホーチミンでも、そうである。

ホーチミンで、同じ水を、一ドルと言われた時には、驚いた。

一ドル、つまり、19000ドンである。これは、あまりに、暴利である。