木村天山旅日記

  悲しみを飲み込んだハ
  
平成21年6月 

 

第13話

パタヤは、世界最大の安全な、歓楽街である。

 

更に、トランスジェンダーの天国ともいえる。

実に、包容力のある街。

 

幾度も、パタヤについては、書いているので、早速、レディボーイショーについて、書く。

 

到着した、当日の、六時のショーに出掛けることにしていた。

遅い時間だと、私の体が無理だからだ。

 

ソンテウに乗って、出掛けた。

これは、10バーツで乗れる。

一度、15バーツに値上げしたというが、誰も、払わないので、また、10バーツに戻っていた。

 

ノースパタヤに、ティファニーはある。

 

受付に着いた時は、六時だったので、すでに始まっている。

スタッフ用の、チケット、半額チケットで、入場した。

すべてに、一階席は、満席状態である。

 

私たちの席は、前から、二列目である。

舞台の目の前。

 

大型の、ショーなどは、何十年振りである。

 

私が興味を、持ったのは、舞台の作り方である。

つまり、プロデュースである。

 

音響、照明、そして、振り付けに興味を持って、臨んだ。

 

昔、おかまショーといわれた時代は、遠い。

立派なエンターテナーである。

 

レディーというが、元は男である。

ゆえに、激しい踊りの、振り付けを見事にこなしている。

 

中には、凄い踊り手がいた。

 

単なる、見世物ショーではない。

これは、芸術作品である。

 

舞台装置の、大係りなこと。

更に、次々と、変装する様には、感嘆した。

 

舞台裏が、とんでもないことになっていると、感じた。

一歩違えば、事故が起きる。

 

様々な、民族音楽の、アレンジも、良かった。

韓国の、アリランの時には、韓国人が、喝采である。

 

残念なことは、日本のものがなかった。

それは、理由がある。

中国人や、韓国人から、クレームがつけられるからだ。

 

また、日本の着物の、気付けをするスタッフがいない、ということもある。

 

一時間半のショーは、たっぷりと、楽しめた。

 

外に出ると、すでに、出演していた、レディーボーイが、写真撮影に、立っている。

チップを要求することはないが、チップを、渡す人もいる。

 

コータは、チップの、相場は、40バーツだというが、私の見た限り、チップを渡している人はいなかった。

 

子供を抱き上げて、サービスしている、レディボーイもいる。

 

その、オーナーであり、有限会社社長の、方も、レディボーイに扮して、サービスしていた(注1)

実に、気さくに、応じる。

 

これから、舞台は、次々と、二度続く。

大変な、労力である。

一日、三回のステージである。

 

コータの友人の、レディボーイに、はじめて、会う。

美しい。

 

私たちは、着物姿で、出掛けたので、何となく目立つ。

 

その彼が、いや、彼女が、後で、コータの活動を知り、実は、自分も、HIV感染の子供たちの家に、時々、通い、彼らに、支援しているということを、打ち明けた。

それから、それでは、ということになり、一緒に、やろうということになった。

 

パタヤから、車で、一時間の町に、その子供たちの家がある。

 

私は、ラオス行きがあるので、最初は、コータに、子供たちへの、贈り物を持っていってもらうことにした。

 

このショーに出演するレディボーイの、給与は、一ヶ月、8000バーツである。約、24000円。生活するのが、精一杯の料金である。

そこで、彼女たちは、その後も、仕事をする。

 

つまり、深夜、別の店で、踊りや、飲み屋の、店員をして、稼ぐ。

健康でなければ、やっていられないのである。

 

そこまでしても、舞台に出たいという気持ちは、凄い。

中には、三ヶ月の、見習い期間で、諦めて、止める者もいるという。

経済的に、無理だと、気づくという。(注2)

 

パタヤには、後発の、レディーボーイショーの店が、もう一軒ある。

そこも、近くにあり、大型バスが留まり、盛況である。

 

観光収入の、30パーセントを、これで得るというから、矢張り、凄いことである。

 

タイ、全土から、レディボーイが集い、更に、トランスジェンダーの人々である。そして、ゲイの人たちと、許容範囲の寛容さが、差別される人を、パタヤは、受け入れる。

 

タイの、法律に則って、行われるという、健全さである。

そこには、児童労働などはない。

現地の暴力団との関係なと、皆無であり、それらを、一切、受け付けない。(注3)

 

私たちは、帰りのソンテウを探すために、歩いて、ついに、ホテルまで歩いたという、非情。

一時間以上も、歩いてしまった。

ホント、疲れた。

 

私は、寝るしかなかった。

(注1)これは木村の誤解である。ティファニー・ショーは株式会社であり、オーナーは女性で、ショーや写真撮影に出ることはない。木村がオーナーと思ったのは、60才ほどの俳優で、タイ舞踊の振り付けや、教師もしている方のことである。2010年に肺ガンで亡くなった。この方の18番であったコメディーも永遠に観られない。


 (注2)これも誤解に基づく。3ヶ月の見習い期間で俳優候補者が止めるのは、経済的に無理だと気づく、というより、厳しい反復練習に耐えられない、といった場合が多いようである。


(注3)パタヤを好意的に見た場合の印象といえる。実際は、タイの法律で禁止されていることは行われており、タイの法律に則って(全てが)行われるとは言いがたい。また児童労働は、その後、何件も見ることになる。その他、パタヤに関する、ある種の甘い見方がこの旅日記全体に見られるが、それは、はじめの内は本当の姿が見えていなかったから、といってよい。