木村天山旅日記

  ラオス・ルアンパバーン
  
平成21年6月 

 

第1話

ラオスの、北部、ラオス第二の都市といわれる、ルアンパバーンに出掛ける。

ラオスは、初めての国である。

 

まず、バンコクへ入る。

そして、バンコクエアウェーにて、ルアンパバーンに飛ぶ。

 

日本から、ラオスに向かうと、高くつくので、格安チケットで、バンコクに入り、そこから、また、格安チケットで、ラオス・ルアンパバーンに行く。

 

インターネットで、予約すると、更に、安くなるのである。

ところが、格安チケットは、早く売れる。

 

16日を予定したが、取ることが出来ず、18日のチケットを取った。

であるから、バンコクに、5日間滞在した。

せっかくであるから、タイ語を少し学んでと思ったが、全く駄目。

 

ラオスは、タイ語が通用するのである。というより、ラオス語は、タイの、東北部の言葉の訛りに似る。

これは、後で、書くが、ラオスは、少数部族が多く、現在のラオス語というのは、政府が、公式に決めたラオス語である。

であるから、ラオス語を、話せない、ラオス人もいる。

 

飛行機の時間は、AM11:10である。

二時間前に、チェックインするので、スタッフのアパートから、九時に出る。

 

スタッフは、7日から、タイ語習得のために、バンコク入りしていた。そして、一ヶ月、5000バーツの家賃のアパートで暮らす。約、15000円である。

 

私の、ホテル代が、浮く。

更に、その付近は、バンコクの下町である。

街中より、物価が、半分と言う、安さ。

 

街中の、茹でとうきび20バーツが、10バーツで、買えるのである。

食事も、百円程度。

 

私には、ばら色の生活である。

それについては、ラオス旅日記の後に、書くことにする。

 

ラオス行きの飛行機は、小さく、プロペラ機である。

ああ、これなら、落ちても、死なないと思った。

プロペラ機は、ゆっくりと、落ちるので、助かる確率が高いのである。

 

一応、出国手続きをする。

スムーズである。

 

搭乗口で待つと、11:00になり、バスに乗れと、アナウンスがある。

バスに乗り込み、飛行機へ。

そして、全員が乗ると、はい、と、飛び立つ。

であるから、当然、早く到着する。

 

国際線であるから、食事が出る。

この頃の、機内食は、おいしくなっている。

でも、私は、スワナプーム空港一階の、社員食堂のような大食堂で、実は、二種類の、麺と、ご飯を食べていたので、腹一杯。それでも、料金は、何と、約500円。

それでも、食べた。

 

満腹のまま、寝る。

 

もう少しで、到着しますと、言われて、急いで、入国のカードに、書き入れることにした。が、解らない。

隣の、タイ人の、学生風の男に、尋ねる。

 

三種類のカードがある。

 

入国カードと、税関に出すもの。

そして、もう一つが、何のことか、解らない。

 

これ、何

あなたは、病気ですかと、英語で、言われた。

いや、ノー

それじゃあ、ここに、チェックして

全部

そう、全部ね

私は、日本語、相手は、英語である。

 

それから、税関のカードも、彼に尋ねて、書き入れた。

更に、入国のカードもである。

 

コープクンカップ

ありがとうと、タイ語で言う。

これだけは、自信がある。

 

そして、到着。

 

飛行機は、空港の真ん前に、着いた。

そこから、歩いてすぐである。

 

入国審査である。

和服は、私だけ。

誇りを持って、望む。

はい、オッケー

すぐに、終わった。

 

スタンプが、きちんと押されているか、確かめる。

何でも、帰る時に、スタンプが、不明瞭だと、文句をつけられると、聞いていた。

 

大丈夫である。

 

見送り、出迎えの人が沢山いる。

外に出て、さて、と、見回す。

タクシーか、トゥクトゥクか、である。

 

タクシー運転手が、声を掛けてきた。

ノー、トゥクトゥクというと、こっちこっちと、言われる。

チケットを買えということだ。

6ドルである。

それ以外の方法は、無い。

トゥクトゥクに乗る。ルアンパバーンの市内に向かうのである。