第1話
ラオスの、北部、ラオス第二の都市といわれる、ルアンパバーンに出掛ける。
ラオスは、初めての国である。
まず、バンコクへ入る。
そして、バンコクエアウェーにて、ルアンパバーンに飛ぶ。
日本から、ラオスに向かうと、高くつくので、格安チケットで、バンコクに入り、そこから、また、格安チケットで、ラオス・ルアンパバーンに行く。
インターネットで、予約すると、更に、安くなるのである。
ところが、格安チケットは、早く売れる。
16日を予定したが、取ることが出来ず、18日のチケットを取った。
であるから、バンコクに、5日間滞在した。
せっかくであるから、タイ語を少し学んでと思ったが、全く駄目。
ラオスは、タイ語が通用するのである。というより、ラオス語は、タイの、東北部の言葉の訛りに似る。
これは、後で、書くが、ラオスは、少数部族が多く、現在のラオス語というのは、政府が、公式に決めたラオス語である。
であるから、ラオス語を、話せない、ラオス人もいる。
飛行機の時間は、AM11:10である。
二時間前に、チェックインするので、スタッフのアパートから、九時に出る。
スタッフは、7日から、タイ語習得のために、バンコク入りしていた。そして、一ヶ月、5000バーツの家賃のアパートで暮らす。約、15000円である。
私の、ホテル代が、浮く。
更に、その付近は、バンコクの下町である。
街中より、物価が、半分と言う、安さ。
街中の、茹でとうきび20バーツが、10バーツで、買えるのである。
食事も、百円程度。
私には、ばら色の生活である。
それについては、ラオス旅日記の後に、書くことにする。
ラオス行きの飛行機は、小さく、プロペラ機である。
ああ、これなら、落ちても、死なないと思った。
プロペラ機は、ゆっくりと、落ちるので、助かる確率が高いのである。
一応、出国手続きをする。
スムーズである。
搭乗口で待つと、11:00になり、バスに乗れと、アナウンスがある。
バスに乗り込み、飛行機へ。
そして、全員が乗ると、はい、と、飛び立つ。
であるから、当然、早く到着する。
国際線であるから、食事が出る。
この頃の、機内食は、おいしくなっている。
でも、私は、スワナプーム空港一階の、社員食堂のような大食堂で、実は、二種類の、麺と、ご飯を食べていたので、腹一杯。それでも、料金は、何と、約500円。
それでも、食べた。
満腹のまま、寝る。
もう少しで、到着しますと、言われて、急いで、入国のカードに、書き入れることにした。が、解らない。
隣の、タイ人の、学生風の男に、尋ねる。
三種類のカードがある。
入国カードと、税関に出すもの。
そして、もう一つが、何のことか、解らない。
これ、何
あなたは、病気ですかと、英語で、言われた。
いや、ノー
それじゃあ、ここに、チェックして
全部
そう、全部ね
私は、日本語、相手は、英語である。
それから、税関のカードも、彼に尋ねて、書き入れた。
更に、入国のカードもである。
コープクンカップ
ありがとうと、タイ語で言う。
これだけは、自信がある。
そして、到着。
飛行機は、空港の真ん前に、着いた。
そこから、歩いてすぐである。
入国審査である。
和服は、私だけ。
誇りを持って、望む。
はい、オッケー
すぐに、終わった。
スタンプが、きちんと押されているか、確かめる。
何でも、帰る時に、スタンプが、不明瞭だと、文句をつけられると、聞いていた。
大丈夫である。
見送り、出迎えの人が沢山いる。
外に出て、さて、と、見回す。
タクシーか、トゥクトゥクか、である。
タクシー運転手が、声を掛けてきた。
ノー、トゥクトゥクというと、こっちこっちと、言われる。
チケットを買えということだ。
6ドルである。
それ以外の方法は、無い。
トゥクトゥクに乗る。ルアンパバーンの市内に向かうのである。
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