木村天山旅日記

  ラオス・ルアンパバーン
  
平成21年6月 

 

第5話

朝、約束した、10時前に、ニッツが、バイクでやって来た。

 

そして、5分で、トゥクトゥクを連れて来ると言って、再び、バイクに乗って出た。

 

その間に、私は衣服支援のバッグ、二つを用意し、カメラ二台、パスポート入れの、財布などを、確認する。

 

現金は、部屋に置くことは無いが、この時は、日本円を、部屋に置いた。

 

ドルと、キップと、タイバーツを持った。

 

トゥクトゥクが、やって来た。

ニッツと、一緒に乗り込む。

行き先は、ニッツに任せてある。

 

つまり、私は、衣服の必要な子供たちのいる、村に出かけたいと、言ったのである。

ニッツは、ルアンパバーンの近郊の村、メコン川沿いの村に行くという。

 

街を抜けて、20分ほどで、村の道に入る。

すると、トゥクトゥクが、大きく揺れる。

雨の後の道であるから、ぬかるむ。

 

雨期の真ん中である。

ところが、私は、あまり、雨に当たらなかった。

 

最初に見えたのは、村に一軒だけある、商店である。

 

商店といっても、掘っ立て小屋である。

 

ニッツは、そこに、声を掛けた。

友達がいると言う。

更に、商店の主は、ニッツのお姉さんだった。

結婚して、この村に暮らす。

 

トゥクトゥクは、ぬかるみを走り、村の中心部に到着する。

 

家の前に、屋根だけがある、テラスのような場所である。

勿論、手作りの物である。

 

さて、私は、荷物を降ろした。

 

早速、ニッツに、紹介して貰う。

その時は、たいした人数ではなかったが、どんどんと、人が、子供たちが、集って来た。

 

何、何、何・・・

 

私は、ニッツに、日本から、皆さんに、プレゼントですと、言って貰った。

 

そして、バッグを開けて、取り出す。

最初は、よく意味が分からないようだったが、衣服が次々と出されると、歓声が上がった。

 

赤ん坊を抱いた女たちも、出て来た。

今回は、幼児用の物も多い。

どんどんと、手渡す。

 

すると、次第に、人々が慣れて、自分たちで、バックから取り出す。

ニッツが、それを、抑える。

 

一度、ニッツが、バッグを閉めた。

そして、写真を撮るという。

私は、ニッツに、従った。

 

ところが、どんどんと、人が集まる。

私は、写真を撮り終わり、また、バッグを開けた。

 

ニッツが、もう一つの村にも・・・と言うが、無理である。

そんなに、量は無い。

 

少し残して、村の、入り口に歩いて戻った。

すると、そこでも、人が集っていた。

もう、すべてを、出すしかないと思い、バッグを開けた。

 

どんどんと、手が伸びてくる。

何も残らなかった。

 

私は、ニッツのお姉さんの店で、休むことにした。

ニッツは、日本茶のボトルを選んだ。

おいしい、と、書かれた、ボトルである。

私は、コーヒー缶を選んだ。

 

子供たちが、やって来る。

私は、店の前に、吊るされた、お菓子袋を10袋買い、子供たちに、渡した。

 

ところが、また、どんどんとやって来る。

写真を撮るニッツ。

 

私は、更に、お菓子袋を取り、子供たちに、渡した。

 

コープチャイ・ライライ

ありがとう

 

何度も、そう言われた。

お金は、渡すことは、出来ないが、お菓子ならいいと、思ったのだ。

 

それを、ニッツは、見て、なんとも言えない表情をしていた。

ニッツも、一緒に、写真を撮りたいと、言うので、お姉さんの、ご主人に、撮ってもらった。

 

それから、私は、メコン川で、祈りたいと言うと、ニッツは、オッケーオッケー、すぐそこだよと、立ち上がる。

 

その後を、子供たちも、付いて来る。

 

村は、小船で、荷物運びをする仕事をする。

メコン川の、側には、日本のダンプカーが、三台置かれてある。つまり、廃車になったものである。

日本の会社の名前が、そのまま、書かれていた。

更に、住所まで。

 

私は、ニッツに、これから、日本の祈りをしますから、それを、写真に撮ってと、言った。

ニッツは、サンキューなんとかこんとか、チピリチュアルなんとかこんとか、それで、なんとかこんとかと、言う。

 

とても、感激し、興奮しているようだった。