木村天山旅日記

  ラオス・ルアンパバーン
  
平成21年6月 

 

第7話

ラオスの悲劇は、やはり、戦争である。

 

インドシナ戦争。

 

1954年5月、ベトナム北部ディエンビエンフーンが陥落し、第一次インドシナ戦争が、終結する。

だが、その時の、フランス軍の敗北は、新たな戦争の始まりになった。

 

アジアの共産化を恐れる、アメリカは、1941年に、ホーチミンが創設した「ベトナム独立同盟」べトミンが、ディエンビエンフーに集結していた時、原爆投下を計画した。しかし、国際世論の非難を恐れて、中止された。

 

フランス軍の八割の戦争費用を肩代わりしていたアメリカは、陥落後も、民間航空会社を装いながら、ラオスでのアメリカ軍の移動や、モン部族の武器補給などを秘密裏に行っていた、CATが、武器、弾薬を、モン・マキに、投下し続けるのである。

 

モン・マキとは、対べトミン、対毛沢東軍の戦闘集団である。

 

フランス軍は、ベトナム、ラオスの村から、戦闘に優れた、モン族の二万人を、サイゴンの南の、セントジャックの訓練キャンプに送り続けた。

 

そのキャンプで、トップの成績を修めたのが、ラオスのモン族、バン・バオであった。

後に、モンの軍事的、精神的指導者となる。

バン・パオは、その時、13歳である。

 

フランスが、敗北したことで、ラオスの村々の共産化を恐れたアメリカは、ディエンビエンフーで、生き残った、モン・マキ3000人を近代戦争にかなう兵士として、訓練し始める。

 

北ベトナムと、南ベトナムに延びる、兵士と、軍事物資を運ぶ、輸送路、ホーチミンルートは、その九割が、ラオスの山野を走る。

 

ホーチミンは、南ベトナムを解放するためには、まず、ラオスを共産化しなければならないと、声明を出した。

 

べトミンは、ラオスの、パテート・ラーオ軍を主導し、一気に、ラオス内のホーチミンルート南下を加速させた。

ラオスの村々を、共産化していったのである。

 

さて、その頃、朝鮮戦争が始まっていた。

アメリカは、インドシナの共産化阻止を、最優先課題とし、1961年、ラオス中部サイソンプン特別区のロンチェン渓谷に、秘密基地を作っていた。

 

アイゼンハワーに替わって、ケネディが1961年に、大統領に就任すると、フロンティアスピリットを掲げて、更なる反共の活動を開始する。

 

バン・パオを司令官とする、ラオス国軍第二管区は、モン特殊攻撃部隊を結成し、白人兵士の身代わり部隊として、過酷な運命をたどることになる。

 

1965年、アメリカは、ラオス北部の、モンの聖山の一つに、全天候型電子誘導施設「サイト85」を建設する。

 

ホーチミンルートに空爆を行う、アメリカ空軍の戦闘機を、レーダー誘導する、このサイトは、タイ領内の、ウドンタニ、ナコムパノム、タクリ秘密基地、更に、トンキン湾のアメリカ第七艦隊とも、連携していた。

 

サイト85を守ったのは、アメリカ海軍兵と、1000人あまりの、モン族兵士、300人のタイ兵士である。

 

ハノイが、ナパーム弾を浴びるようになると、このサイトの破壊が、ベトナム共産党の至上命令になった。

 

1968年3月、北ベトナム軍は、サイト85に、総攻撃をかけて、陥落させる。

 

アメリカ空軍は、サイトが陥落したことを知り、B52戦略爆撃機で、空爆を行い、証拠隠滅を計った。

 

この戦闘において、サイト85から、生還した兵士は、アメリカ海兵隊8人、モン兵士数十名のみ。

 

つまり、ラオスの戦争は、アメリカと、旧ソ連を後ろ盾にした、ベトナムとの、戦いであり、内戦とは、言い難い。

 

これは、悲劇である。

 

モン族の悲劇は、その後も続く。

多くのモン族の、青年、少年が、アメリカ軍によって、徴発されたのである。

 

現在、ラオス、サイブンプン特別区、ポリカムサイ、ルアンバパーンの、3地区を主に、モン族兵士2000人と、その家族、15000人あまりが、20の集団に分かれて、生活している。

ベトナム軍の、掃討作戦は、今も続き、餓死する者も、相次ぐ。

 

彼らは、ジャングルから、国連に救いを求めるが、ラオス政府は、国連人権委員会の、医師や、看護婦の現地入り要請を、拒絶したままである。

 

2005年、ラオス政府は、30年間否定し続けた、モン族掃討作戦を認めた。

しかし、ベトナム軍の関与は、いまだに、認めていないのである。

 

アメリカに加担した、モン族は、いまだに、敵として認識され、掃討作戦の上にあるという、悲劇である。

 

更に、ホーチミンルートには、不発弾の山である。

その被害も多い。

 

戦争処理は、いまだ終わらないのである。

 

気の遠くなるような、現状を、どのように、捉え、理解し、更に、治めてゆくのか。

 

ラオス政府は、中国寄りと、ベトナム寄りの要人が、対立する。

更に、中国も、ベトナムも、ラオスの資源を狙う。

 

いまだに、他国からの、影響を多大に受けるラオスである。

 

独立の気概が無いのは、フランス植民地化政策にもよる。

 

更に、愚行なのは、いまだに、化石のような、マルクス・レーニン主義を、新たに掲げて、精神教育を行うというもの。

 

要するに、国民を、精神的に、まとめるための、最も大切な、国の神話、権威が無いのである。

 

ベトナムには、ホーチミンが、タイ、カンボジアには、王様が、マレーシアは、イスラムがと、それぞれ、共同幻想を持つ。

 

国家とは、共同幻想の、共同体である。

 

日本の場合は、2669年という、天皇の伝統が、無形の権威として存在する。

 

マルクス・レーニンでは、無理である。

 

オーストラリアが、結局、原住民の、アボリジニの伝統と、文化に頼らざるを得なくなった。イギリスから、移民してきた人々は、伝統も、文化もオーストラリアにはないのである。

 

だが、後悔しても、遅い。

オーストラリアは、アボリジニ民族を同化政策によって、めためたに、貶めた。

その価値を、理解できず、彼らを、弱体化させ、今では、国の大きな、社会問題に発展するほど、アボリジニの人々の、問題が多いのである。

 

その根底には、偽善と、明確にすべき、キリスト教の、すべてを破壊し、その上で、キリスト教を押し付けるという、蛮行がある。

 

独善の、キリスト教こそ、民族破壊の、根っ子である。

そして、主義である。

その名は、共産主義。

 

私は、共産主義が、キリスト教から、生まれでたことを、知っている。

キリスト教の、反共運動は、身内争いなのである。

 

ラオスに存在する、少数部族の、数は、いまだに、不明である。

60から70ほども、存在すると、言われる。

驚くべきは、戸籍が無いということである。

戸籍を作ることが出来ないほど、ラオスは、遅れているのである。

 

信じられないの、一言。