テラの会

沖縄南部戦跡慰霊その2〜白梅の塔〜


平成21年9月29日

 摩文仁の丘から、車を走らせました。砂糖きび畑の中に迷い込みながら、なんとかたどり着きました。

 白梅の塔は、白百合の塔と同じような、女子学生たちのための慰霊塔です。

 かなり入り組んだ場所にあるので、なかなか探すのはたいへんです。

 女子学生の方々は、傷病兵の看護、食料や弾丸などの補給をしておられました。

 その時に直撃弾を受けるなどして、亡くなられたのです。


周りに植わっている松の梢を、海風がわたっていく


まるでむせび泣く声のようにきこえ、やるせない


私たちの前に、他の慰霊団の方々が訪れていた


その方たちと丁度入れ違いになった


南部戦跡には、同じような慰霊塔が、そこかしこにある


その数の多さから、往時の戦闘の激しさが思われる

 白梅の塔での慰霊をおえ、帰ろうとしました。テラの会スタッフが、そこから一段高くなったところに、別の慰霊碑を見つけました。

 そこに、何となくひかれるように登っていきました。

 そこは、山形の部隊のさいごの地でした。

 大きなガマ(天然の鍾乳洞)があり、その中にたてこもっていた様子がわかります。

 その慰霊塔の奥が、森になっていました。

 たまたまそこへ入ってみると、白梅隊の女学生が亡くなったガマに出会いました。

 そこは弾薬庫で、白梅隊は補給の任務に当たっていました。そこへ直撃弾を受け、一瞬にして全滅したようです。


白梅隊の最後の様子をしるす石碑。ペットボトルが三つ供えてある


沖縄にはカミゴトをする特殊能力者がいる。ユタなどと呼ばれ、戦後は弾圧にあった


供えられた水は、おそらく泡盛と首里城の水と、もう一つはわからないが、お清めのものだろう


それがあるということは誰かが今でも霊を慰めてまわっておられるということ


泊港まで戻った後、御幣を海に流す

 沖縄南部戦跡の追悼慰霊は、とりあえず、行いました。

 しかし充分とはいえません。

 また何度も訪れる必要があるでしょう。

 さて、路上生活者の方たちに、衣服やタオルを配って歩きました。その様子を紹介します。

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