木村天山旅日記 

  沖縄本島南部慰霊

  平成21年9月 

 

第 3 話

日本兵の遺骸は仰向けで、ズボンが膝まで下がった姿になっていた。そのペニスの先を、マックは慎重に撃ち飛ばそうとしていたのだ。そして成功した。やったやったと大喜びしている。私は胸が悪くなって、顔をそむけた。

マックは見だしなみもよく、きちんとした男だった。ただ、戦争の影響下で残虐さに歯止めがきかなくなるたちの人間がいるもので・・・

この海兵隊の紳士は、可能なかぎり日本兵の死骸を見つけては、その上に仁王立ちになって、死者の口のなかに放尿するのだ。それは戦争中私が目にしたアメリカ人の行為のなかで、最も不快なものだった。こんな男が海兵隊の仕官かと思うと、恥ずかしかった。

スレッジ

 

戦争は、異常心理を作り出す。

狂う者もいれば、それを、誤魔化すために、残虐的になる者もいる。

 

人間性とは、何か・・・

 

戦争では、戦場においては、そんな言葉は、空しい。

 

残虐の限りを尽くす者が、勝つ。

 

陸軍の部隊が沖縄南部で苦戦を強いられているという気の滅入る噂は、ますます広がっていった。晴れた夜、高台からは南の空低く、赤々と輝く光が揺らめくのが見えた。遠くで鳴る轟音がかすかに聞こえることもあった。そのことは誰も口にしなかった。あれは雷だと思い込もうと無駄な努力をしたが、そんなことが信じられるほど私も愚かではない。それは大砲が吐き出す閃光と轟音にほかならなかった。

 

スレッジの、戦記には、突然、エッセイが登場する。

四月末、子馬と別れなければならない時がきた。私はロープの端綱をはずして、糧食の砂糖の塊を与えた。柔らかい鼻面をなでてやると、子馬は尻尾でハエを追った。が、やがて首を巡らし、緑の草原をゆっくりと歩いていって、草を食みはじめた。一度だけ顔を上げて私を振り返った。私は目がうるんできた。でも、どんなにつらくても、別れるしかない。子馬は日の当たる緑の丘の斜面で、平和に安全に暮らしていくだろう。文明人のはずのわれわれのほうは、砲弾と苦悩と死の待つ混沌の地獄へ、まもなく戻っていかなければならない。

 

死の待つ地獄である。

誰も、生きて帰るとは、思わない戦争というもの。

そこには、敵も味方もない。

 

先ほどまで、知らなかった、人と人が、殺しあう戦争。

何故、沖縄慰霊なのか・・・

 

その不可思議な、戦争を知るために、そして、確かに、そこで、戦争が行われたことを、この身で、この感覚で、確認するために。

忘れてはならない、戦争という、狂気である。

 

この、海兵隊員のスレッドも、最期に

私にとって、戦争は狂気そのものだった。

と、書く。

 

ここでは、多くを語る事を、必要としない。

 

慰霊を終えて、レンタカーを返す前に、泊港に立ち寄り、衣服を必要としている方を探す。

 

探して、手渡すのである。

一人の、おばあさんを見つけた。

 

こんにちは、服やタオルは、必要ですか

アーー今は、いいよ、ありがとうー

 

次に、おじいさんに会った。

皆、路上生活の方である。

 

おじいさんは、必要だというので、服を差し出した。

すると、向こうから、タオルが欲しいと声がかかる。

 

タオルを出し、更に、服を出す。

そこで、二人の方に、渡すことが出来た。

 

こんな、立派なタオルと、一人の男性が、感激していた。

 

更に、公園の方に、歩くと、芝生に座る男性がいた。

必要ですか、と、声を掛ける。

ええ

彼の前に、衣服を取り出す。

サイズの合うものを、選んでください

遠慮しつつも、彼は、三着を選んだ。

 

冬物を一つ選んだので、持ってきたのが、良かったと、安堵する。

これから、冬に向かう沖縄である。

暖かいといっても、冬は、やはり、冬である。

 

だが、持参してきた衣服は、まだある。

以前来た時に、出会った人は、見当たらない。

 

そこで、港の前の広場で、コーヒーを飲むことにした。

一時間ほどいたが、誰も現れないので、レンタカーを返すために、立ち退いた。

 

レンタカーを戻すと、今日のホテルまで、送迎してくれる。

空港に近いホテルにしていた。

 

レンタカーの料金と、ホテルに行くタクシー料金は、同じ程度の金額である。実に、得した気分である。

 

そのホテルは、漫湖のほとりにある。

漫湖とは、マンコと読む。

公園も、漫湖公園。

何やら、市では、名前を変えることを、考えているという。

マンコとは、内地の人は、女性器を言うからだそうだ。

 

沖縄の人は、平気である。

 

私は、その漫湖公園のホームレスの人々に、衣服を差し上げることができた。

テントを張って生活している。

夕暮れ時だったので、多くのホームレスの人がいた。

 

二つのバッグの、ほとんどを差し上げることが出来た。

皆さん、控え目で、遠慮しつつも、喜んで受け取ってくれた。

中には、探せばあるからと、断る人もいた。

売り物かい、と、尋ねる人もいたが、差し上げますと、言うと、それじゃあと、受け取る。

これで、すべての、用が済んだことになる。