木村天山旅日記

  レイテ慰霊

  平成21年9月 

 

レイテ慰霊 第3話

少し、フィリピンの戦況を俯瞰する。

 

昭和19年、1944年、九月半ば、米軍は、ペリリュー、モロタイ、アンガウル島に上陸を開始して、その各飛行場を占領し、フィリピン上陸の戦略体勢を整える。

 

大本営陸軍部は、フィリピン、特に、ミンダナオ、レイテ、ネグロス島など、中南部の防衛を強固にすべく、第十四軍を、第十四方面軍に昇格させ、そして、新たに、第三十五軍を編制した。

 

更に、大本営海軍部も、戦艦大和、武蔵を擁する第二艦隊を原油地帯、スマトラ島リンガ泊地で、訓練させ、アリューシャン方面から呼び戻した、第五艦隊および、空母部隊の第三艦隊を内地に待機させた。

 

10月17日、レイテ島東方海上に、マッカーサー率いる米軍、約20万軍が終結した。

艦隊、輸送船、艦艇など、合わせて、734隻であるから、とんでもない大集合である。

 

そして、20日、午前10時、タクロバンに、米軍第10軍団が、南約30キロのドラッグに第24軍団が、上陸を開始する。

 

米軍は、日没までに、兵士約六万人、物資一万トンの揚陸を終わり、第10軍団は、タクロバン飛行場を、占領した。

 

陸軍は、この際、ルソン島での決戦を変更し、レイテ湾にて、一挙に、米軍の大軍を撃滅すべきだと、主張する。

しかし、第14方面軍の大将に就いた、山下泰文は、対策も、準備も不十分なレイテ決戦は、成功の見込みがないと、反対する。

 

だが、大本営と、南方軍の説得に、応じて、妥協する。

 

南方軍は、第一師団、第二十六師団、独立混成第六十八旅団を、レイテに増派する。

 

大本営陸軍部が、決戦場を変更したのは、連合艦隊の、命令を遵守する、栗田艦隊がレイテ湾に突入すれば、陸海空となった、攻撃が、米軍を粉砕できるとした、願望である。

 

そして、栗太艦隊を援護するためにとの、一念から、神風特別攻撃隊を編制することになる。

 

しんぷう とくべつ こうげきたい

後に、かみかぜ特攻隊と、呼ばれるものである。

 

最初の、特攻隊が、レイテ湾の、米軍に、攻撃を仕掛けたのは、1944年10月25日である。

 

神風特別攻撃隊敷島隊が、米機動部隊に突入。

空母セント・ローを撃沈。

米軍将兵に、戦死、行方不明1500人、負傷者1200人の、大被害を与え、飛行機128機を撃破した。

 

大戦果である。

 

このニュースは、日本のみならず、世界に伝えられると、太平洋戦争の局面は、全く異常な形相を帯びてきた。

 

それは、世界史の、戦闘には、思いも付かない、攻撃法だったのだ。

 

マッカーサーは、言った。

自殺攻撃の神風パイロットが本格的に姿を現した。この驚くべき出現は、連合国軍の海軍指揮官たちをかなりの不安に陥れ、連合国軍艦隊の艦艇が至るところで撃破された。空母郡は、この危険な神風攻撃の脅威に対抗して、搭載機を自隊を守るために使わねばならなくなったので、レイテの地上部隊を援護することには手が回らなくなってしまった。

 

特攻攻撃は、リンガエン湾でも、21隻の艦艇を、撃沈していたのである。

 

脅威

米軍兵士たちは、この信じられない攻撃法に、脅威を感じ、更に、精神に異常をきたす者も、現れたという。

 

ベイツという、海軍中佐は、言う

日本の空軍が頑強であることはあらかじめ知っていたけれども、こんなに頑強だとは思わなかった。日本の奴らに、神風特別攻撃がこのように多くの人々を殺し、多くの艦艇を撃破していることを寸時も考えさせてはならない。だから、われわれは艦艇が神風機の攻撃を受けても、航行できるかぎり現場に留まって、日本人にその効果を知らせてはならない。

 

アメリカ軍は、神風特攻の、あまりの猛威に恐怖し、沖縄戦で勝利を確実なものにするまで、神風による、甚大な被害を国内では、公表しなかったのである。

 

米ジャーナリスト、A・バーカーの言葉

西欧人の目には、天皇と国家のために、よろこんで自己の生命を捧げるように、国民を慎重な考慮の末に利用した軍部の指導は最も卑しむべき野蛮な行為であったと映っている。しかし、連合国軍は、神風特別攻撃隊員たちを尊敬している。それはおそらく彼らが特別攻撃で手痛い打撃を受けたためであろう。

 

レイテ湾に、突入した、第一次神風特攻隊は、24機である。

つまり、24名の、兵士の死がある。

 

その攻撃は、米兵たちにとっては、信じ難い攻撃であり、突入してくる、特攻機には、自分と、同じ人間が乗っているのであるという、事実は、理解の範疇を超えていた。

こんな人間相手に、戦って勝てるのかと、思うのである。

 

精神的、心理的にも、特攻隊が、与えた影響は、絶大であった。

 

ここで、私が、特攻隊に対して、何ほどの感慨を語っても、その行為の前には、塵の如くである。

 

様々な、評価や、批判があるが、それは、事実であったということ、である。

その真実は、人それぞれの価値観による。

 

私の、すべきことは、レイテ湾において、散華した、その皆様と、更に、レイテ島で被害を受けた、皆様への、追悼慰霊の所作のみである。

 

語るを得ず

 

戦争という、狂気は、ここまでに至ったのである。

 

私は、慰霊の行為を、執り行うのであり、それを、分析したり、批判したり、評論するものではない。

 

ただ、そこに、国のために命を、捧げた人がいるという、事実のみが、ある。

私には、それ以外に、考えることは、ない。