木村天山旅日記

  レイテ慰霊

  平成21年9月 

 

レイテ慰霊 第4話

慰霊当日は、日曜日であり、朝から晴天である。

 

ホテルから、出て、すぐ前のバイクタクシーを、捕まえた。

料金は、書いたとおり。

 

レイテパークに向かう。

東海岸は、レイテ湾に向かうので、慰霊には、最適であり、更に、マドンナ・オブ・ジャパン、マリア観音が、建つ。

 

10分ほどで、到着する。

 

即座に、木の枝を折り、日の丸を用意する。

マリア観音が建つ前で、神呼びを行う。

 

丁度、マリア観音に背を向ける形になる。

 

バイクタクシーのおじさんは、変だと思っただろう。

普通は、マリア観音に向かうと。

 

太陽を仰いで、神呼びをすると、太陽の光が、一段と強くなる。

そして、海に向かい、祝詞を上げる。

 

私は、右手に御幣を、左手に、日の丸を持つ。

誰もいない。

おじさんだけが、見つめている。

 

祓い給え、清め給え

更に、霊位に対して、黙祷し、神上がり、かむあがり、を、願った。

 

まだ、こちらにいらっしゃる皆様は、どうぞ、私の音に乗り、行くべきところへ、移動ください。

靖国へ、故郷へ、父母の元へ

 

音霊、おとたま、による、神送りである。

 

言霊による、祝詞、そして、音霊による、神送りである。

そして、数霊、かずたま、による、祓い清めである。

 

日本の伝統、富士王朝からの、伝統。

9059年の伝統である。

古、いにしえの、伝え文による。

 

今年は、日本建国、2669年である。

それ以前からの、富士王朝の、神奉りを汲む、伝統行為が、私の追悼慰霊の所作である。

 

太陽を、皇祖皇宗とし、つまり、祖先の霊位を、太陽に見立てて、神奉りを行った、民族である。

 

更に、私は、マリア観音に向かい、清め祓いを行った。

 

すべてを、終えて、バイクタクシーのおじさんに、写真を撮ってもらう。

その時には、カップルが、その場所にやって来た。

 

本当は、一時間ほど、黙祷をしたいと、思った。

だが、そのまま、タクシーを返してしまうと、タクシーが掴まるかどうか、解らない。

 

次は、タクロバンの教会である。

日曜日であるから、ミサをしているはずである。

 

教会を見て、戦争犠牲者の霊位の有り様を、探りたいと、思った。

 

セントニーニョ教会では、ミサがはじまり、歌声が、響いていた。

私は、後ろから、聖堂を見た。

 

教会は、人で、溢れていた。

 

そして、教会上空に、開ける霊の世界である。

 

私は、黙祷を捧げた。

 

ラテン語にて、父と子と聖霊の御名を唱える。

それだけで、十分に通じる。

それ以外の祈りは、危険である。

 

帰国して、写真を見ると、聖堂の中は、一切見えない写真である。

 

これ以上は、説明しない。

 

朝ごはんと、昼ご飯を、一緒にする、レストランに向かってもらった。

バイクタクシーのおじさんに、今日は、大変によい日だと、英語で言うと、通じた。

そして、私は、150ペソを、渡した。50ペソは、チップである。

 

あなたに、神様の祝福がありますように、そして、神様と共に、と言って別れた。

 

タクロバンでは知らぬ人がいないという、レストランには、誰も客がいなかった。日曜日だからか・・・

 

焼きソバと、麻婆豆腐を注文する。

誰も客がいないが、出てくるのが、実に遅かった。

そして、不味いのである。

 

しかし、全部食べて、ホテルまで、ゆっくりと、歩いた。

 

迷うことはない、街である。

街中は、ほんの少しの区域である。

 

ホテルの西側が、港であり、私は、休んで、その港に行き、先ほどの、御幣を、海に投げ入れようと思った。

 

ホテルに着くと、汗だくだった。

 

部屋は、エアコンをつけてあるので、冷え冷えとしていて、気持ちがよい。

シャワーを、浴びて、今回の最大の目的を、済ませたことに、満足した。

 

そして、今夜泊まって、明日は、ホテルを変更しようと、思った。

矢張り、居心地が悪いのである。

 

部屋にいる、アレである。