木村天山旅日記

  マニラの悲劇・衣服支援

  平成21年9月 

 

マニラの悲劇・衣服支援 第1話

三流売春婦のお店の、女性をガイドに頼んだことは、書いた。

 

モンテンルパに行く前の日に、衣服支援を行う。

 

部屋に来てもらい、支援物資を見せて、今回出掛ける、トンド地区の状態を聞いた。

そして、彼女に、してもらいたいことを、言った。

 

まず、男女別に、分かれてもらうこと。

つまり、人を整理して欲しい。差し上げた人は、外にはずして欲しい。

そして、写真を撮ることである。

 

トンド地区とは、マニラのスラム街であり、泣く子も黙るといわれる、危険な場所である。

誰もが、危険だという。

 

三つの、支援物資のバッグを持って、タクシーに乗った。

 

そのタクシーを捉まえてくれたのは、ポン引きの、おじさんである。

私は、ポン引きの、おじさんたちと、親しい。

アホな、ポン引きの、おじさんは、私に、女を買えと、煩いが、賢いおじさんは、決してそんなことは、いわない。

 

ポン引きの、親分肌のおじさんが、日本語ぺらぺらで、私に、自分のことを、ポン引きですと、紹介した。

そして、トンドに行くなら、男を連れた方が、良かったと言った。

すると、他の、ポン引きたちも、そうだそうだ、俺が一緒に行ってやるのにと、言った。

 

兎に角、物は取られる。女は、連れ去られると、言う。

 

しかし、私は、もう、彼女、ニーナとしておくが、ニーナを頼んだのだから、行くしかない。

 

タクシーに乗り込んで、彼女が、行き先を言う。

そして、運転手と、何やら、話し込んでいる。

これから、行うことを、伝えているようだった。

 

大きな、橋を抜けると、トンド地区に入る。

そこは、前回、私たちが、慰霊をした、スペイン統治時代の、イントラムロスのサンチャゴ要塞から、川向に見えたスラムであった。

 

次は、あの地区へ行こうと、決めたのだ。

 

トンド地区の入り口の、公園の横に、タクシーが止まった。

公園では、老若男女が、たむろしていた。

 

ニーナは、大き目の、一つのバッグだけを、持つようにと、私に言う。

時々、彼女が、命令口調になるのは、自分で、日本語を覚えたからであろう。

 

カメラを持って、彼女が、公園にいる人々に、声を掛けた。

すると、一斉に、人が集う。

前列に、子供たちに、並んで貰った。

そこまでである、秩序が保たれたのは。

 

子供に合わせて、一つ一つ、手渡していると、大人、老人たちが、我慢できなくなったのであろう。

取り出すものを、奪いはじめた。

次々に、奪うのである。

 

そして、更に、人が集ってきた。

どんどん、収集がつかなくなる。

渡すと、それを、奪い合う。

 

私は、ノーノーと、言った。

ニーナも、叫んだ。

ついに、タクシーの運転手も、出て来て、加勢するが、混乱は、収まらない。

 

その時の、写真を見ると、何を写しているのか、よく解らない写真である。

ニーナも焦ったのである。

 

そして、ニーナが、突然、もう行くと、私に言うと、バッグの口を閉めて、持ち出した。私に、車に乗れと言う。

 

追いかけてくる人々を、押しのけて、車に乗ると、ロックしろと言う。

どちらが、雇い主だか、分からない。

 

タクシーは、ドアをロックして、すぐさま走り出した。

ニーナが、私の友達のいる、ところに行くと、言う。

 

そこなら、大丈夫と、言う。

 

私は、呆然としていた。

今までも、人々が多く集ったが、あれほどまでに、混乱したことは、無い。

後ろで、子供が、転んで泣いていたのを、見た時、駄目だと、思った。

 

奪い合うという、心が、あの地区を支配しているとしたら、救われない。

皆で、分かち合うことが、貧しい場所の、最低の、ルールである。

 

ニーナは、お金をくれという人もいたと言って、憤慨していた。

 

少し行くと、ニーナの友人のいる、家の前に着いた。

 

ニーナが、一寸待てと、私に言う。

口調が、逆転している。

 

ニーナが、友人と、何やら話しているのを、見ていた。友人は、頷いて、ニーナの話を聞いている。

 

ようやく、ニーナが戻って来た。

そして、すべての、バッグを持ち出した。

 

そこは、少しの秩序があった。

皆、控え目に、私の取り出す物を、待った。

 

しかし、次第に、人が溢れてくると、バッグから、取り出す人も出始めた。

その時、誰かが、声を出した。

そして、秩序が、保たれた。

 

男たちも、私が、取り出すまで待ち、控え目に、受け取る。

運転手も、手伝っていたから、驚いた。

だが、最後に、子供用の、靴の袋を取り出して、それを、全部出した時、突然、奪い合いが、始まった。

 

ニーナが、私に、これで終わりと、言う。

運転手が、残りのバッグを、車に積む。

 

ニーナの友人という、女性も、少し、呆然としていた。

 

車に乗り込むと、人々が、私に手を振る。

ニーナの友人は、私に頭を下げた。

 

ニーナは、運転手と、何やら話す。

そして、私に、これで、戻ると、言う。

 

まだ、物資は、半分残っていた。

 

ホテルに、到着して、タクシー料金を、聞いて貰った。

300ペソと言う。

安い。

ニーナが、それでいいって、と、言う。

 

バイクタクシーに、私がトンド地区に、衣服支援をしたいが、幾らかと、尋ねたとき、何と、5000ペソと言われた。そして、タクシーなら、7000,8000ペソにもなると、言われていたのだ。

 

メータタクシーだと、2000ペソ程度かと、思いきや、300ペソだと言うので、感激した。

 

誰もが、ボル訳ではないのだ。

運転手は、私の行為の、主旨を理解したのだ。

 

ホテルのドアマンのおじさんが、残った物資を見て、ニーナに話し掛けている。

何を言ったのと、尋ねると、どうして持って来たと、聞くから、皆、喧嘩するから、止めたと答えたと言う。

 

部屋に戻り、しばし、二人でベッドに、横になった。

ベッドは、大きく、両端に分かれて寝たのである。