木村天山旅日記

  マニラの悲劇・衣服支援

  平成21年9月 

 

マニラの悲劇・衣服支援 第5話

レイテ島から、戻り、街中に着いたのは、夕方だった。

 

いつもの、ホテルから、別の、ゲストハウスにしてみようと、思った。それは、街中に、より近い場所。

 

何度も通ったが、そこが、ゲストハウスとは、知らなかった場所である。

 

ワンルーム、ワンベッドで、1100ペソ、2200円。

小奇麗だが、あのホテルより、部屋が、三分の一。

 

荷物が、減ったので、ここでも、いいと、決めた。

 

早速、シャワーを浴びた。

お湯の出が、いい。

 

夜の食事を、どうするか。

何となく、日本酒が飲みたい。

そんなことは、今までの旅では、なかったこと。

旅先では、酒類は、一切、欲しないのである。

 

しかし、どうしても、日本酒が飲みたいのである。

 

そこで、買いに出掛けた。

スーパー、コンビニには、日本酒は無い。

限られた店のみ。

 

だが、私は、その店を以前来た時に、知った。

そこまで、歩いた。

 

同じ通りにある。

まっすぐ歩く。

 

半分の、パック酒を、買った。そして、ついでに、外に出て食事をするのを、止めて、部屋で、食べることにした。

パンや、ハム、チーズなどを、コンビニで、買った。

 

コンビニは、至るところにある。

これが、旅では、便利であった。

 

部屋に戻り、酒を飲む。

不味い。

飲んでいるうちに、心臓が、バクバクしてくるのである。

 

これは、駄目だ。

不味いし、心臓バクバクであるから、止めた。

 

疲れのせいか、食欲が湧かない。

 

レイテ島の、残滓が、心に大きく、かぶさる。

 

ベッドに、横になり、タイに、電話するが、スタッフは、出ない。

電話は、便利だが、国際電話なので、お金がかかる。

一番の、出費は、電話代である。

 

電話のカードを、いつも、買っていた。

300ペソである。600円。

何枚も買った。

先のホテルの近くの店では、それが、250ペソで買えたが、他の場所では、300ペソである。

どうして、安いのか、聞くのを忘れた。

 

実は、その電話、携帯電話であるが、フィリピンの番号に入れなおしたが、うんともすんとも、言わないのである。

新しいものを、買うために、先のホテルの前の店に行った。

 

電源が入らないと、身振りで言うと、店のオーナである、青年が、うーんと、すぐに、電源を入れて、見せてくれた。

つまり、私は、切った電源を入れてなかったのである。

 

そして、前回の番号は、使えないから、新しいのにするね、といわれた、ように思う。

オーナーは、新しい番号を入れて、ところで、幾ら、入れるのと、聞く。

300

オッケー

それで、使えるようになった。

 

ハウマッチ

オーナーは、三本の指に、薬指を半分曲げて、示した。

350ペソである。

そして、二人で、笑った。

 

言葉が、通じなくても、色々な方法があるものである。

 

さて、日本酒を、飲んで、心臓バクバクで、ベッドで、休んでいた。

このまま、寝てもいいと、思ったが、やたら、目が冴える。

アルコールが、意識を覚醒させるのである。

 

どんどん、頭が冴えて、頭の中で、文章化している。

 

なんたら、こんたらで、だから、なんたらで、こんたら、である。だから、こんたらで、あんたらである。云々。

 

すると、電話が、鳴った。

先生ですか。電話くれた。

スタッフである。

ああ、したよ。

どうですか

どうもこうも、レイテも、大変だったよ

そうですか

もう、どうしようもないね ここには、もう来たくないよ

そうですねーーー

 

何とも、噛み合わない、会話をして、更に、イライラした。

じゃあ、また、電話すると、切った。

 

まだ、心臓が、バクバクしている。

 

起きて、タバコを、吹かす。

歌を詠むこともない。

フィリピン、ああフィリピン、マニラ、ああマニラ

戦争地でなければ、来なかった。

日本軍は、フィリピン全土を、巻き込んで、戦争したのである。

 

馬鹿者め、日本軍。

レイテ島では、住民も、巻き添えで、多くの人が亡くなっている。

更に、激戦地が多い。

死ぬまで、回っても、追悼慰霊は、終わらない。

 

とんでもないことを、してくれた、本当に

私は、一人で、エキサイトした。

そして、眠られないという、最悪の状態に・・・

 

狭い部屋の中を、歩いたり、横になったりと、我が身を、持て余した。