木村天山旅日記

  マニラの悲劇・衣服支援

  平成21年9月 

 

マニラの悲劇・衣服支援 第6話

レイテ島から、マニラに戻り、三泊して、帰国する。

ところが、もう帰りたいと、思うのである。

 

見るものが、苦痛なのである。

 

朝、六時過ぎに、公園に向かって散歩する。

今まで、通らなかった、小路に入ってみる。

 

その小路で、寝ている人々。

ダンボールを敷いて、寝ている。

裸の子供が、寝ている。

 

家に住んでいるといっても、倒れそうな家。

洗濯物が、干してある。

雑巾のような衣類。

 

見るものが、情報となって、私の心を動かす。

 

目が覚めた人は、私に、手を伸ばす。

食べ物が欲しいのだ。

 

路上に寝ているせいか、両足が皮膚病になっている人もいる。

 

公園の前の、アメリカンフードの店で、19ペソのコーヒーを買い、タバコを吹かしていると、一人の男の子が、来た。

中学生くらいか。

英語で、ダンボールに何か書いている。

要するに、食べ物を下さいと、言うのだ。

 

私は、オッケーと言い、彼を近くの食堂に連れて行った。

すると、彼は、向こう側の道に声を掛けた。

 

その子の、父親がやって来た。

二人分の、ご飯である。

 

おかずを選び、ライスがつく。

一人分、50ペソ程度、二人で、ニ百円である。

 

男の子が、目で、感謝する。

父親は、もう、ご飯にしか、目がいかないようで、私を見ない。

腹が、空いて、尋常ではないのだ。

 

また、私は、公園に戻り、コーヒーを飲む。

物売りが来る。

実に、しつこい。

必要ないものを、買う気はないから、無視するが、なんとかこんとか、かんとかこんとか、そして、あんたら、こんたら・・・ずーつと、話し掛けてくる。

 

溜息をついて、場所を移動する。それでも、着いて来る人もいる。

 

一人の、女性に会った。

向こうから、声を掛けてきた。

日本語である。

 

どうして、日本語ができるの

カラオケで、働いていたの

今は

今は、おばさんになったから、もう、駄目

 

カラオケでは、皆、体を売る。

 

いくつ

40よ 私、マッサージするよ、部屋に行く

マッサージは、ロビンソンでしたよ

 

どうして、マニラに来たの

子供たちに、衣類を持ってきた

えー、ここには、沢山欲しい人いるよ。私の友達の子供たちも

そう、じゃあ、今度来たら、あなたに会いに来るよ

そうして

 

マッサージは

もう、マッサージは、いい

 

カラオケ店で、体を売っていた女が、年になると、仕事が無く、こうして、観光客に、マッサージをすると、勧誘する。

 

弱い者たちは、搾取されるので、働いても、お金を貯めることは、出来ない。

客から、得た金額の、三割しか、貰えない。そのようになっている、国なのだ。

 

レイテ島では、もっと、悲惨だった。

 

おばさんは、寂しく、今度来てね、と、去っていった。

 

私も、立ち上がり、ホテルに戻る。

また、別の小路を、歩いてみる。

 

路上で、食堂をしている、男がいた。

路上に、鍋を並べて、売るのである。

しかし、それさえも、買えない人が多い。

 

家族三人が、パンに、お粥のようなものを塗りつけて、食べていた。

母親が、私に笑いかける。

ああ、子供に衣服を上げた親である。

 

道端で、食べている。家がないのである。

 

シクロといって、自転車に荷台をつけて、人を乗せる仕事がある。

彼らの多くも、家がない。

 

その荷台に寝る、母親と幼児。

少し大きい子、二人の女の子が、父親と、ダンボールを敷いて寝ていた。

 

二人は、起きていた。

楽しそうである。

 

丁度、側に、店があったので、ビスケットを、二種類、二つずつ買って、渡した。

父親が目を覚まして、私に、礼を言う。

それから、父親は、私に毎日、挨拶する。

それが、大声で、私を、ボーイと、呼んで、手を振るのだ。

 

少し、恥ずかしい。ボーイといわれる年ではない。

こんなことを、書いていると、終わらないのである。