木村天山旅日記 

  チェンマイへ

  平成21年10月 

 

第7話

思えば、今まで、何もなかったことが、不思議である。

物を盗られたことなど、一度もなかった。

スリに遭うというのは、どこの国に出掛けてもあること。最悪の場合は、命まで、取られることもある。

そういう、訳で、ホテルに戻り、小西さんと、コーヒーを飲んで、しばし、歓談して、部屋で、休むことにした。

今夜は、予定通り、ナイトバザールに出掛ける。

部屋で、休んでいると、スタッフが、易占いを、はじめた。

彼は、私の易占いを、密かに、学び、ある程度、習得していた。

この、財布の問題の意味を、探っていたようである。

が、

問題は、慰霊のことだった。

藤田さんが、建てた、慰霊碑の追悼慰霊をしたことは、良かったが、実は、あの土地の、守り霊がいるという。

それが、あの、小川の主である、というのだ。

それが、どうしても、存在感を示すために、今回の事を起こした。

これは、占う者の、判断であるから、口を挟めない。

確かに、流れの綺麗な小川であったが、誰も、その小川を大切にしている様子はなかった。草木に覆われて、一見、見逃してしまう。

私は、御幣を、流すために、そこまで行き、小川の流れを見たのである。

実は、タイでは、至る所に、ピー、つまり、精霊を祭る、祠がある。

それは、都会の、真ん中にもある。

レストランや、ホテルにもある。

私たちの泊まった、ホテルでは、屋上に、ピーの祠が、二つもあった。

最初に来た時は、古いものが、一つだけだが、今回は、新たしい祠も、あった。

そして、そこに、毎朝、香を焚き、祈りを捧げる。

実際、ピーという、精霊の場合があるが、浮遊する霊の場合もある。

総称して、ピーという。

タイの人々も、文明化の波を受けて、昔の、祭りの場所を忘れてしまった箇所もある。

その、小川が、それだというのである。

確かに、何も、無かった。

その重要な、小川の傍に、慰霊碑を建てた。

であるから、まず、その、土地の、地霊に、挨拶するべきだった。

私は、その地の霊位も、呼び出したが、足りなかったのだ。

日本で言うと、産土の神である。

だが、その地の霊位には、名があったである。

女神である。

そして、更に、慰霊碑には、結界がなく、多くの浮遊する霊も、集うという状態である。

私は、そこまで、考えなかった。

結界というものは、慰霊碑を建てた段階で、出来ていると、ばかり、思っていた。

ところが、藤田さんは、カトリックである。

霊的所作が違う。

もう一度、あの慰霊碑に行かなければならない。

でも、今回は、もう、時間がない。とすると、次の機会である。

更に、スタッフは、もう一度、市場に行くという。

どうしても、納得しないというのだ。

その時、千葉君が、部屋に来た。

そこで、千葉君にも、その話をする。

千葉君は、極めて、霊的なことに、冷静であり、粗末にしないが、関与もしないタイプである。

だが、千葉君は、慰霊から戻って、異様に疲れたという。

更に、千葉君は、慰霊碑から、少し離れて、写真を撮っていた。

そこの場所だけが、別空間になっていると、感じたらしい。

浮いている。

慰霊碑だけが、その場にそぐわなくて、浮いている。

スタッフは、市場に行くと、部屋を出た。

もう一度、確認したいことがあるというのだ。

私たちは、スタッフを送り出した。

納得するように行為するのは、悪くない。

目に見えない事柄は、その当事者にしか、分からない。

そして、妄想であるということも、考える。

私は、追悼慰霊は、基本的に、伝統の所作であるとの、認識であり、宗教行為、霊的行為ではないと、考えている。

だが、多分に、霊媒的体質のある人は、感じるものである。

感受性である。

スタッフが、戻って来た。

彼は、彼なりに、決着をつけて来た。

祝詞を上げてきた。

ところが、途中から、市場の食堂の人たちが、騒ぎ始めた。

事務所からも、人が来た。

そして、ここでは、静かにと、言われたという。

そこで、スタッフは、先ほどの、財布を盗まれた日本人は、モーピーである。つまり、霊的能力のある人である。

そして、スタッフは、財布を盗むという行為に、怒りを上げて、こちらに、ピーを呼び寄せた。そして、財布をぬすんだ者は、ピーにより、良くないことが起きると言った。

タイの人の、九割は、ピーの存在を信じ、恐れる。

本当は、私の行為は、その反対をしたのであるが、スタッフなりの、けじめのつけ方である。

事務所の人も、そこにいた人も、恐怖したことだろう。

二度と、このようなことがないように・・・

スタッフの言いたかったことは、それである。

チェンマイの市場では、頻繁に、スリが起こるという。だが、この市場では、はじめてのことだと、警官が言った。

実は、スリ集団が、市場を転々として、やばくなると、次の、市場に移るという行為を、繰り返しているのである。

しかし、今回は、まさか、ピーまで、持ち出されるとは、思わなかっただろう。

スタッフの、祝詞を、止めたのは、怪しいラーメン屋であった。

フーセンを破ったような、音を立てて、スタッフの、祝詞の邪魔をしたのである。

兎に角、スタッフは、恐れを与えて、凱旋して来た。

盗みが、罪であることを、タイ流に教えたという。

悪い事をしても、神様が見ているよ、ではなく、ピーを集めて、盗んだ者に、罰を与えるという・・・

これには、市場の人たちも、恐怖しただろうと、思える。

いかに、タイの人たちが、ピーを恐れ、大切にしているのかは、タイに行けば、理解できる。