テラの会

 フィリピン
 
セブ〜ネグロス島
 暮らしの風景  

  平成22年9月1-10日

セブ、ネグロスの活動の中で、たくさんの人の表情に出会いました。

セブは観光地のイメージが強いです。

以下の写真をご覧になって下さい。

そうすれば、リゾートは一部だけだということが分かるでしょう。

左はセブのサントニーニョ教会。カソリックの信仰篤いフィリピン人が大勢詰めかけます。


ロビンソンという巨大百貨店の周りで、その日食べる物にも困る子供たちがいる


彼らは路上で、屋根も床もなく暮らす。着ているものはすり切れてボロボロだった


ビサヤ諸島を結ぶ連絡線の、船着場近く。ネグロス島からの帰り、ひょんなことから


私たちは深夜フェリーでこの港に着いた。ビサヤの現地人の暮らしを肌に感じる、貴重な体験だった


サントニーニョ教会の前で。仕事のない親が子どもに花輪などを売らせる


なかにはみなしごもいる。みんなお互いの境遇をわかっているようで、助け合う姿はけなげだ


ネグロスの路上生活児。腹を空かせた彼らは、食堂に夜盗みに入る


ドゥマゲッテの川沿いの集落で。貧しいながら秩序があった


集落の奥のデイケアセンターで。どこにいても女性は強し


「ママに!」とタオル類を出すと、騒然となる。子供も大人も入り乱れての争奪戦


ここまで仲良くなった。心に余計なものがないので、私たちを怖がらない


集落を案内してくれた少年と。家の前で豚が飼ってある。突然の食糧難に備えてだろうか


大人びた少女と。ツーショットなので、はにかんでいるようだ


ネグロスからセブへ行くフェリーの上。赫奕と朝日が昇った


フェリーの甲板にはぎっしりとデッキが組まれる。両側は開いていて、吹きさらしの三等席である


船上から見たセブの街。昔は戦場、いまはビサヤの経済発展の象徴


朝着くフェリーに、どこからともなく少数民族が手漕ぎボートで、物乞いにくる


フィリピン国籍があるのかも定かではない。社会の最底辺の、さらに下に暮らす無学の人々


手づくりの幕を大きくひろげ、コインや、食べ物などを乞う


家族総出でやってくる者もいる。フィリピンの主要民族とは違い、海や山に暮らすという


コインを投げると、間髪入れず海にもぐり拾って見せる。この行為を地元では「ダイビング」と呼んでいた


たった1ペソのために、年はの行かぬ子供が海にもぐる。魚を獲って売るよりも、ダイビングする方が稼げるのか


言い方は悪いが、イルカショーを観ているようだった。バチャオのダイビングは、地元では有名だ

旅の最後は、空港のあるマクタン島で過ごしました。

いまでは一部リゾート化されています。

しかし昔は日本軍の司令部が置かれていました。

そして一部を除けばとても貧しいです。少数民の家は、海の上に張り出しています。

再び来る必要性を強く感じました。

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