フィリピン ネグロス島慰霊碑
 
Bacolod, Philippines, Japanese Shrine 14.Jan.2011

  平成23年1月14日
  
      

 砂糖きび農園での衣服支援を終えました。

 現地人協力者に、連れて行きたいところがある、と言われるままに辿りついたのは;

"Japanese Shrine" ジャパニーズ・シュラインとしてバコロド市民によく知られている場所でした。

 なんとそこはネグロス全島の戦歿者追悼慰霊碑でした。

 わたしたちが探し求めていたものに、ぐうぜん巡り合わせたのです。

(右の写真は、大地主ラクソン家の邸宅跡地。日本軍が占領する直前に、持ち主自ら火を放ったという。今はルーイン(遺跡公園)として整備されている)


慰霊碑の後ろは広大な畑.その後ろにマンダラガンの3連山がそびえる.


人跡未踏の秘境である3連山の奥には、今でも日本兵の遺骨が未回収のまま残されているという.


そのあたりの事情を知りたい方は、ネグロス島戦記―マンダラガン山に果てし戦友よ (光人社NF文庫) 池平八著をあたられたい


いまでは日本の団体と、バコロド市長の手によって維持管理されているとか.


よく手入れが行き届いており、日本庭園も併設されていた.

 まさか慰霊碑に出会えるとは思っていませんでした。だからちゃんとした慰霊の用意ができなかったのが悔やまれます。

 ネグロスのバコロドで、この慰霊碑へ行きたい方は、「ロザリオハイツのジャパニーズ・シュライン」と言えば、たいていの現地人に通じます。

 左の写真に見える看板が目印です。かどを曲がり、小道を入っていきます。

 こうしてネグロス島の慰霊と衣服支援は、ぶじ幕を閉じました。

 蛇足ですが、旅の中で出会ったさまざまな人や物を、後に紹介したいと思います。

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