パラオ・コロール島戦歿者慰霊、衣服支援
Koror island,
Palau Memorial act for war victims and Clothes support
9.May.2011
平成23年5月9日
パラオ共和国へは日本から南へ約3000キロ。
スペイン、ドイツ植民地時代を経て、日本統治時代もありました。
1930年代にはコロール島だけで25,000人を越える日本人が住んでいました。
太平洋戦争がはじまると、重要な軍事拠点となっていきます。
今回訪れたのはコロール島、ペリリュー島。とくにペリリューは日米両軍が凄まじい戦闘を行い、12,000人の日本軍守備隊が全滅しました。
コロール島の活動の様子から紹介をはじめます。
ベラウ・ナショナル・ミュージアム.ベラウとは現地語でパラオという意味
日本軍の遺留物の展示があり、慰霊碑もある
ホテルから近かった。タクシーでかけ足でまわった
翌日、3才から5才の子供たちが509人通う施設へいく
時間がなかったので、先生に衣服をたくした
Palau Community Action Agency Head Start Program という
子供たちが外で待っていた.時間がなく、一人一人に手渡すひまはなかった
すぐに港へ向かい、ペリリュー島行きのフェリーに乗る
コロール島から、ゆっくり2時間半かけてペリリューへ行く。運賃は5ドル
急ぎ足でのコロール島の活動でした。
フェリーは波をけ立ててペリリュー島へ向かいます。
船の中で、素晴らしい出会いがあり、ペリリュー島で実りある活動ができました。
次回その様子をごらんください→
☆☆☆
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