宮城被災地視察、塩竈市保育所支援 6

  Supporting act in devastated tsunami and eathquake area, Miyagi, Matsusihima, Japan day 2
  
02.aug.2011

   平成23年8月2日
    
 

 

 8月20日、ありがとう「東松島元気フェスタ」の催された、東松島市。

 テラの会協力者のNさんも、関わった、大がかりなイベントでした。

 アクロバット航空ショーも行われました。

 その東松島市の被災地を視察し、塩竈市へ向かいました。

 塩竈市の、藤倉保育所に、クーピーと画用紙のセットを手渡してきました。



矢本から東名へ至る、仮設道路


美しい浅瀬と思いきや、かつては水田だったという


津波がのり、液状化がすすむ


Nさんの説明なしには、そこがどういう場所だったかも、わからない


農業用の施設か


遠くに見える小島の影も、半年前は小山のひとつだった


最新の研究では、三陸海岸は過去6千年の間に、6回の津波に襲われたと、報告される


千年に一度の割合で、大地震と津波がおきる


教育用施設だったらしい、建物跡


盛り土の仮設道路をまっすぐ行くと、東名集落に入った


前日も視察した場所。てっきり海だと思っていた。船も着いている。しかし水田だったとは


全くの海に帰った水田。被災地の人にとっては、見慣れたものかもしれないが、自分には驚愕の風景だった


地すべりの起きた、東名の塩釜神社の鎮守の森、丸山


やっと、震災前の海岸線についた。ほんの少し残った防波堤


この船も、本来海にあるべきだが、田んぼに乗り上げたまま


こちらはもともとの海。奥松島の美しい海である


老人ホーム跡地。入所者はもういないが、ボランティアの手が入り、少しずつ片付けられる


海岸沿いにとおっていた、もともとの道路が、少し残っていた


東名の集落をあとにし、塩竈市へ向かう


松島海岸の駅前。観光客ももどりつつある。営業中と大きな看板のある食堂「小舟」


塩竈市内に入った。もう撤去されて無いが、この交差点にも、船が2そう着いていたという


藤倉保育所の園長と、協力者の方たちと。ふたたび来ると約束した

 

 さいごに、塩竈市の大社、塩竈神社に参りました。

 創建はいつとも知れないほどの古社です。

 港と海が見える高台にあります。亡くなった方たちのため、1分間の黙祷を捧げました。

 境内のハトがいっせいに飛び立ちます。まるで、被災地の、希望ある未来をあらわしているようでした。

 

 これで、ひとまず宮城県東松島市の活動報告を、しめさせていただきます。

 

〈了〉

テラの会活動報告

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