フィリピン・ネグロス島、全島慰霊碑、追悼慰霊

  Memorial service at memorial stone monument (Japanese shirine) in Bacolod city, Phillipines,  
  
05.september.2011

   平成23年9月5日
    
 

 

 フィリピンのセブ島より、ネグロス島へ移りました。

 

 3ヶ所の孤児院をまわり、衣服支援を行いました。

 その様子を紹介するのに先立ち、テラの会が、なぜネグロス島で活動するのかを説明します。


 みなさまの、ご理解の助けになればと、思います。


ネグロス島全島追悼慰霊碑


前回、ぐうぜん案内された.今回は、しっかりした準備をして、慰霊にのぞむ


ネグロス島は、先の大戦のフィリピン戦における、主戦場の一つであった


占領していた日本軍は、米軍から支援を受けた、フィリピン軍のゲリラ戦法に、悩まされた


スパイ容疑者を、住民の前で処刑するなど、不幸なこともあった


米軍は、空襲し、艦砲射撃を行い、圧倒的な戦力をもって上陸した


日本軍は、なすすべなく後方の山岳地帯へ退却させられた.後ろに見えるのが、その山、マンダラガン


食料も無く、悲惨極まりない退避行だった


日本軍のほとんどは、餓死、病死し、生き残った者は、捕虜として、重労働を課せられた


平和が訪れた今、追悼慰霊ができて、感無量である


私たちの、慰霊行為を見ていた、現地人家族


衣服を差し上げた


少年に渡すものもあった


ネグロス島の人口およそ600万人.その9割超に、貧しさが広がる


スペイン植民地時代からの、大地主制による、恒久的な貧しさである


換金作物の砂糖きび栽培に、頼らざるを得ない.


しかし実際に農業に従事する人たちは、ぎりぎりの生活がなおつづく


バコロドの街は、ストリート・チルドレンであふれ返っている


慰霊碑と、併設の日本庭園の、手入れをしていただいている、男性.衣服と薄謝を手渡した


慰霊碑建立の経緯と、責任者の表示

 前回からの願いであった、全島追悼慰霊碑での、慰霊を無事済ませました

 平和が、できるかぎり長く続き、日比交流がますます盛んになることを、願ってやみません。

 次は、バコロド衣服支援の様子です→☆☆☆

テラの会活動報告