フィリピン・ネグロス島バコロド、孤児院衣服支援

  Clothes support at orphanage, Bacolod city, Phillipines 
  
05.september.2011

   平成23年9月5日
    
 

 

 ネグロス島、バコロド市での活動です。

 

 現地のフィリピン人協力者に、立ち会っていただきました。

 はじめに、日本から船便で送った、支援物資を受け取りにいきます。


 日本人2人と、フィリピン人2人、そして運転手の方1人の、総勢5人になりました。

 バコロド市郊外の、孤児施設へ向かいます。


協力者の自宅の近く.バランガイという、最小行政単位である.日本でいえば町内にあたる


けっして豊かではないが、不思議な人情の温かさと、生き生きした活気がみなぎる


貧しさに負けない、幸福感に満ち満ちている


フィリピノ心理学を実践した、エンリケスによれば、この連帯感の依って来るところは、


カプワ(他者に共感共生的な、関係性としての個我)であるという


心理学者の河合隼雄は、フィリピン滞在経験から、フィリピンこそが「母性原理」にもとづく社会であるという


子供を、おばや、いとこなどが育てるのは、当たり前である.


つまり、子育ての負担が、母親だけに集中しない.ゆえに、お金がなくても、子供が5・6人持てる


孤児院へ来た.行政の社会福祉は充実しておらず、もっぱら民間の宗教団体などの、慈善事業にたよる


この孤児院も、世界的に有名なカソリックの一派によるもの.しかし名前は残念ながら、紹介できない


というのは、寄付金を集める目的のためだけに、活動した写真をタネにする、


悪徳支援団体がいるからだ.はじめは、写真は一枚だけと言われたが、協力者が交渉してくれ、


名前を出さない条件で、写真撮影と掲載の許可を得た


よって、この施設は、バコロド郊外の、カソリック系施設、としか説明できない


フィリピンでは、他のアジア諸地域に比較して、英語がよく通じる


建物の中に入った.0才からの、乳幼児もいた.口蓋裂傷、いわゆるみつくちの子がいた


そのような障害児は、親が育てきれず、施設へ置いていったり、ストリート・チルドレンにしたりする


そのような社会問題は数多くあるが、政治は後手後手にまわっている


フィリピンへの開発援助は、アメリカを抜いて、日本が世界一である


災害時の救援活動も、日本がいちばん.その他、インフラ整備、空港建設、


有償・無償の資金援助など、あらゆる面で支援をしている


日本在住のフィリピン人は、20万人をこえた.中国・韓国につづいて第3位

 まず、はじめの孤児院での衣服手渡しを、無事終えました。

 その後、2ヶ所をまわりました。

 次は、16才までの女子の寄宿する「少女たちの家」に行きました→☆☆☆

テラの会活動報告