木村天山によるメールマガジン 21世紀の成功哲学 バックナンバー 成功の条件 

 成功哲学13

 既成の成功哲学の誤りは、語っても余りある。同じ方法で成功することなどあり得ないからだ。成功には百人百様の姿がある。

 成功とは、自己実現であり、自己充実であり、自己充足である。しかるに、既成の成功哲学は、物を得ることを成功と言う。つまり、自分の外側の満たしを言う。

 人間の一番弱い所有欲を刺激して、その満たしを成功と教える。私が言う成功とは、全く違う。

 私が好きなことをするべきだというのは、そこに自己充実があるからである。それをすることによって、何も所有することがないかもしれない。所有より、捨てることになるかもしれない。どんどん、捨てて捨てて、残ったものこそ、自分に必要なものであることを知る。成功とは、そういうことである。

 もっと言えば、失うことを恐れない。失うものがない状態なのである。

 だから、やりたいことをやるべきなのである。やりたいことのために、環境を整えることに努力すべきなのである。

 環境を整える努力は、種を蒔くこと、すなわち、原因を作ることである。

 そして、始めたら続けること。ただ、前に進む。捨ててゆく中に過去もある。自分を知るための過去も必要ではなくなる。過去が必要でなくなった人は成功する。

 好きなことが出来るということが、成功であるという私の成功哲学である。

 原因は、必ず結果になって現れる。しかし、成功した人は、結果にも拘らないようになる。結果が、どうあれ、好きなことが出来るということに幸せを感じるのである。

 楽しい想いは楽しい事象を生む。それはまた、楽しい想いを作り、また事象を生む。そうして、大きくなって回ってゆく。類は類を呼ぶから、周囲には好きなことを楽しんでやる人が集う。

 そこに嫉妬や憎悪はない。ただ、生きるということ、進むということのみある。その波動に合わないものは、人でも物でも、去ってゆく。

 そうして、どんどん純化してゆく。

 好きなことに成り切ってしまう。完全なる自由の完全なる成功を勝ち取る。

 人生はそのためにあることを知る。

 因は果を作り、果が因となり、果となる。因即果となると、もう揺るぎない成功の中にいることになるのである。

 悲観的な思いも、マイナーな思いも、暗い想念も、時には必要であるが、それは、前向きに進むために必要なことでもある。いつも明るくしていなければならないということはない。成功にも、陰鬱な時があってもいい。表は裏があるものであり、それを共に共有することが出来るということが、正しい。表だけしかないものは、化け物である。生身の人間なのだから、体調や、精神的不調があるのが、当然である。そんな時に、それを受け入れて、コントロールすることが成功人である。

 落ち込む時に、無理して明るくしなくてもいい。静かに、その嵐が過ぎ去るのを待つことである。永遠に続く苦痛や苦難は無い。

 夜が訪れて昼がある。自然は、人間の手本を示す。太陽は必ず上る。雲間の太陽は、同じように輝いている。

 低迷した時に無理をせず、淡々として過ごすことである。それを否定することなく、それが成功の深みになるのであることを知るべきである。

 影を慈しむ心を持つことである。

 絶望感も失望感も、時に必要なことがある。それが成功のエキスになる。

 そのために人は祈りを覚えたのである。人知を超えたところの働きに祈る。それは自我と自己の語らいでもある。人知を超えた自己との語らいを祈りと呼ぶ人知の偉大さである。 わたしの内にあるわたし自身と語らうという崇高な行為は、わたしの癒しとなる。癒しは、他のどこから得られるものではない。わたしの内から得られるのである。