木村天山によるメールマガジン 21世紀の成功哲学 バックナンバー 成功の条件 No17 

 成功哲学17

 すべてこの世は、原因と結果の世界である。それは現実というものを透徹して観ることで解ることだ。2500年前に、ブッダがそれを観て、人に説いた。仏教という宗教と成ったが、あれは現実を観る目の何物でもない。宗教としての仏教に魅力があるのではない。ブッダに魅力がある。

 さて何人も、その法則から逃れられない。

 以前に、自業自得、因果応報を言った。この世は、自分が事を起こさない限り、何事も起こらない。それでは、何もしなかった人が、宝くじに当たったように僥倖を受けるということがあるのは、どういうことかと、問うであろう。運という考え方もある。

 人間は、生まれた時から始まっているのではない。生まれる以前から始まっている。つまり、転生である。人間の魂は、時空を旅する存在である。端的に言う。私へと旅する存在なのである。本来の私を求めて、多次元を旅するのである。

 それが理解出来ないのであれば、私が生まれたのは、父母の存在があり、また、その父母の存在は、その父母によると考えるとよい。その、誰かが欠けても、私の存在は無い。

 私の存在を尋ねると、それは人類発祥までさかのぼる。その一つの存在が欠けても、私の存在は無い。

 私の存在は、地球の歴史程あると思うがいい。

 この世での成功に、唯々諾々としている姿が哀れであると気づくだろう。

 今の世で現象化する成功が、いかに愚かな行為であるか。今の世だから、成功するだけである。

 私が好きなことをすることが成功であるというのは、好きなことは、私が私になるために、必要不可欠の行為だからである。それは時空を旅してきた私が求めることをする、そこに私の真実があるからである。だから、好きなことをして、私が私になるのである。

 私に成るということを、成功と言う。

 好きなことをして生活してゆくことが出来ないから、諦めるという考え方を人は多くする。浅はかである。生計を立てるためだけに、生きているのではない。生活のために生きるのではなく、好きなことをするために生きるのであるから、生計を立てるためにすることは、方便である。

 経済的に恵まれた環境にある人より、恵まれない環境にある人が、大成功するのは、そこにからくりがある。

 意識の違いである。

 人は環境に馴染むものであるから、経済的に恵まれた人は、それに馴染む。どんな危機意識を持ってしても、背水の陣を引くことが出来ない。背水の陣を引けば、社会的に成功すると言うのではない。背水の陣を引いて、好きなことをする時、好きなことが生きることと同じになる。それが、成功と言う。

 社会的に成功することのみを求める人は、それが成されないと、捻くれる。ふて腐れる。更に、性格まで偏狭になり、世を恨むまでになる。好きなことをしても、社会的成功を得ないと、人間が堕落する。金を得られないことで、人生を台なしにする人は多い。

 有名になり、名声名誉を与えられないと、絶望する。愚かである。その程度の絶望は、ゴミのようなものである。

 好きなことをやり続けることが成功であると私は言った。それは、自己完結であり、私が私になること。私が私に満足すること。自己満足の最も足るもの、それが成功である。

 私に満足出来ないで、今世を終わると、その不満を持ちつつ、また転生して繰り返すことになる。上記のことが納得出来ないのであれば、ただ、好きなことを続けて、自己完結を目指すと良い。自己を満足させ得ない人は、決して成功することはない。人は、一人で完成するものである。

 ちなみに、陰と陽、雌と雄、男と女によって完成するという考え方は、迷いである。私の欠けたところを補うのは、私以外にない。異体同心になれても、一心同体にはならない。まして一心同魂にもならない。