木村天山  日々徒然 バックナンバー  

  日々徒然59

 私は政治に素人であるから、出来る限り政治に関して書く、言うことはしたくないが、素人にしても、この頃の野党に絶望するのである。

 政策実現は与党によって成される。当然のことである。政権を取るということは、政策を実現出来るということである。では、野党の役割とは何か。

 野党とは、少数者の声を代弁するという、非常に重要な仕事がある。すべの人に、納得させるという政策はない。必ず、不公平が起こる。その不公平を感じる人々の代弁をする。または、その人々のために、一つでも政策を実現させるべく働く。

 しかるに、野党は、その本質を忘れて、天下国家を論じて、小を見ない。そして、自分の政党のために、その主義主張を守るべく、汲々としている。

 国民のためにという言葉は、空念仏となって、久しいことに気づかない。

 最大野党の民主党は、そのあり方が明確でなく、選挙の投票率を下げているだけである。野党に魅力がなければ、どうして選挙率が上がるのか。

 若いころ、共産党の言い分を、よしとして期待したが、あの党は、いつになったら、何かをするのであろうか。党を守るために、政治団体を作っているようなものである。

 批判して置きながら、批判した先に平気で頼るという図である。国家の権力を批判して、その国家に頼り切っていることを知らない。つまり、いつまでも青二才である。

 親に楯突いて、親に養って貰う青二才と同じである。大衆の党であるというが、何でもない、単なる共産党のための党である。そして、党内での格付けの差別には、甚だしいものがあるが、本人達は気づいていなから終わっている。

 旧社会党の社民党も、拘りと偏狭な頭のままで、何か変えられると思っているのだろうか。憲法9条を守るという言葉しか聞こえない。私も憲法9条を守るが、あれらと違う。自民党に合流して、政策実現に動いた方が賢いと思うが。

 旧社会党というのは、自分は善人でありますと信じ切っているような、アンポンタン揃いだったが、きっと今もってそうなのだろう。社会党も、結局は、自民党の金魚の糞で、付きまとっていただけである。それらが、民主党などにいて、訳の分からないことを言っている図は滑稽である。それほど何か実現したいなら、自民党に入党して事を起こせばよい。いつまでも理想を語り、現実を知らない、矢張り青二才である。

 野党は、一度、武士道を学ぶべきである。政治家は日本の武士道を知らないと、単なるアンポンタンの理想主義を掲げる若者でしかない。いい年をして、若者とは恐れ入る。年老いても、いつまでも青春であるという、愚か者に陥ってしまったのか。

 日本の政治は自民党にある。自民党が潰れない限り、日本に幸せがないという連中がいるが、それでは自民党を潰すがいい。それも出来ない、不甲斐なさである。

 私が政治家であれば、自民党など、すぐに潰す。私は芸術家であるから手を出さないだけである。死ぬ覚悟を持ってすれば、自民党など物の数ではない。つまり、死ぬ覚悟がないから、何も出来ないのである。話にならない。

 明治維新、どれだけの若者が、国のために死んだか。国のために死ぬという者が出て、始めて事は変化する。今は、死ぬ者がいない。生き恥を晒して、政治家の利権を頼み、政治屋になってもいいから、政治家になるというものが多い。

 当選するなら、どこの党でもいいと思っている輩も多いだろう。政治家は商売なのであり、生活の糧なのである。生活の糧を得るために堕落する者は、いつの時代もいるが、これ程多い時代も珍しい。食うために、政治家になっているという図は、絶望である。