みたび日々徒然 19

木村天山  

 

 このエッセイを書くために、午前中を費やした。書くことではない。書くか、書くまいかということにだ。それ程、馬鹿馬鹿しく絶望的であり、書くこと自体に意味があるのかということだ。

 まず、国士館大学サッカー部員15人を逮捕という記事である。それも、内容が15歳の女子高校生に、みだらな行為をしたからだという。首謀者の3年生である浜野が「女子高生とエッチしたいやつは集合」と携帯メールをし、集ったのが14名だという。

 スポーツをやる者に、ロクな者がいないとは知っていたが、こういうことである。

 性行為とは、極めて個人的な情緒であると考える私には、信じられないことである。淫行として一人が逮捕されるなら、まだ理解出来るが、この15人とは、どういうことなのかと考えた。メールで人を集めたという、それ自体に、異常なものを感じたのである。これは異常である。

 そして、もう一つの記事である。矢張り、強姦罪で逮捕者が続出したサークル、スーフリの元副代表の二審判決の懲役10年の確定である。この副代表である小林は、準強姦罪で一審にての判決を刑が重すぎると控訴していた。また二審では、一審の「被害者の行動に不用意な面があった」という判断を支持しないとのこと。小林は三件の事件に関わっていた。

 よくぬけぬけと、被害者に不用意な面があったと言えたものであるし、刑が重いとは、笑わせる。女子が飲み屋に行くことも、不用意な面になるのか。違うであろう。そういう罠を掛けるということに重大な罪があるのであろう。

 上記二件の記事を読んで、朝から気分が悪くて悪くて。

 男として恥ずかしい限りである。女を物として扱うその姿勢に、この時代の絶望を観た。 いつの世も、こういう話しはある。しかし単独行動が主であるから、この集団行動には、専門家の徹底した分析が必要である。それは、精神疾患、及び人格障害等の、社会性を欠く行為行動の分析であり、これらの者に対する治療法、及び対処法である。社会が、これらの者をどう扱うかである。これは異常事態である。

 刑務所に入れて、それで問題は解決しない。

 また私は、これは氷山の一角であろうと考えたから、絶望したのである。

 もっと言うと、これは悪魔的な行動である。

 世が世ならば、大学は取り潰しであり、学長は切腹である。それ程、機を逸した出来事である。ところがどうだ。学長の弁明は、哀れである。伝統あるサッカー部であると言う。これは知人から聞いた。テレビを見ない私は、その会見の様を見ていない。

 伝統あるサッカー部だから、どうしたのだ。返答になっていない。まず、学長を辞める。そして、大学が非常事態であることを宣言して、徹底した教育の方向を探らせる。というのが本当であろう。アホ、いやアンポンタンであろう。このアンポンタンの学長は、事の次第が理解出来ないのである。こういうアホが、長に立っている日本が哀れである。

 勿論、早稲田も同じである。これは命懸けで解決しなければならない問題である。特に、教育者としては、命を賭ける問題である。

 社会問題、人権問題、教育問題等々、あらゆる立場から考えなければならない自体である。それは、こういう精神で、事が行われているということだ。そう、社会のあらゆる問題がである。こういう精神が蔓延した社会は地獄である。

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