みたび日々徒然 21

木村天山    

 

 人間の質やレベルについて言う。

 人間が平等であるとは、カースト制のインドで、仏陀が高らかに掲げた思想である。それは生まれではなく、行為によって人間が成るものであることを宣言した。何において人間が平等であるのかと言えば、霊的存在として平等なのである。そしてまた、その平等を勝ち取るためには、行為が必要なのである。

 人間の質やレベルが理想的な状態にあるならば、平等主義も生かされる。

 例えば、死刑廃止論。理想である。だが、人間の質とレベルが進化していないでの死刑廃止は、単に好き勝手自由放題にさせるということであり、社会にとっては有害である。死刑廃止をした国の犯罪が急増したことでも解る。

 果たして、人間の質やレベルが進化したのであろうか。

 この頃の一連の事件を見て、そうは思わない。子供を巻き込む犯罪は、痛恨の極みである。それは誘拐殺害から、児童を性の対象とするものまで。児童の売春を援助交際という言葉で増長させたマスコミなど、進化しているとは思えない。

 また、ニートと呼ばれる若者、集団自殺をする若者。平和で豊かな社会にあって、どうしたのであろう。識者のアホどもは、分析をよくするが、それ以上のものではない。

 時代は進化しているが、人間は進化しているのだろうか。それは昔の人間より頭脳明晰、肉体的な進化はあるが、霊的進化は、どうなのであろう。

 文明の進化とは別に、霊的進化は、退化しているように感じられる。これは、人間が内面において、分離していると考える。肉体意識と霊的意識の分離が大きい。

 霊的意識は、肉体意識の情緒に、大きな影響を与える。感じ取る力である。

 生きる意味意識を感じ取る力が極端に退化、衰退した状態とみる。

 子供を巻き込む事件は、大人の社会的問題である。大人が正さなければ治まらない。では大人の何を正せばいいのか。いや、正すということより、大人の自覚である。

 子供の事件は大人社会への警告であると考える人もいる。確かに、子供は大人社会の歪みを直接受ける。識者が分析する時、それが出てことないのが不思議である。

 つまり、子供の事件は大人社会への警告であるということ。大人の自覚を求めているということ。

 10歳の子供は、10年経ると大人の仲間入りをする。その時、大人に持っていたイメージが自分の大人としての意識を作る。そこで、見てきた大人のイメージに生きるとしたら、進化どころか大きく退化するであろう

 大人はいつから変節したのであろうか。そのためにも、本当の歴史教育が必要なのである。歴史の中に大人を見いださなければならない程、今、社会は大人の自覚欠如の時代なのである。

 霊的意識について言う前に、精神と心について言う。精神とは、言葉の世界であり、心とは、意識と無意識の世界を有する、人間として大切な意識である。霊的意識とは、それを包括する意識。無意識に影響を与える大いなる意識である。魂と呼ぶ人もいる。肉体意識には、情緒という形で影響を与える。

 この霊的意識が脱落すると、生き方に規範なく、無軌道であり、端的に言えば道徳感情を失う。価値観が欲望主体になり、また奪う意識しか持たない。要するに、自分勝手で利己主義なのである。それは社会に創意工夫を提供することなく、貢献することなく、ダニのような存在になる。

 日本は世界で最も愛国心の薄い国民として認識されている。それは、流浪を意味する。この平和で豊かな国にあって、人の心は流浪し始めたのである。行き場の無い、寄る術のない民になったのである。それを個人に当てはめると、精神さえも流浪することになり、その影響を受けるのは、特に子供である。

 土地の無い民の流浪も悲しいが、精神と心の流浪も悲しい。

 私は日本という霊的国土を愛する者である。この霊的国土の様を子供たちに伝えたいと思う。が、しかし、それを言うと、宗教と道徳教育であり、偏狭なものであると考えるアホが多すぎるから、救いようがない。いずれアホを名指しして言うことにする。

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