みたび日々徒然 22

木村天山    

 

 夜明け前の暗さと寒さは一段と厳しくなる。この自然の所作は、多くを教える。

 苦労や辛さが報われる前は、一段と厳しい現状がある。これは、やみくもな成功哲学を言うものではない。それが自然であるということを言う。

 出来れば、余計な苦労や辛さを体験しない方がよい。必要なものだけ体験すればいい。しかし、今与えられてそれがあるならば、それらは必要なことなのである。

 古代、人は太陽を神と崇めた。そして、それは正しい。太陽は実在の神であるからだ。理屈の好きな人には解らないだろう。太陽という物質が神とは、笑うだろう。しかし、太陽は神であると私は言う。何故なら、その存在は確実に在るからだ。在るものこそ、神である。太陽は、どんな時も輝きを放ち、存在する。その存在に古代の人は、神の実在を感じた。私も、古代の人と共に、そういう感性を持つ。

 ただ、輝く存在として在るという事実、それが神の証明である。

 苦難や苦労は、しない方がよいが、時に、人生はそういう時期がある。そういう時期が訪れる。その時、どう生きるか。その時、どう考えるか。そして、どう行為するか。それが、上記に記した言葉である。

 時には、その暗さと寒さが10年続く場合もある。今、苦難や苦労を実感している人には、10年など越えることが出来ないと感じるだろう。しかし、人は耐えることが出来るのだ。そして、そこから人生の秘密が見える。

 もし、今苦しみにあるのであれば、その苦しみは、単に苦しむためなに苦しんでいるのではないということ。それには意味がある。その意味を解くために生きているのである。

 私は言う。太陽になれと。太陽と同じく、ただ存在して輝くのである。どんな状況下にあっても、同じ姿勢で成して行くのである。捨てるな、迷うな、ただひたすらに進むのである。進まないと思えても、進むのである。

 人の評価ではなく、自分の評価を信じることである。時に自己評価が高く、それが元で、先に進まないこともあるが、しかし、自分の評価を信じて進むべきである。

 避けるべきは勘違いである。勘違いは愚かさからくる。賢く苦労するのである。

 私が、多くの苦労が必要ないと言うのは、やみくもに苦労することを言う。苦労ばかりする人は、苦労を求めるという性質がある。そういう意味の苦労を上記の言葉で言うのではない。賢く、正しい苦労を言う。

 この世の何一つまでも、私に語りかける。その声を聴くことが出来るようになればよい。すべては私による。その私を信ずるべきなのだ。

 そして、すべてが私の写しであることを知ることだ。私を写さないものはない。見るもののすべてが、私を写す。だからそれは、私の内に無いものは見えないということが出来る。見えるものは、すべて私の内にある。

 再度言う。夜明け前は暗く、寒いのである。

 長い間の積み重ねが生かされ、成功する時がくる。必ずくる。そのために生きているのである。その成功は、万民に与えられてある。成功は一部の人のものではない。

 どんな時にも、空には太陽が輝いてあることを知る人は、必ず喜びの涙を流すことになっている。人生とは、そういうことである。

 太陽が在る。それに気づくことだ。

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