みたび日々徒然 24

木村天山    

 

 芸無しや、薄い芸でも、マスコミ等に宣伝されると、人が集う。彼らは、運のみで有名、著名になっているのだろう。それも運であるから、何も言うことがない。

 要するに、それらを起用する側に、何かあると思う。基準は何かということだ。

 まず、身近なところでは、人間関係であろう。だから、内輪になる。そして、見世物に出来るか否か。作り物の感動を提供出来るか。芸にまつわるストーリィーを求める。手っ取り早いのは、障害などのある人が、何事かをすることである。アイディアに詰まれば、それらが簡単である。

 発信する側が、薄い意識だと、薄いものをしか、提供出来ない。これが今のマスコミの大問題であろう。

 要するに、解らない者が、何かをするから、こういうことになる。彼らに一芸を持つ者がいれば、少しは救われるが、一芸を持つ者は、そんな仕事はしないだろう。

 結果、生計を立てるためだけに仕事をするという、サラリーマン根性が、そういう仕事をさせる。世の中が求めるインスタントを、考えることもせずに、起用するという方法である。韓国が流行れば、韓国を持ってくる。イベント会社等のアイディアは底が見えている。一時的流行に乗っても、何も生まないということを知らない。ただ、人が大勢集うことを求める。甚だ愚かしいことである。が、彼らは、それに気づかない、知らないという、不幸、哀れさである。要するに、サラリーマン根性である。

 思考能力ゼロという、哀れさである。

 物ならば、時流に乗るということがあるが、無形の芸や、イベントのアイディアなどは物でなく、人の心に触れるものをと考えるはずであるが、それらも物と一緒になっている。また、それに気づくこともない。

 足で苦労して情報を探す時代ではないようで、新聞記者なども、腰掛けて外に出ることもなく、画面から情報を得るのであろう。それで、どこかが取り上げているのを見て、安心して自分も取り上げるという怠惰なことをしても、サラリーマンであるから、月給を貰う。紙面が魅力のないものになっていることを知らない。

 それが、地方紙にも蔓延しているという不幸である。今にフリーペーパーに潰されるであろうから、何も言わない。状況把握と自分のあるべき姿勢を知らないという哀れさは、救いようがない。

 ニュースは無料で知ることが出来る時代であるから、新聞はそろそろ危うい。危機意識を持って対処しなければ、いずれ音もなく潰れる。それを記者たちは知らない。

 職を失ってから、職を返せと叫ぶのであろうか。愚かである。

 すべて進化と真価は、創意工夫によって成るのである。一瞬たりとも止まらない時の流れにあり、不動の価値あるものがある。それを観ることがなければ、先に続かない。不動のもの、価値のあるものが、続々と生まれている。それを観る者が、時代を作る。

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