みたび日々徒然 27

木村天山    

 

 2004年を思う。

 隠されていたことが明るみになった年である。象徴的な問題は二つ、社会保険庁と、NHKであろう。勿論、三菱自動車なども大きな問題ではあるが・・・

 保険庁の無駄遣いといったら、膨大な金額になる。何度も書いたので、もう書かない。そしてNHKの不祥事である。人の金だから、どうにでもなると思っているのであろうことが、伺える。三菱自動車は、潰れて当然であるが、潰さない勢力があるのだろう。

 その元を、私はサラリーマン根性と言う。取れるなら、いくらでも取るという体質である。貰えるなら、いくらでも貰うのである。

 いい根性をしている。

 それらは氷山の一角である。日本の社会を根元から腐らせるものが、蔓延している。

 政治では社民党、共産党の大きな後退である。もう、再起不能であろう。掛け声ばかりの理想主義かと思いきや、何のことはない、あれこそ政党主義の何物でも無い。在るということ自体、無駄である。少数者の意見を代弁する、良い集団は消滅した。

 言語能力障害の首相が国を導くという年であった。

 政治の問題と言えば、拉致の問題もある。彼の国は、その前に、戦後補償を言い、援助、支援を求めるという本末転倒。それも本末転倒だとは思わない、哀れさである。

 戦後補償と言えば、中国もしかりで、まだまだ欲しいのだろう。富士山より高く金を積んで日本が中国に支援しているにも係わらず、反日運動を主に国民に啓蒙するという哀れさである。

 日本人が、いかに人が良い民族であるかということを、いやと言うほど知らされた感がある古代、他国を「よもつくに」と呼んだ。周辺の国という意味であるが、地理的なことだけではない。精神上からも、周辺の国ということであり、それは中心から外れた精神を持つ国と、考える。これについては、いずれじっくりと書く。

 他民族と日本人との大きな違いが歴然とした年である。和することなど考えていない。いかに、日本から金を引き出すかということのみに始終する。その日本は膨大な借金を抱えて、益々、資金援助をするという様である。日本が金を出さないと、国際社会が円滑に進まないという程である。

 さて、台風と地震が大きな被害をもたらした。これが、古代の人なら、まず禊をして、我が行為を振り返り、過ちがあれば正そうとする。そして、祈る。自然の行為は、内的思索の元だった。何故なら、自然は何かを教えていると考えたからである。私は、それは正しいことだと信じる。

 そして、悲しいことに、幼児虐待と児童売春、児童を巻き込んだ異常性格の悲惨な犯行である。弱い者が、一番初めに犠牲になるのは、何も戦争ばかりではない。子供が不幸であるということは、地獄である。守るべき子供が守られないという世界的現状は、地獄である。死後の世界に地獄に行くのではない。今まさに地獄の様である。

 アホと心得違いの者は、反省も内省も出来ない。世の中の大半がそうであると言う。「よもつくに」の人と同じく、日本人も中心を外れた人が多くなったと言える。

 そして、日本語という世界で唯一、物心両面に渡って意味のある言葉を、失いつつ進む日本は、いずれ日本という国を失う。いやすでに失っているともいえる。ということは、世界に平和が訪れない可能性が高い。日本の精神を持ってして、始めて世界平和が実現するのであることを知らない人が多すぎる。

 大和魂とは、大いなる和らぎの心、つまり平和の心を言うものである。

 言葉は、民族の精神であり、命である。日本語に本来の表情を取り戻すことで、多くの社会問題は解決するはずであるが、誰もそれを知らないという不幸である。哀れである。

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