みたび日々徒然 38

木村天山    

 

 

 オレオレ詐欺が振り込め詐欺と命名された

 04年10月で2万件、被害総額は222億円である。

 すべて悪質である。中越地震の義援金と称しての詐欺などは、悪質を超えている。

 誘拐を偽装して、身の代金を脅し取るもの。インターネットの有料サイトの使用料を支払え、年金を支払い過ぎたので返金せよ。融資を持ちかけて保証金をだまし取るもの。すべてオレオレ詐欺に入る。そして、単純なオレオレ詐欺。

 日本には、こういう詐欺は無かった。

 効果音を使い、サイレン、女性の泣き声、そして弁護士、警察官を装うという手の込んだ演技等々である。

 連携プレーでの犯行には、言葉もない。それ程、日本は不幸になったのかという思いである。ドロボーにも一分の理屈と昔は言った。ドロボーする意味もあるだろうという心情である。しかし、ここ、ここに至っては、日本の社会の変化を観る。

 オレオレ詐欺の意味を言う。

 魔物の支配が、ついに及んだということである。日本で魔物と呼ばれていた魔物は、魔物になれない小物の剽軽な溢れ者であった。しかし、本当の魔物が日本に現れたのである。 現れたというのは、生まれたという意味ではない。流れてきたのである。どこからか。それは魔物の国からである。魔物は魔界から来るのである。さて、どこの魔界であろうか。 いずれそれについては、別の機会に書く。

 日本人は孤立して生きる民族ではない。連帯を持って生きる民族である。その大切な連帯が失われたことにより、このような悪質極まりない詐欺が横行する。精神的孤立が、どうして起こったかについては、誰も解っていない。単純なことであるが、皆平等であるという、耳触り良い思想からである。が、今は、それ以上言わない。

 公的機関は、注意を呼びかけるが、検挙率は5%である。徹底した連携プレーで、犯人を捕まえることである。

 さて、私は言う。善は悪によって支えられてある。

 善があれば悪がある。善に悪が内包されている。

 善を行っていると思い込む者は、悪を嫌うが、それが悪に支えられてあることを知らない。そしてそれが間接的に悪を行う可能性もあるということである。

 実は、この世に善行も悪行も無い。宗教家や道徳家は、善を行えと言う。つまり、悪行があることを言う。善と意識するのは、悪を意識するからである。

 よくよく言う。そういう風に、今までの宗教家や道徳家が言うのは、ウソであるということだ。ウソをつくなとは、ウソをつく者であることを知ってのこと。

 例えば、モーゼの十戒を読むとよく解る。汝、盗むなとか、姦淫するなということは、それがあるということである。すでにやっているのである。だから、それを抑制、強制するのである。

 初期仏教教団は、事細かな規則を作り上げた。すべてやっていたことである。私は笑う。それをするなと抑制、強制する。

 女と交わるなと規則を作るということは、女と交わる者がいるということである。世の規則は、すべてそのように出来ている。

 善と悪という対立を人間は生きていると思わせるその元は何か。支配である。支配者の思想である。その一つに国家というものがある。国家は神のように、国民を支配する。それもごまかしごまかしである。

 ここから、哲学が始まる。

 私はどう生きるのかと。

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