みたび日々徒然 45

木村天山    

 

 

子供の読解力、国語力が落ちているという。それを言うなら、子供ではなく、まず大人の読解力と理解力であろう。世の中、アホが多くなったということである。アホは、アホに気づかないからアホである。

 だが、それを恐れることはない。理解力読解力に秀れた者もいる。彼らが、日本のために行動すればいい。後は、それに乗って行けばいい。

 明治まで、日本の人口の七割は農民だった。自然を先生として、自然の英知を学んでいた。恐れるとしたら、そういうことである。読解力も理解力もいいから、自然の英知から学ぶことを忘れてしまったということ。それが恐ろしい。

 小手先の言葉遊びに始終して、平気でいる輩がいる。毒にはなるが、薬にならない。少し読解力があるから、またとんでもない輩になる。要するに理屈付けの巧い、狡猾な人間である。アホは詐欺師になれないが、そういう輩は詐欺師になる。そして、詐欺をしているという意識が無いから、アウトである。

 だが、世の中で闊歩しているのは、そういう輩である。彼らに注意である。乗せられて捨てられるのであるから、恐ろしい。自分の利益になる間は利用するが、利益にならないとなると、簡単に捨てる。

 私は、そういう狡猾で小狡い輩を、魔人と呼ぶ。魔人は人の不幸を何とも思わないから平気で人を利用する。そして魔人は、読解力に秀れている。

 子供に自然の英知を教える教育が廃れて久しい。要するに、魔人が教育するのであるから、魔人教育である。小狡くて、みみっちい生き方を教える。知らなくていいことまで先回りして教える。耳触りの良い自由と平等などは、お手の物である。

 アホはそれに騙されるから、騙され続けてきた。あたかも、人間が自由と平等であるかのようにである。そんなものが、この世にある訳がないことは、少し賢ければ解るが、アホだから解らない。

 魔人支配の世の中が、こうして続く。魔人は自分を魔人だと自覚していないということもある。それは魔神に支配されているだけであるから。魔神の手先だとは知らない。

 今、子供を救えるのは、親である。親の気づきである。だが、親がアホや魔人であれば、どうするか。まあ魔人とアホの共存で生きるしかない。

 それでは、正常人は、どうしているのかと言えば、淡々として自然の英知から学び、座を別にして生きる。解っているから、何も言わない。アホにも魔人にも与しない。

 魔人支配に陥る世の中であるから、賢いアホは正常人に加担するようになる。愚かなアホは、何も解らずに、アホのままである。

 自分が賢いアホであるか、愚かなアホであるか、魔人であるか、それを理解することである。言葉を理解出来ずとも、自分を理解することが第一である。

 人のことは解るが、自分のことは解らないというのなら、それは魔人である。アホは自分も人も解らず、気分という流れで生きる。気分が自分だと信じて生きる。

 おおよそ、精神にまで至らない気分で人生を捕らえているのであるアホは。

 気分も、精神も心も魂も一緒くたにして、考えるのである。読解力など、先の先の話しである。

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